第118話 イニシュカ村の家路 ②
「考えてみたら、ホウゲツさんが東洋方面の船に乗らんで、俺らと一緒におる時点で、
船の救護室で、ホウゲツの包帯交換を手伝いながら、エイダンは一人ぼやく。
エイダンもそうだが、ホウゲツも快癒と呼べる容態までにはもうしばらく時間がかかるので、船の中では二人して負傷者扱いである。
「うむ。フェリックス殿はアシハラにて、本格的に
「そがぁかね」
今のは笑って良い話だったのか。計りかねたエイダンは、曖昧に相槌を打った。
「アシハラの結婚式て、どがぁなもんなんじゃろなあ」
「
「ヒキデモノ? よう分からんけど、あんがとう。直接お祝いに行けんのはちょい残念だけんな」
シェーナとフェリックスは、恐らくあえて、二人きりの婚礼にしたかったのだろう。その気持ちはエイダンも理解出来た。シルヴァミストで挙式となればどうしても、
「おや、僕らを祝福してくれるのかい?」
ひょっこりと救護室に顔を出したフェリックスが、会話に入ってくる。
「全く、エイダンくんには失礼な事をしたよ。僕にとっては縁結びの精霊のような存在だというのに、まさか感謝の言葉すら伝え忘れるとは」
「ほう、そうでござったのか?」
「……そうじゃったかなあ?」
フェリックスと出逢った最初の頃は、
「ときにフェリックス殿、救護室には何用で?」
「おっと、またうっかりだ。間もなく船がフェザレインに着くから、呼びに来たんだよ。マディとハオマが降りる」
「おお、もうそんなかいな」
エイダンは急いで立ち上がり、包帯を棚に仕舞い込んだ。
◇
フェザレイン港で降りるマディとハオマは、そこから陸路でそれぞれの目的の地に向かうと言う。
マディは冒険者としての拠点である、鍛冶屋達の聖地・エアランド州スミスベルスへ。
ハオマは、ケントラン州アンバーセットの北部に広がる妖精の森・ノムズルーツへ。
「ノムズルーツかぁ、懐かしいわね。モヌポル、元気にしてるのかしら」
シェーナが目を細めて、かつて知り合った妖精ノームの名を口にした。
「新居で家族と共に、健勝でいる事でしょう」
と、ハオマは応じる。ノームのモヌポルは、一度密猟者によって自宅を破壊されてしまったのだが、どうやら無事、建て直せたらしい。
「モヌポルさんらによろしゅうな、ハオマさん。マディさんも、スミスベルスの人らに」
「ああ。エイダン、君達の功績と栄誉を伝えたら、きっと鍛冶屋の皆は我が事のように喜ぶだろうさ」
「マディ殿――」
ホウゲツがぐすっと鼻を啜った。彼はシルヴァミストに来て間もない頃から、マディと縁がある。別れ
「
「私もだとも、ホウゲツ」
マディが力強く答え、二人は硬く手を取り合った。
「ハオマさん!」
早々に港を去ろうとするハオマに向けて、エイダンは呼びかける。
「ばーちゃんがご馳走したがっとるけん、またイニシュカに来て、風呂入ってってな」
ハオマは声を辿るようにしてこちらを振り返り、景色を映さない
「ええ、またいずれ。……精霊王サヌの導きあらば」
◇
フェザレインで補給を済ませ、更に旅する事数日――
船はようやく、西の果ての離島イニシュカに到着した。
小さな港は、出迎えに来た村人達で溢れかえっていた。
エイダンは存分にもみくちゃにされ、皇帝陛下からの勲章を見せてくれと子供達にねだられ、何故か老人達に泣かれ、好物を食べて精をつけろと、魚とタコの串焼きを山盛りにした食卓に着かされた。
その間にシェーナとフェリックスは、旅支度と、寄宿先への挨拶を済ませたようだった。
そう。彼らが再び旅立つ日は、エイダンにとってはあまりにも短いうちに、到来した。
◇
「二人とも、行ってまうんじゃなあ……アシハラて、遠いよな」
