鏡の国は「告白」を押しつける

嵯峨野広秋

ファースト・コンタクト

 なんかのマンガで見たことある。

 鏡に「中の世界」があって、そこに映っているキャラが襲われるシーン。


「こわくないよ」


 手持ちのスケッチブックに、黒マジックでデカデカと書いている。

 うしろをふりかえったが、やはり窓は閉まってるし、そこには誰もいない。

 や、やば……おれ……手足がふるえてきたよ。

 今まで生きてきた中で最高にホラーだ。


「こわくないってば!」


 スケブの紙をひっくり返して二枚目。

 そして三枚目。


「キミがスナオ君だね?」


 なんで名前を――たしかに、おれの名前は鬼塚おにづか告白すなおだが……


「ぷっふーっ‼ 告白と書いてスナオって‼」


 いや、その四枚目いる?

 バカにしてる。なんなんだ、このクマは。片手で口元をおさえてるけど。

 鏡〈だけ〉に映っている、デフォルメとかぬいぐるみとかじゃない、リアルクマ。茶色い毛の猛獣。そいつがまたぺらりと紙をめくる。


「つづきはあした」


 ◆


「……っていう夢をみたのね」


 ぽんぽんと肩をたたかれた。


「スナ。忠告しとく。夢の話は、たいていスベっからやめとけ」

「夢っていうか……」


 実感としては、あれは現実だった。

 時刻は午前三時。突然、目がさめたと思ったら、おれはなぜか鏡がやけに気になったんだ。

 ふだんほとんど使っていない、自室の三面鏡。

 男の部屋にそんなもの、とか思われるかもしれないが、それはお母さんから強引に押しつけられたものなんだ。男の子も身だしなみが大事よ、とか言われて。実際は、自分が新しい三面鏡が欲しかったことと、古いのの処分代をケチってというのが主な理由。

 いつも黒い布をかぶせていた。

 その布がくらやみの中で、ゆれていたんだ。

 そして、


「おはよう、みんな!」


 さわやかな声。教室にいる女子がいっせいに「おはよう」と返す。そばに立つ親友は「けっ」とみじかく返したが。


「あー、今日も今日とてムカつくほどイケメンだぜ。桃矢とうやの野郎」

「なにがムカつくんだよ」

「カオがいいヤツは、とにかく好きじゃねぇんだよ」


 ……。

 思わず言葉をうしなってしまった。

 じゃあ、そんなこいつと親友のおれってなんなんだ、って。

 ここは教室の窓際の席。おれは座っていて、金田かなだはズボンのポケットに手をつっこんで立ってる。

 窓にはうすーく、おれたちの姿が反射している。

 ……。

 やはり絶句する。

 悪人ヅラのツートップ。

 どっちもまあまあ身長が高くて、とくにカナのヤツは空手をやってるからガタイがいい。

 あいつら暴走族らしいぜ、ってウワサが一時期でてたのも、われながら納得できる。

 一言で言って、ヤンキー感がありすぎるんだ。

 ウワサに根も葉もなくても、いったんついたレッテルははがせない。

 おれたちはクラスのハレモノだ。

 きっと、他のやつらから見たら、おれたちは獰猛どうもうなケモノなんだろうな……ちょうど昨日の夜にみたク、


「クマっっっ⁉」


 シンとする教室。

 はぁ? と首をかしげるダチ。


(なんで、ここにいるんだよ!)


 窓の向こう。

 映りこんだ教室の風景に、圧倒的な違和感がある。

 真ん中あたりの席に――――リアルなクマが座ってる! 教科書をひらいて自習してる!


「おい」

「トイレ。すぐもどる」

 

 ついてくんなよ、と目でサインを送って、おれは教室を出た。

 直後、


「……………………‼」


 小柄な女子が、〈きをつけ〉の姿勢で硬直してしまった。

 同じクラスの――えーと……そう、小岩井こいわいさんだ。

 いんキャっていうのは申し訳ないが、気が弱くてオドオドしてる印象の人だ。出会いがしらにコワモテのおれと対面したんじゃ、さぞかしおそろしかっただろう。


(ごめん)


 とも言わず、ダッシュで急ぐ。

 こっちはもっと〈おそろしい〉んだからな。彼女にかまってられない。

 宣言どおり男子トイレに直行した。

 手洗いのスペースで、ジャブジャブと顔をあらう。


(ふー)


 顔をあげる。

 正面には鏡。

 つめたい秋風が心地いい。

 いまは中間テストが終わったばかりの十月のなかば。

 ハロウィンにはすこし早い。

 いや、たとえハロウィンだとしても、あれだけ再現度が高いヤツには絶対にお目にかかれないだろう。リアルすぎて、下手したら通報されるレベル。

 おれ……つかれてるのかな。クラスでハブられ気味だから、そのストレスのせいだろうか?


