第6話 脚本の選定基準

 その日、リッカは事務所で待ち望んでいた吉報を受けた。


「リッカさん。元カレの身柄、確保できました」

「なんだとっ!?」

「ドラマの演技練習の相手ということでバイトしてもらう話、オッケーです。なので今まで断っていた女優業も、これからビシビシ入れていきますので」

「ああ、どんとこいさ! アイツと100回ディープキスできるなら、ボクは見知らぬ男優と1回くらい、ほっぺにキスされてもいいぞ!」


 それはかなりレートがおかしいと思うマネージャーの河合だが、ツッコんでも面倒そうなので華麗にスルー。


「それで、いつからだ!? いつからボクはアイツとハメ取りの練習をできるというのだ!」

「あのねリッカさん、そんなことさせるわけないですからね? ちょっと冷静になってください」

「そ、それもそうか。そうだな、せいぜいアイツに母乳を吸ってもらう程度だろうか」

「今すぐ病院行け」


 我慢できずにツッコミを入れた河合だが、リッカの答えは予想と異なるものだった。


「脳外科ならもう行ったぞ」

「……はい?」

「アイツと付き合っていた時に、母乳のことを話したらな。アイツがいつにない真剣な顔で『脳腫瘍とかが出来たとき、脳が身体を妊娠状態だと勘違いして母乳が出ることがあるらしい。だから一度見てもらえ』って言ってくれて」

「それでどうなりました?」

「もちろん異常なしさ。だが医者もそういうことがあると言っていたし、なによりアイツがボクのことを本気で心配してくれたと思うと……ふへへっ」


 だらしなくニヤけるリッカの様子に、心底ホッとする河合だった。


「まあそれはともかく、山のようなオファーが届いてますがどれにいたしましょう? やはり巨匠の超大作でスクリーンデビューか、もしくは朝の連ドラでお茶の間にアピールするのも……」

「えっちいやつ」

「……はい?」

「えっちなやつがいい。そうだな……男子がラッキースケベで、ボクのパンツを見たり胸を揉んだり、事故でベロチューしちゃったり、あまつさえ転んだ拍子に凹と凸が合わさったりするようなやつだ。それも五分に一回くらいのペースで」

「一体なに言ってんですかアンタ」

「マネージャーこそ目的を忘れてないか? ボクとアイツとの演技練習こそが大事なんだぞ? そこでボクのエッチな魅力を、アイツに見せつけなくちゃいけないんだぞ?」

「もうだめだこいつ」


 頭の中がピンクすぎる担当タレントに、思わず暴言を吐いた河合を誰が責められようか。

 いや普通なら、事務所の超絶売れっ子タレントに暴言吐いたらクビだけど。

 幸いにもこの場にはリッカと河合しかいなかったので、リッカがむうと頬を膨らませられるに留まった。


「……じゃあマネージャーは、ボクとアイツが肉体関係になるにはどうしたらいいと思うのさ?」

「たしかに普通ならリッカさんの身体で迫ればイチコロでしょうけどね」

「そうだろ、マネージャーもそう思うだろうっ? ボクならきっと……大丈夫だよな?」

「ですがわたしのお会いした印象では、シロくんは相手が過剰にメス出しして迫ると、むしろドン引きするタイプかと」

「うっ……ボクもそう思う。マネージャーもやっぱりそう思うかい?」

「はい。なのでまずは清純派路線で、向こうの方から付き合いたい、エッチしたいと思わせるのが肝要ではないでしょうか?」

「でもそれは難しいだろう……いっそボクとアイツの空間だけ、貞操逆転世界にでもならないものかな? そうすれば、ボクがアイツにガチハメセックスを迫っても正常なのに」

「ありえない妄想に逃げてもダメですよ? ──では、これなんかどうでしょうね」


 リッカが山のように詰まれた企画書と台本の山から、一冊取ってリッカに渡した。


「これ、初恋ものなんですけどね。脚本も良いですしスポンサーの見込みもバッチリ、監督もキャストも超大物を見込んでいます。もちろんリッカさんは主演女優」

「えー、初恋ものかい? 却下だよ、そんなのじゃアイツにアピールできない。もっと派手に、男の肉欲にアピールしないと」

「多少の手直しはお願いすればやってくれるでしょう。それにリッカさん、この話なら──相手の男性が抱きしめてくるシーンが何度もありますよ?」

「なんだって!!」

「リッカさんの胸の谷間に元カレを埋めるのもいいですが、リッカさんが元カレから抱きしめられるのも悪くないかと思いますが?」

「それはいい……うん、実にいい……!」

「最後はキスで終わる話なので、元カレとの演技練習ではディープキスで練習しておいて、撮影の方は軽いキスで済ませてはいかがでしょう。どんな事情でキスが変わったかなんて、部外者には分かりようもありませんしね」

「いいよ、最高だよ! うん、これにしよう絶対これがいいに決まってる!」


 やったぜ。

 河合が顔に出さずに内心ほくそ笑んだ。

 ──この企画は例のヒゲ監督、もとい日本を代表する巨匠であるアカデミー賞監督が、リッカの女優デビュー作品として持ち込んでいる企画だった。


 なにしろこの企画、演者とかスタッフとかスポンサーとかどの要素も頭一つ抜けていて、マネージャー的に女優デビューは絶対この企画で決めたかった。

 けれど反面、内容的にリッカは絶対拒否するだろうなーと思い、ずっと悩んでいたのだった。

 まさか日本、いや世界の巨匠に、ウチのアホなメス出しタレントがもっとバカエロ路線を望んでいるのでお断りしますなんて言えるわけがない。


 それがまさかの大逆転トライ。

 神はいた、と河合は思った。

 六畳一間のアパートに、元カレという名の神がいた。


「じゃあさっそく、シロくんに連絡取りますか」


 今さら嫌がったら契約書で脅しつつ、帯封ついた札束でビンタしてでもアルバイトしてもらわなくちゃ──などと気合を入れる河合であった。

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