11' 仄暗い海の底で

 冷たく暗い海の底でようやく死ぬる心地よさ。


 まさに煮えたぎる窯風呂から解放されたがごとし。


 ただ、それも意識という地獄の蓋が開くまでのごくわずかの間だけの極楽にすぎなかった


「あ、起きた」


耳に水かき、視線を下げれば魚の尾。しかし、上は何ら人間。


御伽噺は好きだった。人魚の逸話も母によくねだった。でも、それは荒唐無稽だからこそ惹かれるのであって事実目の前にいる彼女の造形は奇妙で不安。妖艶な笑みは恐怖を掻き立てる。それはきっと、彼女に対してではなく、俺がまだ生きているという事実に対してだ。


「殺してくれ」


「んー?」


「早く俺を殺すか、喰うかしろ。でなければ、お前を殺す」


「あー、もしかしてここイカレちゃった? 助けるのが遅れたかな」


会話をするつもりはない。どちらかの死をもってこのやりとりは終わりにしよう。

喉元めがけて歯を立て、喉笛を引き千切ろうとしたが頭に衝撃が走り、意識も途絶えた。


「なーんか面白そうな玩具だあー。とりあえず、持って帰るかー」



.-.--.-


「木の裏、胚に志毛、ほほほ。タケの無間林、孤影の恩煌」



弦楽器よりも先鋭で鈍重。耳に入ればひとたびに、忘るることなき天使の歌声。水の闇の中、歌姫の歌謡に皆集う。


ゴポゴポ と口から泡は漏れるが息は漏れない。俺はどうして水の中で生きているのか、こんなにも視界が明瞭なのか。そんなことはもう考えても無駄だなと諦めた。


「およ、気狂いの道化師さん。 どうだい気分は? 初めて見た時は驚いたよ。どうにも水神の加護に恵まれてらっしゃるようで。 きっと、その指輪だね」


歌姫が指差したのは右手。目をやれば見覚えのない銀の輪。その冷たい煌めきは彼女の瞳。


「うわあああ!」


外せない! どんなに引っ張ろうが、捻じろうが。岩に叩きつけても岩が耐えられない。


指を千切ろうとも指自身がオリハルコンのように呪われている。


「あはあ! 見事に呪われてるねぇ。そりゃ随分と深い執念だよォ。 加護というよりは祟り。 君はらしい」


「違う! そんなで俺を見るな!俺が! 俺が何をしたって言うんだ.........」


指輪は答えない。滑稽な光景に人魚は腹を抱える。


「なんて陳腐な愛憎劇。これじゃお客は舞台を痰壺にしてしまうよ。それでも、このフェアラは聞いてあげよう。どんなにつまらない結末でもいいからさ」


「黙れえええええええぇぇぇ!!」


何も知らぬ雑魚が俺たちのことを冷笑するな。くだらぬ物語? ならば、お前との物語はもっと下劣で退屈な顛末にしてやる。


女の頭を砕こうと拳を振り上げるが、魚の槍が上がった腕を貫いた。


「ぎゃああああ!!」


「そんな鈍さじゃあカジキのえじきだよ。もっとも、彼にとっては自分以外皆ノロマだろうけどね」


カジキの槍を引き抜こうとするが、が肉の繊維に引っ掛かるので中々抜けない。


「あ゛゛゛っ!」


「そんなことより早くフェアラに話してよ」


「う゛う゛ぅ゛!」


痛みで呂律が回らない。伝達回路は痛みしか伝えないから簡単な言葉さえも抽出しない。


「気狂いなだけで弱っちいのな。とっても素敵」


フェアラは愉しげにかしづいた。


「君は溺れ死なないから、きっと他の人間よりも永く楽しませてくれるよね。特に、プライドだけが肥大した貧弱者の狂想曲は聞いていて心地が良いから」


カジキは抜けない。痛みが邪魔をして3分の1すらも。諦めて、カジキの刃筋に指輪を叩きつけると槍は綺麗に折れた。


「ぎげげぇ!!!」


カジキは奇妙な鳴き声を挙げながら、渦潮の中に消えた。


「なるほど、呪いを逆手に取った。これでお相手さんも少しは浮かばれたんじゃない?」


一部は刺さったままだが、それでも幾分かマシだ。


「人魚は、随分とお喋りなんだな」


「ようやく絞り出した言葉がそれかい?強がりもいいけど顔色悪いよ? 残りはフェアラが優しく抜いてあげようか?」


滲み描く青葱の弧に脳味噌が煮えくる。笑うな。嗤うな。哂うな。


「まな板の裏側で腐ってしまえばいいのに」


「ざぁんねぇん。フェアラは食卓に上がればひとたびに余すとこなく食まれるの。だって、フェアラは人魚だから」


傷ついた腕は上がらない。溜飲は上がるばかりなのに。


「最近は誰も来ないから話し相手がいなくて暇なんだよ? 魚たちは游ぐだけでちっとも喋らない。フェアラの歌を聞くだけ聞いて帰っちゃうからつまんない」


「はっ、それはお前の歌にしか興味がないからだ。お前自身は誰も見てはいない」


「歌はフェアラなんだから君の言ってることは単なる願望にすぎない。せめて、。なんて可哀想な人間。ここまで可愛い子は初めてだよ」


「お前はただの音波発生装置だ。発せられる音以外、お前に魅力なんてありはしない。誰もお前に人格など求めていない」


「そうだね。でも、フェアラはそれでいいんだよ。それが存在意義なら。で、君は?君の存在意義は?」


無言で腕を鞭のように振り回す。もちろん、刺さった槍でこの騒音機を壊すために。


「さっちぇー」


その腕は届くことなく、俺は触手に絡みつかれた。四肢が、頸が絞まる。痛ぃ、苦じぃ。息が........


「殺しちゃだめーよ。この愉快な男の子はメーグのお友達にするのだ」


絞められた意識は酸素を求めるがあえなくブラックアウト。これから先のことを懸念する余裕すらもなかった。


「これからよろしくねぇ〜。憐れな道化師くん♪」


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