4:00

枯れた世界はやがて冷気を帯びていく


それが増す度に孤独という感覚で身が重くなり、呼吸が浅くなる


誰か助けて


そう言って顔を上げた時には


世界は ゙無゙に染められていた


白い世界に


僕はまた────



─.....


深海に棲う姫の城は相変わらず無味無臭の形骸で、脳の無い魚たちはご機嫌を取るためだけに泳いでいる。


「掌ひらり、星砂が溢れた」


抑揚の消えた機械音声は無感情の歌を垂れ流していた。


「こんにちは、お客さん。私はフェアラ。貴方の名前は?」


「フェアラ」


影のない表情


溌剌な声


虹色の髪


水底のエメラルド


艶やかな柔肌


魅惑的な唇


「終わらせよう」


全てまやかしだ。


お前はもっと病的にこの世の全てを恨んで羨んで諦めた顔をしている。お前の声はもっと澱んで、聴く者を陰鬱にさせるほど暗い。髪は海水で傷んで、青黒く熏んでいる。瞳は濁って、俺の姿なんか映らないはずだ。肌も唇も荒れて、枯れて、触れれば塵となってしまいそうなほどに脆いはずなんだ。


お前はフェアラじゃない。


不快だ。


消えろ。


心臓にナイフを突き立てる。


「ひっ!」


彼女が悲鳴を上げると、カジキが飛んでくる。


「グぎゃああああああああああ!!!」


その鼻っ面をへし折った。なんてくだらない。主を忘れた兵士の槍ほど柔いものなどないというのに。


「その汚い吻であいつの眼を抉ったのか?仕えるべき者もわからないのなら、大人しく沈黙の回遊魚を演じていればいい。お前の槍は単なるセキュリティコードを打ち込まれた玩具のひとつに過ぎないのだから」


「助けて、さっちぇー!」


例の触手が妖しく光り出す。敵意と殺意の信号が薄暗い海の底に反射する。


「はたして、お前に脳味噌というものがあるのだろうか?気色の悪い腕だけを生やした獣以下の存在にしか見えない。それはきっと自然の摂理に反しているからだろうな。俺の言っていることが理解できるか?いや、できないだろうな。お前に意思などないのだから」


轟音とともに無数の触手が振るわれる。破裂音にも似た打撃音が辺りに響き渡るが、千切れ飛んだの赤黒い光沢を纏った蛸の足であった。


「ピギィィィィィ!?」


「一丁前に生命体の真似事をするなよ。お前が感じた痛みは単なる電気信号のバグだ。物言わぬ姫の騎士であるのならば、そんな声を上げてはいけない」


ひとつひとつ、丁寧に捻りとる。その度に掌にブチブチとした触感が伝わってくる。その手で守っていたのは、都合のいい代替品だったのだろう?なら、そんなガラクタはもう必要ない。


「な、なんなの......? どうしてこんなことに.....?」


過去の残影が似ても似つかぬ彼女に重なる。ああ、お前も可哀想な奴だ。幼いお前はまだ自分が何者であるかを識らない。秘匿された箱入り姫だと信じて疑わない純粋な精神が、その綺麗な姿から伝わってくる。かつての君も、こんな容貌をしていたのだろうか。


「お前は父なる海の代替品にしか過ぎない」


「ッ!違う!お父様は私のことを愛してる!大切な娘だと言ってくれたの!!!何も知らない貴方が勝手な戯言を吐かないで!」


「なら、どうしてお前はこんな仄暗い水の底で独り寂しく唄っているんだ? カジキもさっちぇーもお前の事を見ていない。路上を往く傍観者のようにただ無意味に浮揚しているだけじゃないか」


「黙れ!黙れ黙れ黙れ、黙れッッッ!!!」


乱れる髪。焦燥と不安に駆られ、揺れる瞳。その金切り声はなんとも力無くて、切ない。なんだ、お前も、もう──


「カジキもさっちぇーも私の大事な家族なの!お父様だって、私の事をちゃんと──」


やがて彼女は膝を着き、顔を抑えて咽び泣いた。


「だったら、どうして、私は何百年もここで神秘の姫を演じ続けているの?」


醜悪な触手がどんなに下劣に彼女の頭を弄ろうとも、決して事実は覆らない。隠された疑念が一本でも紐解かれたとき、崩れるようにそれは溢れ出てくる。


「父は、もしもの時に私が腐っていないように、不朽の箱庭に幽閉して、いつでも食べられるように保管してたんだ。さっちぇーも私が傷んでしまわないように見張っている料理人だった」


彼女の嗚咽は止まらない。指の隙間からこぼれ落ちる宝石の粒は、無惨にも水泡と消えた。


「私も父の娘であることは変わりないのに。私だけを道具にして扱って、無知なる愚者を強いた」


「それに気づいてもなお、君はこの寂寥の渦潮の中で苦しんでいたんだ」


なぜなら、君は逃げ出せないから。尾鰭という足枷が、君を水中という檻から逃がそうとしなかった。


「なぜ?なぜ私だけ独りなの?母が父を裏切ったから?私が産まれてしまったから?だから、幾度も『私』の死を望むの?」


理由など求めてはいけない。この狂った世界に答えなどないのだから。産まれてくることすら罪だというこの世界に、道理などあるはずがない!!!


。貴方は知ってるんでしょ?ねぇ、後何回死ねばいいの? 教えてよ。ねぇ、教えてよ!!」


「大丈夫。


彼女の喉元に刃を宛てがう。すると、彼女は


「ありがとう」


また、あの甘ったるい微笑みで───



さようなら深海の歌姫よ


また全てが終わった時に


今度は地上でその賛美歌を聞かせておくれ





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