 ぽん


 肩の上に感触。

 毛むくじゃらでごつごつしたコレは、あきらかに人間の手じゃない。

 クマだ。クマがおれの肩に手をおいている。

 鏡だと、すぐ横にいる。が、やはり現実の世界にはいない。

 口をあけた。

 するどい犬歯がキラリと光る。


(く、食われるっ‼ だめだっ‼)


「こわくない、って言ったじゃん」

「え」


 おれはつむっていた目をあけて、鏡をたしかめた。

 そこにはポニーテールの、小動物のようなつぶらな目をした、かわいい女の子がいた。


 ◆


 放課後。

 おれはクマ……いや女の子……いやクマ……から聞かされたことをずっと頭の中でくり返している。


 ――人助けをして

 ――人助け?

 ――くわしい説明は端折はしょるけれど、このままじゃ確実に不幸になる子がいる

 ――どうしておれが


 そこでおれは細い手で首をしめられた。かなりガチめで。抵抗しようにも、こっちの世界にはその〈手〉はないから、空気をつかむだけだ。

 鏡に見えるのは女の子の後頭部。左右にゆれるポニーテール。

 おれの正面から両手で首をつかんで、体を、胸をぐっと押しつけてくる。ちゃんとその感覚もあるが、よろこんでいる余裕などない。

 がはっ、と息がつまりながら必死でタップの動きをすると、やっと力をゆるめてくれて、


 ――鏡の国をナメんなよ


 かわいい声でそう言った。

 拒否権がないことを身をもって知った瞬間だった。

 おれは、彼女に従うしかない。 


「スナ、なんか様子がおかしーぜ。大丈夫か?」

「ああ」

「オレ部活いくけど……、なあ、まじに大丈夫か?」


 うしろ髪をひかれる、という感じで教室を出て行ったあいつに、手をふる女子。

 くるっと、おれのほうに向いて、ポニテがムチのようにしなった。

 片方の目を細めて、あごをクイッとやる。その先にいるのは……


「あれ? まだ帰らないの?」

「う……うん」


 クラス一、おとなしい女子の小岩井さんだ。

 座っているところをイケメンの桃矢に話しかけられて、とまどっている。


 ――唐突だけど私には未来がわかる

 スナオのクラスにトウヤという男がいるでしょ?

 あいつが今、一人の女をひそかに狙っていてね


 おれは立ち上がった。

 自分でも信じられないが、その足が、あまり行きたくない方向へふみだす。


「よかったらさ、ぼくといっしょに帰らない? 電車通学でしょ? いっしょに駅まで行こうよ」

「え……? えっと、えっと……」

「そうだ。途中でちょっと寄り道しよう。かるく何か食べて帰ろうか」

「あ……あの……」


 ――そう遠くない未来

 トウヤはゴリ押しのアプローチのすえに彼女とつきあうことになる

 しかし、そのあとがよくない

 妊娠させてしまうから


「ほらほら、はやく」

「……」


 桃矢が小岩井さんの二の腕をつかんだ。


 ――トウヤは、ひかえめにいってファッキン・ガイだ

 その責任もとらず、知らんぷりをつらぬく

 引っ込み思案な彼女は彼を責めることもできず、退学して、心を病み、おなかの子も

 ――も、もういいって!

 ――スナオ。じゃあ、やってくれるな?


 ああ、くそっ。

 鏡の国だとか未来がえるとか、いつからおれの頭はこんなメルヘンになっちまったんだ。


「はやく――って、……なんだよこの手」ぎろ、と冷たい目で自分の手首をみる。「誰かと思えば、鬼塚君か」


 にこっ、と微笑んだ。ちっともビビってない顔つき。この男はどうも、おれが不良やヤンキーじゃないことをしっかり見抜いているらしい。


「……いたいな。はなしてくれ」

「小岩井さん」


 びっくーーーーっ、とかわいそうなぐらい派手に、彼女の小さな体がはね上がった。


「は、はい……?」

「廊下で友だちが待ってる」うそだ。「なんか急いでいるふうだったけど」


 うまく察してくれたみたいで、小岩井さんは席を立ち、脱兎だっとのごとく走り去った。

 桃矢はやれやれと首をふる。

 そして、おれの耳に口を近づけ、おれにだけ聞こえるように、


「…………おぼえてろよ」


 と言った。

 帰り道。

 通学路のカーブミラーに、またしてもあいつが映っていた。

 ポニーテールで、なぜかおれの学校の女子の制服を着ていて、首元には赤いスカーフを巻いている。

 よしよし、とおれの頭をなでた。

 首をしめた数時間後にこんなことするとか、どぎつい落差のアメとムチだ。

 笑顔で腕をからめてきて、やわらかいものをしげもなく押しつけてくる。

 順番的には次はムチがくるか、と思っていたら、さらりとこんなことを言われた。


「さあ、明日はがんばって、小岩井さんに告白しよーね」

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