2' 帰らじよ 家路すら無くば
俺が村に帰ってから受けた第一声は労りの言葉でも、激励の言葉でもなかった。
「この恥さらしが!! 敷居を跨ぐな!!」
3,4人の大人に掴まれて長老になぶられた。村長に足蹴にされた。歩く度に村人に石を投げられた。親は─
死んでいた。
俺が旅に出てから3ヶ月後、病に倒れた父は快復することなくこの世を去った。残された母は森で飛べぬ鳥が淘汰されるように亡くなったそうだ。
枯れた杖の殴打よりも
枝のような蹴りよりも
民衆のチンケな礫や拳よりも
マーダーゴブリンの斧よりも
その訃報は脳と内臓をぐしゃぐしゃに抉った。俺とルーナの門出に最後まで反対していた2人が村八分にされるということは道理も知らぬ餓鬼でも分かる。それでは医者や薬も寄越されぬし、母も独りで死ぬしかなかったのも自然の摂理。だから、村人たちに復讐の念を抱くことはない。社会の慣習として当然の帰結だ。愚かなのは2人だったのだ。俺も当然、馬鹿だと思った。
だが、俺はそれが愛だと知っていた。それでも、ただ同じように嗤うことしかできなかった。己の無力さが故に醜く、汚く、白痴に。
かの家は誰かの家畜小屋になっていた。もはや、帰る場所すらないのだ。朦朧とした意識は白昼の簾に指を絡めて、顔知る者たちの嘲笑は羊の子守唄と変容する。
「あは」
神よ、どこへ行かれるのですか
道逝く聖者は嘲らるるためにその足を運んだ。否、聖なる輝きなど衆愚に理解できるはずもない。救世の神はさらなり。
いつしか、民は理解した。
彼は決して道化などではない。
彼こそ、真の─
「くだらない妄想神話のために父と母は死に俺は国賊と罵られて迫害されるのか」
どれだけ歳を重ねようとも、人の世の理を解することはないだろう。もう疲れた。この世界で生きていけそうにない。かといって、何かを変えるような強大な力も持ち合わせていないければ、いまここで死ぬる勇気も持ち合わせていない。
「何処へいこう」
居場所のない人間が足を運ぶところなど樹海しかない。村から北へ街から北へと国から北へと足を運ぶ。
女神の加護の外にはモンスターが湧き出る。だから、どんなに小さな集落にでも信仰さえあれば与えられる。
逆に言えば、加護から出ればたちまち人はモンスターの餌食となる。人気のない森林の中で未だ俺が襲われぬということは無意識下に逃げ回っているのだろう。浅ましくも死を恐れ、生にしがみつく己の醜態など意識する余裕はない。
ただただ、独りになりたかった。
何者にも邪魔されず、静寂に身を沈め、何を思うかを思う。それは自問自答に至る哲学までに及ばない。これはそのような高尚なものではないのだ。
幾つかの陽の巡りが繰り返された。俺はいつ眠りにつき、いつ目覚めているのだろうか。視界に移るものは光による刺激か闇による閉塞か しか分からない。未だその命が尽きていないということは少なからず、水を飲み、何かを食らっている。
いつしか、身体の動きは止まっていた。目を閉じると、意識は消えた。その永遠かと思える暗闇の意識は唐突に開かれる。そしてまた歩みを始めるのだ。
「ぁ......ぅ......」
もはや声の出し方すら忘れた。独りごちた思考は常に行われているのだが口頭による反復は行われていないので声帯機能の劣化は必然だろう。独りごちた思考? 当然、自己嫌悪とえも言われぬ怨恨だ。他人が悪いわけでもないし、己に降り掛かった全ての現象は自己責任で片がつく。だからこそ、行き場のない憤血が脳と心臓を循環するのだ。それでも、奥底では結局自分が1番かわいいので生体活動を止めることはしない。
己が悪いと思いつつも、片隅に屯する悲劇のヒーロー的思考が内に燻るルサンチマンを刺激する。悪質な自己肯定感が傷口をベロベロと舐め回す。
その快感の裏で募る呵責の不快感がさらに刃を立てて精神を切り刻む。そしてその傷口をまた──。
その無限背進は強烈な輝きが視界を蹂躙したことで終わりを告げた。
眩みから立ち直ると、辺りは黄金色に染まっていた。白黒だった視界は新たに生命の息吹が吹き込まれたが如く、色彩やかで尊くなった。柔らかな風に揺らされるススキたちは沈みゆく偉大な太陽によって煌々と佇んでいる。
「ぅぅぅ」
嗚咽が漏れる。滑稽な思念は忽ち美しさによる感動で塗り潰された。己がどれだけ汚泥に塗れようとも、どれだけ愚かで醜かろうとも、世界は変わらず美しい。
これ以上の思考は無駄だと思われた。
「ぃきょういきよう」
ただただそう思った。いくら思考の沼に溺れようとも世界がどうにかしてくれる訳でもない。変化を齎すのは常に己であり、他はその影響にしか過ぎない。己は何を望んだ?
いいや、もう疲れた。疲れ果てた。愚鈍で怠惰だと嘲笑うか? しかし、これが己の限界なのだ。今の俺には何の糧もない。
ただ生きよう。とりあえずは純粋な生命活動のみを行うことにしよう。そう思うと全身はすっと軽くなり、眠気が襲ってきた。
(おやすみ)
言葉にならぬ挨拶を誰ともせずに黄金の布団に倒れ込む。では、また明日に。
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