第31話 後輩と高村光太郎

 それはある放課後のこと。

 部室で試験勉強をしていたシロが、誰に言うでもなくぽつりと呟いた一言がきっかけだった。


「あー、ぼくも彼女欲しいなあ……」

「ガタッ」

「……カエデ?」


 机の向かいでマンガを読んでいたカエデが勢いよく立ち上がると、部室の隅に立てかけてあった体育館マットを床に広げて、パンパンと埃を払うとドヤ顔で言った。


「さ、せんぱい。どうぞ」

「……えっと、なにがどうぞなのかな?」

「せんぱい、彼女が欲しいって言った。つまりセックスがしたい。そして学校でのセックスといえば、体育館マットの上が定番」

「カエデ!? 先輩として忠告するけど、彼女が欲しいイコールえっちしたいって直結するのは止めた方がいいと思うよ?」

「そんなことない。いままでわたしに告白してきた男子は、みんなわたしのおっぱいが目当てだった。一人残らず」

「そ、それは大変だったね……でもそっか、ぼく彼女が欲しいって無意識に口に出ちゃってたか……」


 最近シロは、彼女欲しい欲求が日に日に高まっている。

 理由は当然、バイトでリッカの疑似恋人を演じていることにある。

 いくらお芝居(だとシロは信じ切っている)だとしても、客観的に見て滅茶苦茶極上レベルの美少女であるリッカに笑いかけられたり、上目遣いで見られたり、時にはおっぱいを押しつけられたり、背伸びしてキス待ちされたりしていると。

