よし、じゃあ始めるよ
寝る前の自室。
おれは鏡の前にあぐらをかいていた。
「だから、なんども言ってるだろ」
「こっちこそ、なんども言ってるだろ」
おれの背後に立つ、ポニーテールの女の子が両手を腰にあてて言い返す。
おれも、さらに言い返す。
「そんなのできないって」
「でーきーる! こうするのよ、いい? ガッと腰のあたりに手を回してグッと引き寄せて『オレのオンナになれ』ってささやくだけ」
「それができないんだよ!」
鏡ごしに苦情をいう。
こうやってしゃべってると、まるで散髪してるときの会話のようだ。
「……いくじなし」
ボソッとつぶやいた。
大声でどなられるより、かえってダメージを受けた気がする。
「まあ聞いてくれ」と、すこし鏡に顔を寄せる。「一度も話したことのない女子への告白が、そもそも成功するわけなんかないだろ?」
女の子が腕をくんだ。
「キミが〈鏡の国〉にいることはわかったし、〈
「何を?」
「明日、おれが小岩井さんに告白するって――――」
全身から血の気がひいた。
おれは制服姿の彼女との会話に夢中になりすぎて、すっかり注意力を欠いていた。
部屋の入り口のドア。
そこに数センチのスキマがあり、今、それがゆーっくりとしめられようとしている。
「待てよ、
観念したように、ドアが一気にひらいた。
「あのね、お兄ちゃん。高校中退したって、生きていく道はいくらでもあるから」
「いきなり
手招きして、クッションをさしだす。
二つ年下の、中三の妹。どこまで伸ばす気なのか、髪の毛の先が腰のあたりまできている。
「学校がつらいからって、あんまり思いつめちゃだめよぅ。鏡に向かってひとり
足をたたんでクッションにペタンとすわる。
黄色いパジャマ。
風呂からあがったばかりではないのに、シャンプーのにおいがめっちゃする。
「おまえ、秘密はまもれるか?」
「はい?」
「なにを見てもおどろかないって、お兄ちゃんに約束できるか?」
「なんの前フリなん?」
「いいから、これを――」
鏡を指さす。
そこには、さっきまでおれとしゃべっていた女の子が、
「かわいい~~~」
と、妹がほっぺに両手をあてる。
「お父さんやお兄ちゃんに似なくてよかった~~~」
あれ?
うそだろ。
おれは鏡をこぶしでノックした。
「……なにやってんの?」
「いや、さっきまでここに」
鏡の国の住人がいたんだ、なんて口にしたら、いよいよ妹もドン引きだろう。
なぜいない?
タイミングがよすぎるから、意図的に隠れたのはまちがいない。
くっ。ここはごまかすしかないか。
「あー、あのな直緒。来月の文化祭で、演劇部に助っ人をたのまれてるんだよ」
「コワモテ要員?」
はっきり言うなよ。
「お兄ちゃん、だまってると迫力あるもんね」
「ま、まあソレだ。そういうわけで、かるく演技の練習をな……」
へー、とあまり興味なさそうな合槌をうって、妹は出て行った。
すると、待っていたかのように、あいつが再登場。
「きゃわわな子だねー。ほんとに血のつながったきょうだい?」
「家に遊びにきたダチで、あいつを見たやつ全員にそう言われたよ」
「ってかスナオ、いつのまに私にタメ口になってるの?」
あ。
そういえば、そうだな。
おれ……ほとんど女子としゃべったことがないのに。
「ごめん」
「あやまらなくていい。ただ、くれぐれも鏡の国をナメないようにね。じゃなきゃ、またきゅーっとやるから」
両手を前につきだして、首をしめたときのような手つき。
口元には微笑。
ぞぞぞ、と背筋に悪寒が走った。
そうだ。
いまおれの命は、こいつに握られている。そこだけは忘れないようにしなきゃな……。
「スナオが妹さんと話している間、ちょっと考え直したんだけど」
あぐらをかいて座るおれの肩に、ちょん、とおしりをのせるような姿勢の彼女。
当然、その部分には、やわらかいものを押しつけられている感触がある。
「スナオの意見にも一理あると思った。たしかに、〈一度も話したことのない女子への告白〉ってゆーのは、
「だろ?」
「じゃあ……」
◆
翌朝。
おれは教室に一番乗りで登校した。
彼女がはやく来てくれたら、目撃者が最小限ですむからだ。
外は大雨。
昨晩、あの女の子はおれに指令を出した。
けっして一文字も変えないように、と念をおして。
(まじかよ……)
しかし、もうやるしかない。
それに〈告白〉しろというムチャぶりは
クラスメイトがつぎつぎと教室にあらわれる。
親友の
はやく来てくれ。
もう三分の一は登校してる。
はやく。
誰かが窓をあけた。ザー! という大きな雨音。見ると、外はシャワーのようなザザぶりだった。
「あ、コイちゃん、おはよー」
「おはよう……」
きた!
おれは椅子から立ち上がる。
近くの女子のグループが、えっ、という不審な顔でおれに目をくれた。
(いくぞ)
これは、おれの意志じゃない。
あくまでも、鏡のあいつに押しつけられてやってることだ。そう考えたらいい。
それに、まだ100パー信じてるわけじゃないが、おれが行動しないと小岩井さんが悲しい目にあうっていうんだから、これは人助けなんだ。
(おちつけ。平常心、平常心)
スクールバッグからいそいそと文房具とかを取り出している。肩ぐらいまでのサラサラの髪、小さな頭、小さな肩回り、小さな背中。ちょっとブカブカめの女子の制服。
おれの影が、小岩井さんの体に落ちる。
? と、異変を感じた小岩井さんが顔をあげた。
「…………‼」
山ん中でクマに出くわしたときのような、びっくりの表情。
びっくりっていうより、無表情が瞬間凍結したような感じ。
こん、と軽く咳払いして、のどの調子をととのえて第一声、
「おはよう、小岩井さん」
シミュレーションどおり、彼女からの返事はない。
「きょ、今日も……いい天気だね」
廊下側と窓側から、はげしい雨の音がステレオで流れている中、おれは不器用な笑顔をつくってそう言った。
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