第21話 後輩とドカベンと卵焼き

 昼休みの写真部部室。

 シロが弁当箱を前に唸っていると、後から入ってきたカエデが聞いた。


「せんぱい、どうしたの? すごいしかめっ面」

「それなんだけどさ……これを見てよ、カエデ」

「なにこれ。炭?」


 弁当箱に入っていた真っ黒い、得体の知れない物体。

 あんまり炭にも見えないけれど、それ以外にはもっと見えない。


「これさ、お昼の弁当なんだよ……今朝もらっちゃって」

「うそ!」

「もし嘘だったらどんなによかったか……しかもすっごい笑顔で『感想をぜひ聞かせてくれ!』なんて言われてさ……まったく、どんな嫌がらせなんだか……」


 昨夜いつものようにリッカが練習に来て、シロの家で寝落ちして迎えた今日の朝。

 リッカが「あ、あのさ、キミの弁当を作ってみたんだが」などと言いながら、照れ笑いを浮かべつつ渡してきたのがこの弁当箱だ。

 そういえば「用意したのは昨日だが、しっかり火を通したから安心してくれ」とも言っていた。たしかに間違いなく火は通ってる。

 あまりに火が通り過ぎて、元がなんだか分からない炭になっているくらい。


「せんぱい、ひょっとして恨み買ってる?」

「そうなのかなあ……ぼく、恨まれてると思う?」

「たぶん」

「そんな記憶はないんだけどな……どっちかというと、恨みがあるのはぼくじゃないかと思うんだけど……」

「なら犬猿の仲」


 二人とも、この消し炭の作成者は嫌がらせをしてるんじゃないか、少なくともタチのわるい冗談だと信じて疑わなかった。

 もちろんそんなことはない。

 リッカはただ単純に、現在は付き合ってもなんでもない元カレに、彼女ヅラして手作り弁当を渡しただけなのだ。

 ただしそれが人間の食えるシロモノではなかったというだけで。


「せんぱい、なんで捨てないの?」

「これでもいちおう食べ物だからね。ぼくは食べ物、できる限り残さない主義なんだよ」

「……これは残してもいいはず。もはや食べ物じゃない」

「まあそうなんだけどさ、なんとか食べられなくはないから。炭みたいな硬さと炭みたいな焦げ臭さと炭みたいな味がするだけで」

「せんぱい。それはもうただの炭」

「これで完全に食べられなかったら、ぼくも諦めるんだけどね……」


 どんだけ苦手な元カノだろうが、どんだけ炭に近い物体だろうが。

 なんだかんだ言っても、それが手作り弁当というのは間違えようのない事実なわけで。

 そこに、食べ物を粗末にしないという己のポリシーが加われば、食べずに捨てるという選択肢をどうしても採用できないシロであった。

 意地でも全部食べてやる。

 その上でリッカにありったけの罵詈雑言を浴びせてやるのだ、などとシロは後ろ向きな覚悟を決めているのだった。


 シロは箸を手に取り、一気に食べ始めた。

 そして。


「……お、終わった……!」

「おー、せんぱいすごい。ぱちぱち」

「うう……口の中がジャリジャリする……」

「はいせんぱい。お茶」


 カエデがいつの間にか煎れたお茶を差し出すと、シロが一息に飲み干した。


「ありがとうカエデ……酷い目に遭ったよ……ああ、お茶が美味しい……」

「もう一杯いる?」

「ありがとう。貰うよ」


 湯飲みを受け取って再びお茶を入れながら、カエデが見えないようにほくそ笑んだ。


(今のわたし……すごく正妻っぽい……!)


 せんぱいが消し炭を食べながら苦しむ姿もなんだかゾクゾクしたけど、最後まで見とれてなくて大正解。

 カエデは内心ニヨニヨ笑いが止まらない。

 せんぱいがわたしを、慈愛の女神みたいな眼差しで見てるのもよき。好き。癒される。大好き。今すぐセックスしたい。


「はいせんぱい。どうぞ」

「ありがとう……ううっ、カエデの煎れてくれたお茶が染み渡る……」

「そ、そんなのでいいならっ……! わたしが毎日、せんぱいのお茶を煎れる……!」


 カエデとしては『毎日おれの味噌汁を作って欲しい』的プロポーズの逆バージョン風に言ってみたのだけれど、シロが気付くことは無かった。残念ながら当然である。


「ダメだ、全然食べた気がしないよ……まだ購買のパン残ってるかな……」

「無理だと思う」

「だよねえ……」

「ならせんぱい。わたしのお弁当、ちょっと食べる?」

「え?」


 カエデが鞄から取り出したのは、特大サイズの弁当箱。

 いわゆるドカベンというやつだ。

 いかにも女子が持っていそうな、可愛らしい弁当箱とは真逆の世界観。


「相変わらずカエデの弁当箱、すごく大きいよね……それなのにウエストは滅茶苦茶細いんだからびっくりするよ」

「わたしの栄養、全部おっぱいに行くから。でもこれ以上膨らまなくていい」

「それ、他の女子に聞かれたら激怒されるからね……あとそう思うんなら、ダイエットすればいいんじゃないかな?」

「今日から始める。だからせんぱい、わたしのお弁当を食べていい」

「いいの?」

「ぜんぜん平気。今日のわたし、そんなにお腹空いてない」

「じゃあ卵焼き貰っていいかな? お返しに今度なにか奢るから」

「いい。お返し、期待してる」


 シロが箸をのばして、卵焼きを口に入れる。


「あ、すっごく美味しい」

「本当……!?」

「本当だよ。炭を食べた後だから甘さが余計に引き立って……あ、ちょっぴり涙出てきちゃった」

「この卵焼き、わたしの手作り」

「へええ。カエデって料理も美味いんだねえ」

「えっへん」


 ちなみにカエデが上手く作れるのは卵焼きだけだったりする。

 なのでカエデのドカベンの中身は、いつも白米と卵焼きでびっしりだ。

 カエデの親友の佐藤ささみなんかは「冷凍食材とかも入れればいいのに」とか言っていたが分かってない。

 カエデはずっと、さりげなくシロに手料理を食べさせる機会を、虎視眈々と狙っていたのだ。

 その時に冷凍食品があったとして、そちらが食べたいと言われたら台無しである。

 そういう理由でカエデの弁当は、毎日卵焼きなのだった。


 そんなカエデの涙ぐましい努力は報われたのだが、計算違いなことも発生して。


「ありがとう。生き返ったよ」

「う、ううん……せんぱいさえ望むなら、わたし、毎日卵焼きあげてもいい……」

「あはは、さすがにそれは大丈夫だよ」

「…………おかしい」


 カエデの予定では「ぜひ頼む、ていうかむしろ結婚しよう!」という流れになってそのままセックス──という流れのハズだったのに。

 どこで計算を間違えたのだろう、とカエデが首を捻るのだった。


 もしも佐藤ささみがこの場にいれば「いやその計算、一から十まで間違ってるし!」とツッコミをいれたのだろうが。

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