4' ただ不条理に


翌日、本棚にある本を調べてみたら総じて魔法の式が書き詰められていた。


つまらない。


これが本当にロレーヌが記したものだとしても毛ほども興味が湧かない。かつて己も負け惜しみで、かの神話を妄想と中傷したが、だからといって神を仇なそうとは思わない。


己の運命が神に握られていることに疑念を抱くのは、肥大した自尊心による驕りに他ならない。もし、物語内の人物が著者に対して敵意を孕んでしまったらどうなるかなんてことは自明だ。


だが、女神も女神だ。物語の一部に己を組み込むなんて自己顕示欲の成れの果てであり、それによって己の創造物に敵意を向けられるなんて愚の骨頂極まりない。


「はぁ」


やはり、この世の条理なんて理解できそうにない。ある特定の者によって総てが完全に制される世界であれば、こんな思いを持つことなく盲目に死ねたのに。


彼女がに作ったからこそ、が人間に生まれたんだ。これは意図的なものなのか? その余白に可能性を見出したのか? これを美しさだと魅入ったのか?


そのおかげで、かの勇者たちは苦しんだ。そして、今の彼らもまた魔王討伐を終えて、彼女と同じ結論に達するのだろうか。俺にはもう関係のないことだけれども。


もし、彼らが彼女と同じ思想を抱いてここを訪ねて来たらならば、快く本を渡そう。無用の長物として置いておくよりも必要とする者へ手に渡った方が良いだろう。


他に何かないかと台所の棚を開けば、 果物が実っていた。腐っていないかと思い、皮を剥くと芳醇な香りが鼻を撫でた。口に入れると、強い酸味と甘みが喉を突き刺した。食べられなくもないが好みではない。残すのも嫌だったので残りは水で流し込んだ。


しかし、娯楽品は何ひとつとしてここにはない。期待していた本もとんだ代物だった。


暇に押し潰されるか、世間に引き裂かれるか。もう少しだけ、独りで考えようだなんて余裕も出てきた。


外に出て、身体を動かす。軽い有酸素運動とストレッチ、そして。二度と握ることの無い棒切れだと思い込んでいたが、何の躊躇もなく振るうことができた。未練のような不純な感情はない。ただ、いつものように何も考えず、脊髄よりも脳よりも深いどこかに従うように。


汗は滴らない。そこまで追い詰めはしない。息が切れそうだと感じる前に全身は運動を止めて、棒は カラン と地面を跳ねる。


陽はまだ頂から動いていない。なのに酷い眠気が襲ってくる。暑くもないのに陽炎が眼前で猛る。意識する前に全て闇に消えた。


"-""--'--'



「やぁ、どうやら君は世界から見放されたようだね。命が尽きる前にここへ辿り着けたことは幸運に他ならないよ」


どこからか少年のような声が聞こえる。視界は未だ闇の中で、焦りよりも不理解による混乱が思考を硬直させる。


「そして、何故ここを目指したのか。ここへ入ることが出来た時点でだとは思っていたんだけれども、ね」


動かそうにも身体の感覚がない。溺れたと言うべきか、踠いても無駄だと試すまでもない。


「どうして本を棚に戻した? どうして無駄な剣など振るう? いや、そもそも君からは何の憤怒も憎しみも感じられない。 君はなぜここへ?」


「わからない。とにかく、逃げたかった」


そうだ。俺に大義などない。煩わしいこの世界の何もかもから離れたかったんだ。


「逃げたかった?」


「人の心も、神の心も、世にある常識も慣習も全て、もう俺には耐えきることができない。降りかかる全てを受け止められない」


「はぁ、それを糧に出来ないほどの軟弱者か」


これ以上、俺に何を求めるんだ。もう、いいだろう。ほうっておいてくれ。悪辣な言葉は陰で吐いてくれ。頼むから。もう俺には何も。


「同志かと思ったんだけどねぇ。そうじゃないならこれ以上僕の箱庭でうろつかないでくれないか。ここは旅の宿じゃないからね」


この一言で俺は言葉の主をようやく理解した。だが、それと同時に視界が眩しくなり、意識は光で潰された。


目を開けると、ススキ野原は全くの荒野へと変貌していた。小屋は消え、天候もまた昏い。何が起こったのかを理解するのに数分ほどかかった。


「何処へも行けない」


何の舞台装置にもなれぬオレはもはや何処にも居場所はない。忘れ去られた魔女の家でさえも追い出されてしまう。


唾を飲み込めぬほど口が乾いていた。辺りを見渡すが、当然水辺など無い。ここで死ぬのかと諦めて、寝そべっていると雨が降ってきた。俺はみっともなく大口を開けて、その恵みを享受した。


少しだけ甘いその雫は、1匙の活力を生み出した。


「どこへいこう」


世界は無駄に広い。ここは単にがいたということだ。どこかへいこう。ただ生きることだけのことを邪魔されぬ安息の地へ。









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