5' 安息の地へ
俺の足はさらに北へ北へと歩みを進めて行った。腹が空いては土を食み、時折降る雨は乾きを潤してくれた。ここで陽を見ることは無い。喧しく光る太陽は灰色の雲に隠れて顔を見せないから。それがなんだか居心地が良かった。
それに、夜が来ることも無い。常に灰色の空の下で歩んでは休み、休んでは歩む。
土の味にも慣れてきた頃、空は一段と黒みを増し、また枯れた地も紫の草を生やした。
魔族領。聞いていた文言と一致する。本来ならば海を跨がなければ来られない地へ己は来てしまったようだ。あぁ、やはり理解できない。なんて世界は奇天烈で度し難いのだ。
クェキァ と近くの怪鳥が気味の悪い声で啼く。
「いっそこのままあの鳥に喰われてしまおうか」
「ゴドーはグルメだから貴方みたいな不味そうな人間は食べないと思いますよ」
幼い女の声が背後から聞こえるが振り返ようとも思わない。ただ、ボーッ と鳥を眺めていた。
「無視ですか。失礼な人間ですね」
殺されると思ったが ちょん と小突かれるだけだった。
「どうした? 人間の俺を殺さないのか?」
「まるで殺して欲しいと云わんばかり。死にに来たのですか?」
「いいや、別に。 ただ、ここも既に先客がいたなと思っただけだ」
「ワケありですか。..........着いてきてください」
その手は驚く程冷たかった。手引く力は人間のものと何ら変わりなかったが逆らう気も湧かなかった。
「わたしとゴドーの家です。どうぞ、中に入ってください」
なぜか俺は目を瞑っていた。まるで新築に案内された家の主人のように。目を開くと、藍色の肌と黒に染まった目をした少女が佇んでいた。
「いいのか? 小汚い人間なんか入れて」
「どうせわたしも似たようなものですから」
「キァ」
家の中は中流家庭のようなオーディオな内装だった。椅子を引かれたのでそこに座る。
彼女は黙ってカップを3つ用意して、拙い動作で紅茶を注いだ。
「どうぞ」
「クエ」
ゴドーと呼ばれる怪鳥は器用に嘴を突っ込んで紅茶を飲んでいた。あまりにも珍妙な光景だったのでカップを手に持ったまま、見呆けてしまった。
「飲まないのですか?」
「いや」
口を付けると、お湯の中にほんのりと葉の香った。要するに、とてつもなく薄い。
「あぁ、また薄くなってしまったのです」
茶葉がまともに使えないほど困窮しているのかと思ったが単にこの子が淹れるのが下手なだけのようだ。
「貴方も逃げてきたのですか?」
沈黙は長く続かない。静寂は彼女のお気に召さないらしい。
「世界の何もかもからな」
「なら、歓迎です」
むず痒い雰囲気だ。どちらが先に口火を切るのか。俺にはまだその勇気はない。
「先程、貴方は殺さないのかと言いましたですね」
「あぁ」
「わたしにはできないのです。物理的に」
「そうなのか」
「もう気づいてるかもしれないですが、わたしの力はそこらの人間の少女と何ら変わりありません」
「へぇ」
「そのわたしがもし、魔王の娘だと言ったら信じますか?」
「どうでもいい」
本当にどうでもいい。自慢か? いや、話の流れ的に自虐か。それでも、彼女の境遇なんて心底興味が無い。
「その方が、わたしにとってもありがたいです」
彼女は薄い紅茶を ズズ と啜った。
「エーファと呼んでください」
「ああ」
「貴方は?」
「どうせすぐに出て行く身だ。覚えてもらう必要はない」
ここに長居するつもりはない。何者かと関われば必ずその者の問題に巻き込まれる。そして、魔王の娘ときた。これはもう巻き込まれてくださいと言われているようなものだ。彼女のことはどうでもよいがその周辺で起こりうるであろう災禍の巻き添えは勘弁だ。漸く、何のしがらみも無くなったというのに。
「この先を貴方1人で行こうとお思いですか? 残念ながら、それは不可能です。私とてゴドーが居たからこそ、ここまで逃げ仰せたのですから」
「そこで死んだら、そこまでだったということだ」
「そうですか。なら、わたしもそこまで深入りはしません。ただ、いつかまた、あいまみえたときに」
「なら、
「フリエラ、貴方の旅に幸あらんことを」
なぜ祈る? ほんの少し前に初めて会った男のためにどうして慈しみが持てる?不可解だ。やめろ。情が湧く。また、苦しくなる。
「それは、どうも」
一刻も早く、この場から去りたい。不味い紅茶を空にして、床を蹴る。
「紅茶をありがとう。元気で」
俺が彼女の名を覚える前に。顔がぼやけるているうちに。声がにじんでいるうちに。色が褪せているままで─。
そう思って地を蹴るが、視界は真下へと急降下した。
「フリエラ!」
彼女の声が遠く聞こえる。俺の身体は既に限界だった。
--'-
優しい花の香り。柔らかな物に身体は包まれている。眼を開けると俺はベッドに横たわっていた。その隣でエーファの頭が船を漕いでいる。
「過労で倒れたのか」
誰とも言わずに察せられる。 倒れた俺を彼女はここまで運んできた。 その優しさで俺はまた呼吸が苦しくなる。
静かに立ち上がると彼女をベッドに寝かせる。口を もにゅもにゅ とさせるだけで目覚めることは無かった。
彼女が目覚めぬように扉を開け、居間へと向かう。
近くにあったペンと紙に色々と殴り書き、持っていた懐中時計を錘にして机に置く。 センベツだ。
玄関を出ると、ゴトーが留まっていた。チラリとこちらを見るが、小さく喉を鳴らすだけだった。
「俺が言えたことではないが、あの子を頼む」
そう言うと、彼(?)は言われなくともと言わんばかりに啄いてきた。
「ありがとう、エーファ」
夜に1人、男が闇に消える。
-"""---"
机に無造作に置かれた紙。
その字は微妙に汚くて、しかし、読めないことはなかった。
《ベッド、ありがとう。 それと、お茶は後数分煮出したほうがいいな。身体に気をつけて。ゴトーと仲良く元気でな》
「さようなら、フリエラ」
「クェン」
エーファは何となく理解してしまった。それ故に、彼の人生は言わずもがな。彼は傷を舐め合う相手すらも失うことを恐れた。己の手から零れ落ちるなら、いっそ、スクう前に。
「いつかその沼から抜け出せますように」
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