3' 野に独り 本を読む

目を覚ますと、辺りはすっかり闇に染まっていた。耳に触るのは風の柔い声だけで、あらゆる動物の生を感じることはなく、今この場に居るのは己のみだと云うことにようやく気づいた。


呆っと見上げると、右手の空に鈍い朱が見えた。夜明けかな、と思うと再び瞼がするりと落ちた。頬に触れる毛がほんのりとくすぐったいがそれ故にまた夢心地。次に目を覚ました時にはすっかり陽が昇っていた。


日中のススキ野は焼ける刻と比べて味気のない光景であった。薄い白とも茶ともいえぬ色合いは何とも特徴のないものだ。逆に落ち着くとも言えるがやはり寂しい。


ここではモンスターはおろか小動物や虫さえ居ない。あるのは時折の小風とススキのみ。いくら進んでも見てもその光景は変わりはしない。延々と野原が続いている。


不思議と空腹と乾きを感じることはなかった。ただ疲れるのは疲れるのでその度に身体を休めて、またこの野を歩き回る。時も刻々と過ぎ去り、再び太陽は傾き始めた。


太陽が地に向かうに連れて、ススキたちは色濃く煌めき始め、やがてあの神さびた光景を再見させた。俺は息をのみ、吐くことを忘れてしまった。酸欠直前で思い出しかのように吐き出して、ゼェゼェと汚い呼吸を辺りに響かせた。


この目に映る光景は至宝だ。おそらく、この為に俺は今生きているのかもしれないと思えるほどに。思考が明瞭になったのは完全に陽が沈んだあとの事であって、この時はただ夢想状態で辺りを練り歩いていた。正気に戻ると、視界の片隅にポツンと小洒落た小屋の影が目に入った。


小屋はこの野原に場違いであるのか、どこか不格好であると思えた。しかし、それでもようやくこの光景に一石を投じたのには違いない。好奇心に突き動かされ、迷うことなく小屋へと歩みを進めた。


まず、小屋の玄関の扉をノックしてみるが反応はない。手をかけると、施錠はされていないようで ガチャり と扉は開いた。小屋の中には何者の気配もなく、また長い間、人が居なかったようで生活感すらない 。


照明は問題なく点いた。 埃を被った家具たちは主の帰りを待ち侘びているようで、どことなくもの悲しげだ。ベッドにソファとテーブル、本棚に食器棚。窓際に置かれた鉢には土しか盛られていない。


眠気で限界だったので、ベッドに身体を潜り込ませる。案外埃は気にならなかった。久々にまともな寝床に身体を置いたおかげで、ようやく睡眠を享受することが出来た。


次の日は主に家の掃除をした。ある程度の生活用品はあるようで埃まみれの家は瞬く間に綺麗になった。家の裏には井戸があるようで水も枯れていない。食料に関しては、キッチンの棚にいくつか缶詰めされたものがあったのでそれを食べればよいだろう。ただ、空腹も喉の渇きも感じぬので勧んで食べようとも飲もうとも思わなかった。


掃除を終えてからは暇になったので本棚にある本を手に取った。本を手に取ると、古本特有の甘い匂いが鼻をくすぐり、なんだか眠たくなってきた。ベッドに寝転び、本を開く。


『ロレーヌよりオルガノに捧ぐ』


日焼けした紙にはそう綴られていた。


ロレーヌもオルガノのの名前だ。ロレーヌは『賢者』と、オルガノは『剣聖』と讃えられた。彼らの働きによって邪神は打ち倒され、世界は光を取り戻した。


この2人を導いたものが今かの国で信仰されている女神であり、これこそが女神信仰の始まりとされている。その女神の神勅によって此度、魔王討伐の勇者が選任され、アークの旅が始まった。


この文献を国の研究者たちは死に物狂いで求めるだろう。その光景を思い浮かべながら、また1枚めくる。


『愚かな国に処され世を去った君は今、あの女神に導かれ天に居るのだろうか。いや、地獄と言った方が正しいか。何にせよ、。生死をかけたあの日々は奴らにとって唯の人形劇に過ぎないらしい。全く、どこまでも滑稽なものだ。全ては彼女が用意した舞台の上で、まさしく望まれるように道化を演じていたのだから』


また1つ、紙をめくる。


『悔しいなぁ。 そうだろ? オルガノ。 僕らの誇りが単なる娯楽として消化されたんだ。人の輝きや尊さを説きながら、奴は思い切り踏み躙ったんだ』


目蓋が眠れと急かしてくる。本に折り目を付けて、枕元に置いて昼寝をした。


起きたあとは、身体が少し重いと感じたので軽く運動とストレッチをした。そしてまた、読みかけだったあの本に手を伸ばす。


『君が死んだとこの森で聞いた時に誓ったよ。必ず、この馬鹿げた世界を終わらせてやると。そして数十年経ったこのとき、ようやく彼女の監視下から脱することができた。これから行われるのは僕だけの復讐では無い。今も尚、踊らされている人類全ての憤怒を背負うものだ』


部屋が暗くなってきたので照明を点けた。また、目が疲れたので窓から遠くの景色を見る。変わりなく美しい輝きは徐々に錆びていった。外の光が完全に沈黙した後、再び本に目を戻した。


『このススキ野はあの頃のままにしたよ。2人でいつも見ていたあの黄金の世界は今も僕の心の中で。あぁ、オルガノ。オルガノ─』


そこから先は文字が歪んでいて読めるものではなかった。


嘘か真か、真実か創作か。どちらにせよ書くならばもう少し読み手に配慮して書いてほしいものだなと思う。


数ページほどペラペラとめくると、ようやく読める字へとなっていた。


「この文書は僕の生涯の秘密であり最高傑作だ。誰の手にも渡ることは無いだろう。もし、何者かこれを読んでいるならば、。この世界に抗う方法をこれから記す。今は神歴4年、数百年後の世界でまた会おう」


次のページからは頭が痛くなる程の式が並べられていた。おそらく、これが抗う方法魔法なのだろう。こういった類いのものは苦手だし、興味が無いので本を閉じて棚へと戻した。


陽も落ちたし、眠ろうかな



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