第14話 二人で練習
シロとリッカの演技練習は、シロのアパートでやることに決まった。
マネージャーの河合としては事務所のレッスンスタジオや会議室なんかでやるつもりだったのだが、当のリッカがそれじゃダメだと反論したのだ。
その理由というのが。
「もしもいい雰囲気でアイツとオフパコできそうになった場合でも、そこが事務所ならアイツは躊躇してしまうだろう?」
「そんな事態には陥らないと思いますが。あとオフパコの使い方が違います」
「そんなことはないさ。世の中なにがあるか分からないんだぞ」
そう、世の中なにがあるか分からない。
だからこそ河合は事務所で、二人を監視したかったのだ。
河合の心配というのはぶっちゃけ、二人きりの密室でエロい演技なんかさせた日には、その気になって我慢できずに襲いかかるんじゃないかということである。リッカが。
元カレに不安は全くない。
問題はいま目の前にいる、元カレ限定で常時発情中のドスケベサキュバスなのだ。
****
リッカをアパートまで送り届けた河合が、玄関前で頭を下げる。
「それではシロくん、よろしくお願いします。リッカさんはまた明日」
「あ、見ていかないんですね」
「はい。お二人を信頼しておりますし、わたしがいては窮屈でしょうから」
実際は二人のうち
建前は練習がいつ終わるか分からないから──だけどその裏の意味は明らかで。
というかリッカも、いまさら河合に隠すつもりはないらしく。
「待っていたら明日の朝まで帰れないだろうからな。いや、朝でアイツがボクを手放してくれればいいが……くふふっ……」
「はいはい。妄想乙」
などというやりとりがあったことは、当然おくびにも出さない。
河合が出て行って、シロとリッカがさっそく台本片手に練習を始める。
とはいえ、その内容が大幅改変されていると知っているのは、ここにはリッカしかいないけれど。
「なあキミ、どうせ二人しかいないんだ。頭から順番にやっていくより、重要なシーンをつまみ食いしていかないか? ボクも練習したいシーンというのがあるからね」
「リッカの好きなやり方でいいよ」
「助かるよ。ではまず53ページからいってみよう」
うわいきなり来た、とシロが一瞬硬直した。
台本53ページ。
そこは主人公がヒロインを助けた後、ずぶ濡れのヒロインを抱きしめるシーンである。
しかも「リッカ、好きだ!」とか叫びながら。
なんでページ数だけで分かったかと言えば、カエデもこのシーンが大好きで、ヒロインのシーンなのに何度もやらされていたからだった。名前だけカエデに変更して。
このヒロイン嫌いとか言ってたカエデだけれど、いいシーンに罪はないらしい。
「では始めよう。はい、アクション!」
リッカが抱きしめられ待ちの態勢で、腕を前に広げて微笑んでいる。
このシーン、できればやりたくなかったんだけど──こうなりゃヤケだ。
これは仕事なんだと割り切って、シロが感情のスイッチを切り替える。
「じゃあいくよ──『リッカ、好きだ』」
「へっ? ふぇっ!? ふえぇぇぇぇ──!!??」
シロにがっしと抱きしめられたリッカが、一瞬にして我を忘れる。
な、なんだいコレ!? 全然想像と違うんだけど!?
思っていたよりずっと強い抱擁。
意外と逞しい胸板。
リッカの顔を擦るシャツからは、男くさい汗の臭いが微かに伝わって思わずメスの本能が反応する。下腹部がキュンと疼く。
え、えっとボク今どうしたんだっけ?
あ、そ、そうだ! ボク、アイツに告白されて……こ、こここ、告白っ!!??
「ま、待ってくれキミ、ちょっと落ち着くんだ。ねえキミ?」
「『好きだ、リッカ、大好きだ。おれがリッカを世界で一番素敵な花嫁にする』」
「も、も、もちろんボクだってやぶさかではないけれども! ていうかボクの方が絶対キミのことをもっと大好きだけども! でもちょっと待ってくれ、幸せすぎてボクの頭がどうにかなりそうだよ!」
「……えと、リッカ? アドリブはいいんだけど、それだと後の話が繋がらなくなるんじゃ……?」
「……えっ? アドリブ……?」
そこでようやく、元カレが自分を抱きしめていたのが演技の練習だと思い出して。
自分が何を口走っていたか気付いたリッカが、顔どころか首筋まで真っ赤になって崩れ落ちた。
「どうしたのリッカ、大丈夫? すごい熱演だったから体力奪われた?」
「そ、そうだね……ボクは演技で言うところの『憑依派』というやつでね、演技が終わるとこうしてすごく力が抜けるのさ……ハハハ……」
「そりゃすごい。いま飲み物持ってくるから」
元カレの足音が遠ざかるのを聞きながら、リッカが本気で羞恥に身もだえした。
(い、今のは本気でヤバかったっ……!)
アイツの懐かしいの匂いがしたと思った瞬間もう落ちていた。
二年前に意識がタイムスリップしていた。
アイツと自分が彼氏彼女だった、二年前のあの時間に。
幸せだったあのころ。
アイツに隠れて、アイツのシャツをクンクン嗅ぐのが癖だった。
アイツの頭をおっぱいに埋めて抱きしめながら、でもホントはアイツの胸元に顔を埋めて、力強く抱きしめられたいとも思っていた。
口ではめんどくさいとか言いながら、本当はアイツに毎日好きだって言われたかった。
だからボクは、あんな、激しく愚かな過ちを──
「はいリッカ、缶コーヒー。砂糖とミルク入りで良かったよね?」
「う、うん。……ボクの好み、覚えてくれてたんだね」
「まあそれくらいは」
プルタブを開けて口を付けると、甘くて苦い味が広がった。
初めてのデートでアイツが買ってくれたのと同じ銘柄のコーヒー。
その日からボクは、このコーヒーが大好きになったんだよ……
「キミ、開始すぐにすまないが小休止だ。少し疲れが溜まっているみたいでね……トイレを借りてもいいかい?」
「あ、うん。もちろん」
着替えの入った紙袋を持ってトイレへと向かう。
早急に濡れたパンツを取り替えたかった。なぜ濡れたのかは絶対に言いたくない。
(けれどまあ、お泊まり用の下着一式を持ってきて本当に助かったよ……)
そこまで考えてふと、もしこれでお泊まりになったら明日のパンツはどうすればいいのかという疑問にぶちあたり。
トイレの中でしばらく悩んだ後、その時はノーパンでいっかと結論づけるリッカであった。
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