15' 甘き恩美
「フリエラ、音楽は好きですか?」
翌日、朝食を終えた後、グリィナは唐突に質問を投げかけた。
一瞬、フリエラとは何だ。と疑問を抱いたが二度と会うこともないと適当に名乗った名がそれであったことを思い出した。
「嫌いじゃあない。ただ、歌うのは得意ではないから、聞くのであれば」
「では、これから私がピアノや弦楽器を奏でても問題ないですか?」
「へぇ。是非とも聞いてみたいものだ」
嫌味ではなく、興味。音楽は擾わしい思考から解き放ってくれる。たとえ、それが少女の拙いプレリュードであっても。
数分ほどで彼女の指は鍵盤から離れた。その顔は少し赤みを増している。
「笑わないのですね」
「何を?」
「はぐらかしますか。それでも下手だと思ってるでしょう。自身でも痛いほど分かっていますから」
別に。俺は宮廷音楽家のような演奏は求めていない。むしろ、上品な音楽はあの歌姫が頭にチラついて苦しくなる。なら、童の発表会の方が特段に心地良い。
「腕なんて関係ない。俺は聞いているだけで楽しい。だから、そんなこと気にせずに君も奏でることを楽しめばいい」
「楽しむ......」
そう言うと、今度は弦楽器に手を伸ばした。
「弦楽器は鍵盤よりもさらに下手ですけれども」
だが、彼女の顔に憂いはない。足を鳴らして弓を弾く。独奏会はティータイムまで開かれた。
_____..
「うん。化膿していないようでよかったです」
グリィナは頷くと真新しい布でまた傷口を包んだ。
「いいのか?」
「ええ、消毒はしてますから」
「いや、その布は君の─「どうせ、見る者なんてゴドーくらいしか居ませんから」
「そういえば居ないな、彼」
「そろそろ狩りから戻ってくるでしょう」
闇が深まりつつある頃、器用に窓を開けて帰宅するゴドーの姿が見えた。
「グエル」
口に携われている籠には色とりどりの果物が積まれていた。
「今日もありがとう、ゴドー」
グリィナが手を伸ばすと、甘えるように身を寄せた。頭を下げて、撫でられにゆく。
「ゴドー、お肉も手に入ったかしら?」
「ククル」
ゴドーは玄関に翼を指した。
「そう。解体もお願い出来る?」
「クルゥ !」
任せろ と言わんばかりに翼を胸に当てた。
「本当にあの子には世話ばかりかけてます」
ゴドーが外へ出た後、グリィナは力なく笑った。
「後ろめたいのか?」
「そう思わずに生きられた日などありません」
俺は次に紡ぐ言葉を見失ってしまった。
「私に力さえあれば......こんな思いをせずに済むのでしょうか?」
そんな答えなど知らない方がいい。知ったところで
「苦しむのには変わりない」
俺が独りごちに呟くと、グリィナは悲しそうに「そうですね」と俯いた。
「グワワ!!」
戻ってきたゴドーがけたたましく俺の頭を啄く。その声に怒りが篭っていたのは明白だ。
「痛ててて!!!」
「ゴドー! 止めなさい!」
「グゥ」
猛撃が止み、ジロリ と睨みつけられる。
「今のは俺が悪かった。すまない、ふたりとも」
彼が怒るのも当たり前だ。主人が悲しませる者など敵に等しい。これでもまだ優しい仕打ちだ。
「構いません。きっと、それが現実なのでしょうから」
やがて、月は天上に座する。夕飯は簡素に果物と肉を焼いたものだった。
「私も何かしら料理を作れたらいいのですが」
恥ずかしそうにはにかむ少女にまた胸が痛む。俺はまだこの床から動けそうにない。情けない。なんて情けないんだ。
「口に合わなければ残していただいてもいいですよ。ゴドーが食べますから」
「クウウ」
ゴドーは不満げに喉を鳴らすが、抗議はしない。
「いや、有難く頂くよ。ありがとう、グリィナ、ゴドー」
彼女の皿に肉は無い。俺はそれについて問わない。互いにまた傷つくだけだと分かりきっているから。ゴドーは既に食事を終えているようで部屋の隅で羽根の手入れをしていた。
食事を終えると、グリィナは食器を片付けて台所へと消えた。その間、この空間は沈黙に包まれていた。ゴドーは自身の手入れに夢中のようで俺に見向きもしない。俺も、ただ ぼぅ と外の月を見上げていた。
「せめて、もう誰も死なせはしない 」
視界がぼやけてくる。睡魔が来たのだと自覚する前に眠りについた。
「あら、もう眠ってしまいましたか。いい事です。それだけ回復が早くなりますから」
グリィナはゴドーに何か言付けをしてから、階下に降りていった。
-...."-..
「朝食にしますから起きてください」
その声に反応して飛び起きた。心臓は バクバク と波打ち、頭は焦燥感に塗れて働かない。
「グリィナか?」
「そうですよ。凄い汗ですね。悪夢にでも魘されましたか」
「よかった」
安堵に身が落ちる。この現実を噛み締めるために。
「あ、2度寝厳禁ですよ。ほら、起きて」
目覚めればまた知らぬ土地へと飛ばされてしまっているかと慄いていた。ここから離れてしまうことに俺は恐怖していたんだ。
だが、俺はその感情を抱いてはいけないはずだ。兎はいずれ牙を剥く。その時が来るまでに去らなければいけない。必ず。
「まずは布を取替えますので、可能なら自分で服を脱いで貰えますか」
「ああ」
昨日よりも大分動くようになってきた。
「うん。順調に治ってきていますね。それでは失礼します」
この時間はやはりもどかしい。色々な意味で。終わるまで何も考えずに虚空を見つめるしかない。
「よし。それでは、朝食にしましょう」
その微笑みは何時まで見られるのだろうか。指折り数えられるほどでなければいいのに。
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