「どうかしら」
積み荷作業を眺めつつのエイダンの言葉に、シェーナは軽く肩を竦めた。
ホウゲツが手配してくれたアシハラ行きの帆船が、目の前の波止場に停泊している。
間もなく、出港準備は整う。
「今は何でも高速化の時代だからね。船に搭載される浄気機関も、どんどん進歩してるし。案外、パッと行けちゃうかもよ」
しかし、アシハラにもそう長くは
「出来るもんなら、いっそ世界中を冒険して回りたいし、助けられるだけの人を助けたいわ」
「……シェーナさんには敵わんなあ」
「あたしも、エイダンの事そう思ってる」
唐突に、シェーナは真正面から、エイダンの肩を抱き寄せた。
「忘れないでね。――あんたとパーティー組めたことは、冒険者のあたしにとって、一番の誇りよ。エイダン」
何か言葉を返そうとしてエイダンは、目頭の熱くなる感覚に戸惑う。
二人は幸せな旅に出るのだ。これはめでたい別れだ。涙など見せたくないのに。
初めて会った時――幽霊の出る古城を探索した時だ。
そんな些細な記憶が、無数に湧き上がっては泣けてくる。
そこに、盛大な足音が近づいてきた。
「エイダンくん! 一言、別れを……! 別れと、礼を言わせてくれっ! うおおおおおっ!」
感極まった表情のフェリックスが、押し潰さんばかりの勢いでエイダンとシェーナに抱きつき、そのままおんおんと声を上げて号泣し始めた。
他人の、あまりにも剥き出しの感情を前にすると、逆に自身は冷静になるものである。
「なんか……どがぁしよ」
涙の引っ込んだ目を瞬かせて、エイダンは締まりのない顔をシェーナに向ける。
「いいじゃない、湿っぽくなくてさ。この方があたし達らしいでしょ」
少し濡れた目尻を拭って、シェーナは満面の笑顔を見せた。
三人はそれからしばらくの間、抱き合っていた。最高のパーティーがあった。素晴らしい冒険があった。彼らとの思い出は、どう振り返ってもそこに集約されるのだ。
◇
波は穏やかで、空は高い。水平線の彼方まで見通せる快晴。銀の霧の国と謳われたシルヴァミストでは、やや珍しい天気だ。
シェーナ、フェリックス、ホウゲツを乗せた船の影が、徐々に小さくなっていく様を、エイダンは見つめている。
ふと、人の気配を感じて彼は振り向いた。
そこにロイシンが立っている。ストロベリーブロンドの髪が、潮風にふわりと揺れた。
「……行っちゃったね」
「うん。でもきっと、
エイダンはそう言って、ロイシンの方へと歩みを進める。
「シェーナさんとフェリックスさんじゃったら、きっと」
「幸せになれる?」
「そう」
そこでエイダンは、はたと気づいた。
イニシュカに帰ってきたら――そして、治癒術士として一人前になったら。伝えたい事があると、ロイシンに告げていたはずだ。
まだその言葉は口に出来ていない。……今の自分は一人前だろうか? いや、まだ研修中の身ではある。
「ロイシン」
目の前の彼女に向けてエイダンは呼びかけ、そして気づけば、手を差し伸べていた。
「家、帰ろっか」
「うん。ねえ、エイダン」
エイダンの手を取ったロイシンの手の平は、風に晒されていたにもかかわらず温かい。
「なに?」
「わたしも幸せにならんなぁなって」
「……エイダンとじゃったら」
「ロイシンとじゃったら」
互いに、それ以上は言葉にならなかった。
砂地の道に落ちた二つの影が、ゆっくりと重なり合う。エイダンはロイシンの唇の温もりが、潮風に乾いた自身の唇に触れるのを、瞼を閉ざした中で感じた。
それから二人は、再び手を取り合い、見慣れた故郷の道を歩み始めた。
彼らの家路を。
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