第7話 後輩

 シロのアパートにリッカのマネージャーである河合がやってきて、アルバイトのスケジュールと一緒に台本を手渡ししていった。

 正式にアルバイト契約を済ませると、河合の呼び方が「シロさん」から「シロくん」になった。些細なことだけど、もう仕事仲間なのだと痛感する。

 気合を入れ直すシロに苦笑して、河合が注意事項を説明した。


「部外秘ですので、おおっぴらに言いふらしたり、台本をネットに載せたりはしないでください。友達に見せるくらいなら構いませんが、キャストやスタッフについても安易に答えたりしないことです」

「はい」

「台本はもしも可能なら事前に、さらっと読んでいただく程度で十分ですよ。シロくんに演技の経験がないことも分かっていますし、リッカさんとは台本を見ながら合わせてもらえば結構ですから」


 そう言われたもののシロにしてみれば莫大な時給をもらうわけで、準備もしないというのはどうにも気になってしまう。

 根が真面目なシロは、暇な時間を見つけては台本を読み込むことにした。


 ****


 シロは通っている高校で、写真部に所属している。

 とはいえシロが写真に興味があるというのではなく、知り合いの先輩に引きずり込まれただけなのだけど。

 部員は三年の部長、二年のシロ、入ったばかりの新入生の三人だけ。

 三人とも半分幽霊部員で、気が向いたときにだけ部室に出向いて好きなことをしている適当具合が、シロはそれなりに気に入っていたりする。



 その日の放課後、シロが部室でバイトの台本を読み込んでいると、不意に扉を開ける音がした。


「あ、せんぱい……今日はいたんだ」


 無表情にうっすらと笑みを浮かべるのは部活で唯一の一年生。

 名前は七番ヶ瀬カエデ。

 いつも眠そうな顔をした、ダウナー系女子。

 けれど顔とスタイルは滅茶苦茶いいので、校内どころか近隣学校の生徒にも、スペックだけは最強な残念系美少女として知れ渡っている。


「せんぱい、なに読んでるの?」

「台本だよ。知り合いの演劇の稽古に付き合うことになったんだ」

「ふうん。ちょっと見せて?」

「……いいけど、絶対によそで話しちゃだめだよ?」

「大丈夫。わたしは絶対そんなことしない」


 カエデが無造作に身体を寄せると、シャンプーの香りがぷんと漂った。柑橘系。

 高校一年どころか成人女性の基準すら遙かにぶっちぎる巨乳が、シロの背中にぐいぐいと押しつけられた。


「ちょ、カエデ当たってる」

「せんぱいなら当たってもいい。むしろ当ててる」

「いやそれダメだからね!?」


 シロが反論した隙にカエデが台本を奪い、ペラペラとめくって目を見開いた。


「……これ、映画の台本?」

「ごめんねカエデ、守秘義務があって詳しいことは言えないんだ」

「分かってる。もうちょっと見てもいい?」

「いいよ」


 熱心にページをめくり始めるカエデの様子に、ひょっとしたら中学は演劇部とかだったのかもしれないなとシロは思った。

 台本というのは小説なんかと違って、それだけ読んで面白いような書き方はしていないうえ、なにより素人には読みづらい。

 それにカエデの容姿なら、演劇部の看板女優として誘われても不思議じゃないし。


 こうして黙ってれば本気で美少女なのに、とシロがこっそりカエデを眺める。

 トレードマークのぱっつん黒髪はサラサラで、いつも光を反射してきらめいている。

 成績は中の下、ただし美術と体育はぶっちぎりの学年トップ。

 ほぼ毎日男子に告白されてるが、誰かと付き合ったという噂は寡聞にして聞かない。

 なにより一番目立つのは過剰に発育しすぎた爆乳で、リッカほどではないにしろロケットのように突き出た胸元のせいで、たまに制服の裾がカーテンみたいになる。そうすると、おへそと薄く割れた腹筋が剥き出しにるのだけれど本人はまるで気にしていない。今もそうだ。

 新入生の身体測定結果を誰かが盗み見たら、スリーサイズが上から110−56−93だったとまことしやかに囁かれているが本当だろうか。


 そんなどうでもいいことを考えているうち、やがて台本を読み終わったカエデがほうと息を吐いて、シロに向き直って一言。


「感動した」

「はい?」

「すごくいい台本。わたしの演劇魂が呼び起こされる」

「あ、やっぱりカエデって演劇の経験あるんだ」

「もちろん。ガ●スの仮面とア●タージュで学習済み」


 マンガで読んだのは演劇経験とは言わないんじゃ……? なんてシロが首を捻る間もなく、カエデが熱い語りを続ける。


「わたし、この役、やってみたい」

「へえ。ヒロイン……じゃなくて、主人公の後輩?」

「そう」

「どこが気に入ったの?」

「主人公とヒロインはお互い好き同士だって分かってるのに、それでも諦めないで自分の恋を成就させようって頑張る。ヒロインより顔もおっぱいも負けてるのに、でも大好きな気持ちだけは絶対負けないからって、なんどもめげずに主人公を誘惑しようとする姿は涙を禁じ得ない。それから──」

「わ、分かったから!」


 カエデは普段はいつも眠そうにしているのに、一度スイッチが入ると途端に早口になってまくしたてるタイプだった。

 オタクの典型的な悪癖……などと言ってはいけない。

 誰だって語りたいこと、伝えたいことは饒舌になるものだ。

 それがシロの信条である。


「この役やりたい、か……もしもオーディションで受かれば、そういうこともあるかもね?」

「うん。がんばる」


 カエデがぐっと拳を握って宣言した。

 こんな演劇ド素人(推定)でも、カエデならば本当に受かるかもしれないと思わせるあたり、美少女ってやつは得だなと思う。

 とはいえ熱しやすく冷めやすいカエデのこと、明日にはすっかり忘れてるだろうと気楽に考えていると。


「あう、こうしちゃいられない。せんぱい、練習付き合って」

「まあいいけど」

「せんぱいは主人公役。よろしく」

「了解」


 後輩を温かく見守る的な、軽い気持ちで承諾した。

 台本をまだ最後まで読み終えていないシロは、まだ気付いていない。

 台本を通しで読めばすぐ気に付くのに。


 その作中で後輩は、主人公をあの手この手で誘惑するのだから──

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