8' 聖なる森から
眼前に踊るはいつかの白樺。いや、兎。
「入場料はいらないけど、退室料は耳を揃えい!」
愉快に耳を揺らして、牙を奏でる。
「なーんて、ここは楽園!来るもの拒まず、去るもの追わず。けれど、去るものも結局は舞い戻るものね!」
「ばばばばばばば」
「うんうん! くだらないよね! でも、世界なんてそんなもの!御前は、、、、あはは!」
垢穢。ここのどこが楽園だ。餓鬼たちの墓場じゃないか。
「飢えた獣でも自身の肉は食まないよ! え? 僕はもちろん、この耳! 」
「ううおおうえあ」
「うんうん、そうだね。 踊ろう! 今度は僕が謳うから君はDAN!」
確固たる決意もなければ意思もない。
壮絶に直面すれば90度でも180度でも思想信条は移り変わる。
その変化が恐ろしい。
いや、変化そのものが恐ろしい。
どうして僕らはあの日の中で終えられなかったのだろう。
俺はどうして
こんな
「無論、殺せ」
人が豚を屠殺するときに殺意など抱くか? それはエルフが人間を殺すも然り。白楽した意識は冷酷なる宣告で一気に鮮明となる。
「あ」
剣が振り下ろされる。
死
恐怖する間もなく、己は死ぬのだな。
「お待ちください!」
鉄の冷たさがうなじに伝う。すんでのところで一命は留められた。
「シャナータ、賤民のお前が口を出すな」
「しかし長よ! みだりに殺生をするなど女神の御意に背きまする!」
「ならば、この汚らわしい生物を里に置けと? 卑しくも我らを攫いに来た賊なのかも知れぬぞ?」
「賤民の私と同じ場であれば構いませんでしょう?せめて、身元が明らかになるまで慈悲をかけるべきでございます」
仰々しい椅子に座る女性。透き通るような金髪、蒼く輝く瞳、穿つように尖った耳。この世界で1番慧く、魔法に長けた種族。長寿で、選民思想が強く、己の種族以外は下賎と見下す高慢さを持つ。すなわち、エルフだ。
「賤民と言えども、お前は優秀だ。だからこそ、この屋敷で使ってやっているのだ。この私の配慮が解らぬのか?」
「長の心遣いは十分に承知しております。しかし、その上で私はお願い申し上げるのです」
長と呼ばれる女性は項垂れ、眉間を3度ほど擦る。
「であれば、シャナータ。この男はお前に全委する。この男が起こすであろう全ての責任はお前が被れ」
「御心のままに」
全くと言っていいほど状況が掴めない。ここがエルフの里であることはなんとなく察した。しかし、聖域と呼ばれるほどに他を寄せつけないこの場にどうして俺がいるのだ? いつ? どうやって? そもそもあれから──
「さっさとその人間を連れてこの場を去れ」
理解する間もなく再び気絶。意識が戻れば汚いに小屋に転がされていた。
「あ」
端麗。形容するならば木漏れ日の湖。エルフは皆、美形というが彼女はおそらく人間の想像を超えている。
「どこか痛むところはありませんか?」
「いや」
「申し遅れました。私、シャナータと申します」
「俺はどうしてここに?」
働かない思考で会話がまともに成り立つわけない。相手を慮る余裕などなく、己のことを第一として進められるものだ。
「里を出て直ぐにある畔に倒れていたようです。遊びに出ていた子どもたちが見つけ、門兵が貴方を捕らえました」
分からない。あの吹雪の山を超えると聖域につくのか? 無我夢中で越えたにしろ、ここまで記憶がないものなのか。
「我らは排他的種族。異種族が生活圏に入り込むことを非常に恐れております。故に行き倒れたであろうあなたですら賊として排除しようとしました」
「別におかしくはないだろ。知らない奴が聖域に入り込んできたら始末するのが普通だと思うが」
家に入ってきた害虫を殺すようなものだ。なんら懐疑的な対応ではない。
「この《険しい山に囲まれただけ》の土地を大層な─失礼、今のは聞かなかったことにしてくださいね」
そう言えば、とシャナータは指を立てる。
「貴方の名前を聞いていませんでしたね」
「別に名乗る名前なんて─「それでは私が勝手に呼びます。そうですね、ファル君。うん、ファル君と呼びます」
「はぁ」
「実はこれ、私の姉の名前から取っただけなんですけどね」
恥ずかしそうに舌を出す彼女はなんだか侵すべからずの領域にいた。それゆえに、かける言葉もなし。俺は一方的に彼女の聞き相手になった。
「私の姉は女神に背きました。故に、里から追放され、親族は皆賤民として蔑まれることになりました。エルフは誇り高き種族。私以外の家族は当然として自死を選びました。私は怖かった。なぜ当たり前のように皆死んでいくのか。私より幼い弟さえも憚ることなく、刃を喉に突き立てました」
ポツリポツリとシャナータは零していく。俺はただ聞いているだけ。それだけでもシャナータは休むことなく、語り続ける。
「私は、姉を、大好きだった姉にもう一度だけ、一目見てから死のうと思いました。でも、それもきっと生きるための言い訳。死ぬのが怖いだけ、臆病なだけなんです」
「別に臆病でも、生きているだけでいいじゃないか」
それは彼女に向けて言ったのではないだろう。己に言い聞かせるために。俺の傷を抉る言葉から護るために。
「よいのですかね。生きているだけで 」
「いいんだ。よくなくても生きていれば」
星降る新月の暮れ。
ここでの生活は思ったよりも長くは続かなかった。
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