10' 因果は廻りて

「ごめんね、ファル君」


当たり前だ。俺の旅に強くなる要素など一欠片たりともなかった。期待などしていなかった。それでも、こんなに惨めな姿を晒してしまったことに対する慚愧で身悶えしてしまう。


「ぅううう」


「何処か痛いの!? 」


「頼む.......今は俺を見ないでくれ。独りにしてくれ。お願いだ。俺を見るな」


いつまでもまとわりつくのは体裁と虚栄。捨てたはずのちっぽけな自尊心が未だに蓋底から神経を撫でる。食いしばる歯が ギチチ と削れていく。


「...わかった。外で待ってるからまた落ち着いたら声掛けてね」


物憂げな顔。だから、そんな顔で俺を見るな。出ていけ、出ていけ早く!


「うぁ」


嫌な記憶が脳内環状線をグルグルと巡回する。車掌はニヒルに。


足でまとい。役立たず。肉壁以下。利敵存在。ゴミ。クズ。


あの戦闘はもっとああすればよかった。あの時の言葉はあれのほうが良かった。もっと早くにパーティから抜ければよかった。


逃げ出しても記憶が消える訳では無い。降って湧いたように掘り起こされる苦痛は俺を無慈悲に切り刻んでいく。


「ぁあぁあ」


グシャグシャ と頭を掻き毟るが余計に痒くなる。その程度の足掻きで消し飛ぶものではないのは自他ともに明白だ。


「ファル君」


そっと森の香りに包まれる。


「大丈夫。私は敵じゃない。貴方を傷つけはしないから」


オアシス。 近づいてはいけない危険な場所。しかし、それ以上に魅力的な楽園。俺はもう耐えられない。


抱きしめ返すと、 暖かった。夏なのにその温もりが心地良い。


「ファル君に何があったかなんて分からない。でも、私から何も言わない。ファル君がいつか吐き出したくなったら受け止めるだけ」


スクッテシマッタ。どうしたら、零さぬように生きていける? どうしたら、この時が一生続く?


「だって、ファル君も私を受け止めてくれたから」


その日はそれからずっと一緒にいた。はなしたり、はなさなかったり。煩わしい夏の暑さは何処かへと消えてしまった。



「ねぇ、もう何処か遠くへいっちゃおうか」


シャナータは笑いながら問いかける。


「こんな里に居ても、もう幸せな事なんて何もないから。いっそのこと、一緒に姉さんを探しにいこうよ。きっと、ネル君とならどこまでもいける」


「でも、俺弱いから」


「こう見えて、私結構手練だったりするのよ。魔法の才能だけはあるから。それに、私たちの旅に戦いなんて必要ない。強かったら、怖かったら、逃げたっていい。それを咎める者なんていやしないから」


外は夕陽で焼け染まっていた。橙色の光が里に降りてくる。


俺はようやく、羽を休める場所を見つけたような気がした。


「シャナータ......」


「なぁに?」


「俺の名前、これからは本当の名前で呼んでくれないか?」


「ファル君の真名? ふふ、これでようやく君に一歩近づけたのかな?」


悪戯げに笑う彼女は今までで1番嬉しそうな声を挙げた。瞳に陽が落ち込み、揺れる。


「ああ、やっと、俺は、何だか、立ち上がれる気がするんだ。シャナータのおかげで」


そうだ。いつまでも、逃げているだけじゃダメなんだ。向き合わなければ、他人と。己と。


「俺の名は─「マルク殿。長がお呼びだ」


立ち上がり、見上げれば既に陽は堕ちていたようで。


「やぁやぁ、貴殿がかつて勇者一行に属していたとは」


あれ、と思う間もなく、希望は絶望へと塗り代わり、


「先達の無礼を長としてお詫び申し上げる。いやはや、我が里のの尻拭いをしてもらったようで感謝感激雨嵐といったところであるなぁ、わはは!」


あぁ、兎の嗤い声が木霊する。踊れ踊れと。きひあひうひひ。


「特に、マルク殿の貢献は大きいものだったと、かの王から聞いておるぞ! まっこと、天晴れ!」


汚い笑顔、偽りの賞賛。 これが謀りだと俺以外思わぬ。見ろ、あの醜い顔を。緑色の目を。鏡を見よ、お前は怪物だ。


「荒野の魔女『イヴァール』の討伐、里を上げて御礼申し上げる!!!」


シャナータ。お前は今、どんな顔をして俺を見ているんだ?


失望?憤怒?憎悪? いずれにしろ。


腹の真中が熱い。せり上がってくる。


「 シャナータ!!」


お付きの男の声はこんなにも爽やかなのだな。今際の際で聞くのがこれか。きっと、彼女は己を殺すだろう。だが、裏切り者の末路のとして相応しい。察していながら黙っていたのだから。


目を閉じて、その時を待つが一向に終が来ない。腹の熱さは? 苦痛すら感じないのはなぜ? これは─


「ぁ」


紅白のグラデーションはこんなにも儚く。床に濡れるは血で涙。突き立てられた銀の刃はどの彫刻よりもアヴェ。永遠に凍りついて。


「亜亞瘂鵶孲鐚婭椏唖!!!!!!!!」


駆ける。翔ける。とにかく、離れなければ。今すぐ、ここから消えなければ。忘れなければ。逃げなければ。早く、速く、はやく。


「因果は廻りて戻り来よ。なぁんてものは条理だろ? 馬も鹿も君を哂ってるよ。ほら、見て、見て見て、見ろ! これはお前がやったんだ!! 」


兎の歯茎てらてら。牙は黄ばんで、紅い。


「違う!違う違う違う! 俺のせいじゃない! 俺は最初から!俺は、違う!!!!俺のせいじゃない!!!!」


なら、今すぐその牙で喰い殺せ! それが罪と言うならば今すぐここで俺を断罪しろ!


「だぁから、それは報いじゃない。裁きでもない。 それはんだよ? 分かってるはず。君は察しがいいからね。でも、君は愚かにも縋った。条理を望みながら、不条理に身を委ねた。これはね、君が招いた惨状なのさ」


「うぎぎぎぃぃぃぃ」


分かっていた。解っていた!わかってたわかってたわかってた!だから!逃げ続けたんじゃないか! なのに! どうして! 俺は!


口から汚物が零れ落ちる。今朝のスープと彼女の愛。涙と鼻水にも溶けて消えて。



現から逃げ惑う足は空を切り、体は蝶へと変わるはずもなくオチテいく。


下が海だと気づいたのは溺れ死んでからだった。


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