14' 黒き姫よ

プツプツ と耳が劈く。


「�攣:惡?挲嫢」


聞こえない。 お前はけたたましく鳴いているだけで、俺には何も届いちゃいない。


「縺セ縺溘�縺ィ縺、縺阪∩縺ッ繧上◆縺励↓縺。縺九▼縺�◆」


足を鳴らして虚空へ消えた。懐中時計はカチリと鳴り止む。 世界はまたグルリと回転した。


空は紫に染まりて、雷鳴が唸る。獣の鳴き声が聞こえたと思えば、途端己の脇腹が喰い破られた。


「ぐぁぁあ!」


痛みで視界が明滅する。傷口は徐々に温度を失っていく。手で抑えても止まりやしない。


「ウォウォウ」


勝鬨の雄叫び。もはや決したと言わんばかりにその足取りは優雅。白銀狼の目は夕食を前にした貴族の子供。


終りだ。


死を悟り、ゆっくりと目を閉じる。


恐怖に喚くこともなく、不思議とその運命を受け入れられた。


「ククェ」


間際の奇妙な鳴き声に顔を上げると、見覚えのある漆黒の鳳。気だるげな三白眼。その名はゴドー。いつにも増してその瞼は重い。


「ガルル!」


一転して狼は皺寄せ、その牙を煌めかせる。ゴドーはそれをただじっと見つめていた。


「グァ!」


一瞬だった。狼は飛び掛かろうとしたのか、いや、それすら分からない。分かるのは、狼は断末魔を上げてその頸を落としたということだけ。


かの怪鳥はいつの間にか俺の隣にいた。


「クァ〜」


まるで溜息を漏らすかのようにひと鳴きした後、彼(?)は俺の首根っこを咥えて飛び立った。


既に限界を超えていた俺は、天から景色を見ることなく眠ってしまった。



-...."-


クツクツ と湯が煮える音。


薫るラベンヌの花。


眼は未だ開かれそうにない。


時折か細い息遣いが聞き取れる。


「よく連れてきてくれましたね、ゴドー。手当が遅れれば危ない状態でしたから」


「クルルゥ」


息災だったか、と思うほど長い付き合いではないのになぜか安心してしまう。


「エーファ」


魔族領の片隅に坐する黒き姫よ。どうして再び相見えてしまったのだろうか。


「あ、意識が戻りましたか! 患部は痛みますか? ゆっくりでいいですから教えてください」


俺は首を横に振り、彼女に目をやる。その姿は相も変わらずこじんまりとしていて、見るからに か弱き乙女。


「私からは何も聞きません。ただ、とだけ」


その優しき眼差しはいかなる嘲りよりも心を抉る。俺はそれを向けられるような人間ではないのだ。


「今すぐ、俺を捨てるか、殺せ。でなければ、お前たちが死んでしまう」


火宅なるはそれこそ眼前に陽炎。繋がれた鎖に素手は及ばず。もうたくさんだというのに、餌だけは与えられて。みっともなく、貪る。


終わりにしよう


終わりにしよう


「いきなり何を言い出しているのです。 お腹に爆弾でもつまれましたか? 何にせよ、重傷の貴方を見捨てるわけにはいきません 」


胸が痛む。その痛みは神経から脳へと至り、最悪の結末が想像されて、今すぐに舌を噛み切ろうと試みたが、壮絶な痛みが決意なき死を躊わせた。


「何してるんですか!?」


悶える俺をエーファは目を白黒させながら取り押さえた。いくら彼女でもけが人であればそれは容易なようで、舌に薬を塗られた後に布を噛まされた。


「いいですか! 貴方が死のうが死なまいが勝手ですが私の目の前で死ぬことは許しません!我儘でしょうけれども、ここは家主である私には従ってもらいますから!」


我儘? いいや、君は正しい。なんて徳のある娘なんだ。だが、その正しさが君の命を奪うだろう。君は正しいことをしたのだろうけれど、それが決して得には繋がるわけではないんだよ。


「とにかく、今は大人しく寝ていてください」


己の弱さがまた一人殺める。そんな気がしてならないのは窓の外で笑う兎の顔がチラリと見えたからに違いない。


-..."----


目を覚ませば月明かりが差し込んでいた。この曇り切った魔の地がこんなにも晴れ渡るのかと驚愕していたが、彼女たちにとってそれは珍しくとも何ともないようだった。


「今日はまた一段と輝かしく」


どうしてか、 と口を開こうとしたが布を噛まされていたことを忘れていた。モゴモゴ と言葉にならぬ声を漏らす。


「もうあんな事はしないと誓いますか?」


俺は首を何度も縦に振り、布を取り除いてもらった。


「この地にも月光は照るのか」


大分舌っ足らずになってしまったが、まあ、会話は問題ないだろう。


「私たち魔族が嫌うのは闇を浄める太陽の輝き。むしろ、万物に魔力が満ちる月の光は好ましいものなのです」


なるほど、あの紫の雲は太陽を遠ざけるだけのものなのか。


「それが魔族の宿命。実際にその輝きを目にしたことはありませんが、恐らくこの身は─」


「やめろ。そんな話は聞きたくない。それよりも喉が渇いたから茶を淹れてくれ」


口が渇く。どうか、彼女だけは─。


なんて、通るはずがない。


あの旅は彼女の死の前奏曲。


逃げ道はどこにある?


兎の目を掻い潜る抜け道は?


力のない俺たちはどうやって?


「はい、どうぞ。あれから貴方の助言に従って淹れるようにしたんです。そしたら、いい感じの美味しさにはなるように仕上がりました」


曇り無き湯気が視界を揺らす。


ただ無心に差し出された茶を口元へ運んだ。


「温かくて美味いな」


本当は分からない。その熱さも痛みも味も香りも。でも、どうしても彼女の自慢気な顔を歪ませたくはなかった。


「なんですかそれ。褒めてるんですか?」


「ああ。今の俺には温かすぎる」


あの時、変わっていれば。慚愧はさらに神経を弄くり回す。押し出された過去を何時までも今に重ねる。


一寸先は闇。その1歩を踏み出す勇気は未だ湧いてこない。




















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