第9話 地中海ロケ

(……ああ、現場の空気が重い。重すぎる)


 リッカのマネージャーである河合は、内心頭を抱えていた。

 河合念願の地中海ロケ。

 ギリシャの歴史遺産薫る街でファースト写真集の撮影。

 なのに今日のリッカは、滅茶苦茶機嫌が悪かった。


 なにが気に入らないんだろう、河合が必死に考える。

 昨日まではこうじゃなかった。

 むしろリッカは滅茶苦茶機嫌が良くて、撮影も絶好調どころか、カメラマンも要求しないセクシーポーズまで連発して、一同大大絶賛だったのだ。

 グラビアの大御所であるカメラマンが「これはとんでもない傑作になるぞっ……!」と鼻息も荒く目を血走らせていたのが、遠い昔の出来事みたいだ。


 必死で考えてやっぱり原因が分からなかった河合は、気が進まないながらもリッカにお伺いを立てることにした。

 これは一か八かの賭けである。

 もし外れを引くとリッカから「……マネージャーのくせに、そんなこともわからないのかい?」などと絶対零度の目線を浴びせられ、リッカの機嫌がさらに悪くなる。過去にも何度かあった。


 ちなみにリッカはどんなに機嫌が悪くても、仕事を投げるようなことはしない。

 リッカはそういうタイプでは無いし、仕事のクオリティだって下がらない。

 ただし一緒に仕事をする人間が、マジ泣きしたくなるほど居心地が悪くなるだけだ。


 けれど今回は、成功の出目が出たらしい。


「リッカさん、今日は一体どうしたんですか? もの凄く機嫌が悪そうですけど……」

「……ああ、聞いてくれるかい? 実はマネージャーがアイツの家に行ったとき、一緒に撮ってきた写真なんだけどね」

「えっ? なにかマズかったですか?」


 河合は以前に何度かシロのアパートへ行ったとき、その場でシロの写真や動画などを撮影していたりする。

 シロには「これはアルバイトの登録に必要でして。昨今、芸能事務所は特にセキュリティが厳しいんですよ」とかなんとか言い訳したけれど。

 実際は現在の元カレの写真や動画を入手したらリッカのご機嫌が取れるだろうと思って撮影しただけだったりする。

 そして案の定、リッカは滅茶苦茶喜んでいたはずだけれど──


「いやいや、そんなことはない。あの写真も動画もすごくよかった。ふふっ……男子、三日会わざれば刮目して見よというのは本当だと実感したよ」

「でもリッカさんは一度、シロくんの家を襲撃してるじゃないですか」

「あの時は緊張しすぎて良く分からなかったからね。でも落ち着いて写真と動画を眺めてたら……恥ずかしながら、昔のことを思い出してしまって。それをオナネタに、ここ数日で100回ほどはシコったかな?」

「……」

「欲を言うならばアイツの男根、それも勃起時と非勃起時の動画があればなお完璧だった」

「撮れるわけないでしょうがこのアバズレビッチ」


 なるほど、ここ数日で気味が悪いほどに機嫌がいい理由は分かった。

 あまりの浮かれ具合にどうせ元カレ関連だろうと見当はつけていたものの、きっと今度のバイトをネタに毎夜電話とかしてるのかなー程度に想っていた。

 それがまさか、元カレの動画をネタに一人でハッスルしていただけとは。


「なんかもう聞きたくありませんが、それで? 今日は機嫌が悪い理由は?」

「機嫌が悪いというかなんというか……まあ今朝も、出る前に一発抜いておこうと思ってだな」

「リッカさんが一発で終わるとは思えませんがね?」

「実際は三発目くらいだったと思うが……その時ボクは、いい加減ラストにしようと全身全霊を込めてヌいていた。脚なんかも伸ばしてね、それも脚の指先とふくらはぎに全力を込めるような感じで、ピーンと」

「あっ(察し)」

「……そう、マネージャーの察したとおりだよ。ボクのふくらはぎに激痛が走った。所謂いわゆるこむら返りというやつだが、それがもう痛いのなんのって」

「それが原因で苦痛に顔を歪めてたのが、不機嫌に見えてた原因ってわけですか……?」

「まあそういうことさ。でもこんなこと話せないし、黙ってるしかないじゃないか?」

「……まあ事情は分かりました。絶対スタッフさんに詳細は話せませんけど」


 リッカにアピールするように溜息をつきながら、河合が今後のスケジュールを頭の中で組み直していく。

 まずこれから午前中いっぱいは病院、撮影は午後からに後倒ししてもらおう。

 カメラマンたちには悪いが、リッカを病院に連れて行くと言って文句を垂れるような命知らずはここにはいない。

 リッカの機嫌は自分を含めたスタッフ全員の命より重いのだ。少なくともこの撮影中は。


(……それにしても、またまた元カレに助けられるとは、ね)


 今日のこむら返りはともかくとして、昨日までの撮影はスタッフ全員が『今までのリッカよりさらに一段上の超人的パフォーマンス、どちゃくそエロエロリッカ爆誕』と評していた。

 機嫌も最高、動きも最高、けれどなによりリッカのフェロモンが更に濃縮されて放出されたような、そんな匂い立つエロスが半端なかったのだ。

 それは地中海の風が原因とか、いやカメラマンの腕がとかみんなが好き勝手言ってたけれど、タネを聞いてみれば単純な話だ。


 こんな男のドスケベ煮詰めて美少女の型で整形したような美少女が、毎日毎日朝から晩まで、限界までシコりまくっているのだ。

 フェロモンが匂い立たないはずがない。


 どうか自慰行為による死亡テクノブレイクだけは勘弁してくださいよと、願わずにはいられない河合であった。

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