 もし相手が現実の彼女だったらなあ、なんて思うのは当然のことで。


 そしてこういう場合、普通なら彼女役のリッカにガチ恋しちゃう流れが一般的だろうし、リッカやマネージャーの河合もそれを狙っていたりはするのだけれど。

 しかしそこは、過去にこっぴどく振られた元カレ。

 もしもリッカが本当に彼女だったらなあ……ではなく、相手がリッカじゃなくて本当の彼女だったらなあ……という思考になるのだった。

 その二つの認識の大きな違いは、リッカを現実の恋人にしたいと思うか否かである。


「まあぼくも健全な男子高校生だからね、彼女くらい欲しいよ」

「それは当然のこと。わたしも彼氏が欲しい」

「でもカエデがその気になればどんな男でも、よりどりみどりじゃない? そんなに可愛いんだからさ」

「かかか、かわいいって……! そ、そんなことない……うううっ……」

「え、なにその反応? カエデなら可愛いなんて言われ慣れてるでしょ?」


 顔を真っ赤にして照れながら否定するカエデの反応に、シロが逆に驚いた。

 カエデは確かに、褒められているのには慣れている。

 可愛いだの美人だのおっぱい大きいだの、聞かない日なんて無いくらい。

 だから褒め言葉なんてものに、いちいち反応したりはしない。

 けれどから、面と向かって「可愛い」と言われたのは、実はこれが初めてだった。

 だからカエデが、顔どころか耳や首筋まで真っ赤に染めてガチ照れするのも仕方ないのだ。


「わ、わたしのことなんてどうでもいい……! 重要なのはせんぱいが、彼女が欲しいということ」

「そうなの?」

「そう。そしてわたしも彼氏が欲しい。しかも部室に男女が二人きり、体育館マットが敷いてある。簡単な連立方程式、導かれる答えは一つ」

「その答えとは?」

「ガチハメックス」

「……あのねカエデ? ぼく相手ならいいけど、他の男にそういう冗談言ってると、いつか本当に襲われるからね?」

「それなら心配ない。せんぱい以外には、こんなこと絶対に言わない」

「それはどうも……」


 どうやら自分は男として見られてないみたい、と内心複雑なシロであった。

 まさか実際はその真逆で、世界中で自分だけが性的対象として見られているとは夢にも思っていない。


「それでせんぱい、す、好きな相手とか、いるの……?」


 さりげなさを装ってカエデが聞いた。

 とはいえセリフ噛み噛みで、まるで装えてなかったのはご愛敬。

 カエデにとってはかなり核心に迫った質問なのだ、噛むくらいは仕方ない。


「いやそれが、今のところいないんだよね」

「そ、そう……ほっ」

「なんでカエデがほっとするのさ?」

「ほっとなんてしてない。せんぱいの勘違い」


 この流れならイケる。カエデは確信した。

 目の前にいるは、どこからどう見てもモテないタイプ。

 しかもカノジョは欲しい、けれどカノジョ候補はいない。

 ならばここで、毎日うんざりするほどラブレターを貰う自分が、上手い感じで偽装して、カノジョ候補に名乗り出れば──!

 そんな完璧な計算のもと、カエデが作戦を開始した。


「せんぱいはモテない」

「事実だけど酷い言われようだ!?」

「そしてわたしは超モテる。モテモテすぎてうんざりするくらい」

「まあカエデならそうだろうね……」

「せんぱいもモテるようになりたい」

「そりゃなりたいよ」

「そこで」


 カエデがずずいっと顔を近づけて、


「わたしがせんぱいに、モテる秘訣を伝授する」

「……へっ?」

「できないことは、できる人間から教わるのが一番」

「確かにそうだけど……」

「心配いらない。手取り足取り腰取り竿取り、ばっちり懇切丁寧指導。一年もすればせんぱいもモテモテ村のえちえち村長になれること間違いなし」

「そ、それは嬉しい……かな、よろしくね?」

「どんとこい」


 自信満々に胸を叩くと、カエデの爆乳がどたぷんっと揺れた。

 自信がある。

 ていうか、絶対にカノジョができるに決まってる。

 なぜならカエデが、そのカノジョになる気まんまんなのだから。


「わたしの指導を受ければ、いままで全くモテなかったせんぱいにも、初めてのエッチなんてすぐにできる。そもそもせんぱいは──」

「酷い言われようだよ。それにぼくだって、その……エッチなことくらい、したことだってあるんだよ?」

「──なぜベストを尽くさないのか……えええっ!?」


 気持ち良く演説していたカエデは、シロの一言でぴしりと固まった。


「せ、せんぱい……エッチな経験、あるの?」

「まあ中学時代の話だけどね。だいたいぼく彼女がいたから、とは言っても最後はこっぴどく振られちゃったけど……ってカエデ、どうしたの?」

「そ、そんな……! せんぱいヘタレだから、たとえ彼女がいても絶対エッチしたこと無いって信じてたのに……!」

「さすがにそれは酷くないかなあ!?」


 自分が元カノとエッチなことをしていたのが衝撃的くらい自分はヘタレっぽいのだろうか、とシロはショックを受けたけれど、カエデにしてみればそれどころではない。

 ぶっちゃけ、シロに元カノがいたと聞いたときも大変ショックだったけど、でもどうせ中学生同士のプラトニックなお付き合いだったに違いないと信じていたカエデである。だってせんぱいだし。

 けれど男女のアレコレも済ましているとなれば話は別だ。

 潜在的な恋のライバルとして、徹底的に警戒しなくてはいけない。


 しかもカエデはすぐに、もっと恐ろしい事実に気付いて愕然とした。


「てことは、童貞っ……!? わ、わたしのドーテーが……!」

道程どうてい? 高村光太郎がどうかしたの?」


 シロのお約束の素ボケを完全スルーして、カエデがその場に崩れ落ちる。


(カノジョがいたならセックスしたはず、つまり……せんぱいの童貞を食べるという、琥珀色のわたしの夢はどこに……うわあああん!!)


 絶対にいただくのだと決めていた宝物どうていが、実はとっくの昔に奪われていたのだと知って。

 カエデは、さめざめと泣き続けるのであった。



****************

※道程とは

僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる、の書き出しで有名な例のアレ



※以前の話と食い違いがある旨のご指摘いただき、少し内容を変更しました。

大筋はなんも変わりません。

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