6' 我楽苦多の
何を走っている?何に焦っている?俺は、どうして、こんな!
景色がグルグルと巡るのは狂ったからに違いない。
鈍く光る地に虹に染る空。果てしなく続く平線に終わりはない。天を穿つ1本の柱が折れては生えてを繰り返す。餌を求めて走るネズミが鷹に喰われた。夢物語の妖精が狂喜に溺れて地に伏せる。空想の産物たちが戯曲に合わせて真を演じる。歌は雄々しく、舞は儚い。
「ようこそ!ようこそ!条理の国へ!ここでは幸せ以外は兎の餌だよ!さぁ、わっらって!!」
白兎が看板を振り回して、ケタケタと唆す。端から溢れる牙はキマイラすらスポンジ。
「これね! 八重歯!」
「あひあひあひあひ」
「そうだね! 幸せ!幸せ!幸せ〜!縷鐚?偈趲b瀰@k!?'.」
トリップ。
目覚めた時には何かの巣穴だった洞窟。朽ちたゴーレムは欠けた頭蓋に口付けをしていた。
「あひ」
照る月は妖しく、神さびて。
奇異に照らされた精神を浄める。
今朝、口にした植物のせいだろう。
もう、彼女の家はわからない。
植物はいつの間にか緑へと活きていた。
「生体認証エラー。生体認証エラー」
暗闇の底から聞こえるのは死んだ女の声。一刻も早く離れたいが身体は言うことを効かない。
「わ、たしの、名を、もう、一、度、だけ」
「アネ、モ と」
悲しげに紡がれる不文律。その背景はきっと─
「黙れ!!」
不愉快だ! きぃきぃと軋む四肢の音も、表面だけの音声も、俺に向けたものではないだろ!!!
「誰でもいいくせに! 俺に救いを求めるな! 抑揚だと?狡い真似をしやがって! お前らは棒だろうが!」
「ます、たぁ」
媚びた機械音に吐き気を催す。どうしてこれほどまでに俺は気分を損ねている? 何が不愉快なんだ? 何に怒りを?
「独りにしてくれよ......」
どこもかしこも行く先々で先客だらけ。たった3度といっても、正直疲れるし、不満も募る。
「さび、しい、よ。ひと、り、ぼっ、ちは、さび、しい」
「壊れかけの人形の方がよっぽど人間らしいな」
呆れ混じりに怒りが沈むと眠気が訪れる。床は固く冷たいがお構い無しに意識は消えた。
「おはよ、う。おはよ、う。おはよ、う。ござ、ぃす」
目覚ましの主は半壊の自律型人形。陽は正体を明かし、俺は溜め息が漏れた。
「まさか古に伝わりしメイド服とはこれもまたマニア騒がせだな」
いつの間にか見られなくなったゴテゴテの装飾。
「身体はまだ今ひとつ、か」
己の肩を動かす。全身は動けるがそれまで。時間には縛られていないので全快を待つ。
「本、日は、快晴」
瑠璃色の瞳は俺をじぃと見つめる。
「言っておくが快復すれば俺はお前の事を見捨てていく。悪く思うな、と人形に言っても。いや、お前は感情ありそうだしな」
「いかないで」
まるで置いていかれる幼き子供のような声。
「生憎、お人形さんまでに感情を割くほど出来た人間ではないのでね」
洞窟内には水が湧いていた。わりと澄んでいたので飲んでみると、飲めなくはなかった。腹が空いたがあと2日ほどは持つだろう。
「朝は、スープ、を作らないと」
ギシギシと軋ませながら人形は立ち上がり、洞窟の奥へと消える。数分後、汚い皿に草の煮汁を入れて持ってきた。
「なんだ、動くのか」
「ますた、ぁ。朝の、スープです、よ」
欠けた頭蓋の前にスープを置くとまた同じ場所へと戻り、カタカタと口を鳴らした。
「元より俺は眼中になかったか」
思わず出た言葉にまた苛まれる。これは俺が人形を意識していたことに他ならないから。早く治れ。
陽が落ちると人形は歌い出した。その歌は千差万別で知らぬ歌、知る歌。地域問わずの子守唄。
「小麦を踏んで子牛の腹。鍬に阿児、木菟が囀る」
「あ」
記憶が駆ける。懐かしき日々。母の声。どんなに白をぶちまけても彩やかに微笑みが浮かぶ。かき消せぬ憧憬。否、忘れがたきあの太陽と月。耳を塞いでも、口から吐き出しても、湧き出る懺悔が枯れることはない。
「母さん......父さん......」
死んだのだ。
決して醒めることはない。
現実。現実。現実。
背けてきたモノが心臓を突き刺し、脳裏に焦げ付く。
「うぁあ」
なあ、せめて死に目には合わせてくれよ。せめて丁寧に弔ってくれよ。せめて────あの人たちだけは幸せに逝ってくれよ
「あぁああああああ!」
とうに昇華しているものだと思っていた。俺は全て噛み砕いた上で、この世界に立ち、生き、過ごしているのだと。だが、ただ受け入れていないだけだった。
やっぱり俺は何事からも逃げてしかいなかった。
彼らが生きていた証はもうどこにもない。家も物も何もかも既に消えてしまった。彼らは世界から消えてしまった。
「う゛う゛ぅ゛」
クリーム煮も芋のチップスももう口にすることは無い。浮世離れしていた思考は一気に引きずり落ちる。
「あ゛ぁ゛ぅ゛う゛」
失ってしまった。もう戻ることはない。怒っても呪っても、どうしようもない。それでも悲しい、苦しい。わからない、わかりたくない。いやだ、イヤだ、嫌だ。
悔いの念は喉元を入念に炙った。鼻から透き通るのは酸い思い。意志の梯子を蹴り飛ばして、蹲ることしかできない。
それでも人形は歌を止めることはなかった。
翌朝、異臭で目が覚めた。口周りは胃液にまみれて、衣服はまだ無事。口をゆすいで、水を飲めば意識は明瞭になってきた。どうやら身体ももう大丈夫らしい。
「.........」
人形は何も言わない。
もうずっと前から事切れていたかのようにただ虚空を見つめている。
彼女の目を見ると、そこには星なき夜に咽び泣く少女の姿が見えた。
俺はそれを尻目に洞窟を去ることしかできなかった。
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