第116話 アビスフォートの獄囚 ⑥

 当初の約束どおり、エイダンはグリゴラシュに運ばれてダズリンヒルの治療院へと戻された。


 病室にエイダンが降り立ったのを見届けたヴァンス・ダラは、カリドゥスを伴い、別れの言葉もなく去ろうとする。エイダンは思わず、窓辺に駆け寄って「あのう」と声をかけた。


「皆さん、もし……イニシュカに寄る事があったら、うちの家来んさって下さい。風呂くらい沸かすけん、入ってって」


 その場の面々が一様に、珍妙な動物でも眺めるような表情になる。

 コヨイだけが、フフ、と笑いを返した。


「ありがと、エイダンくん。じゃあ、またネ」


 それきり、彼らの姿は闇夜の彼方に消えた。


 多分、ヴァンス・ダラもカリドゥスもコヨイも、訪ねて来たのを通報もせず、勝手に風呂に入れたりしたら、罪に問われるように思う。

 だが、エイダンはそうするつもりでいる。


 それはともかく――


 エイダンの行方は、サングスターらによって夜通し捜索されていた。

 捜索対象がひょっこりと自分の病室から現れたものだから、治療院に詰めていた正規軍の関係者はひっくり返る程に驚いたが、どうあれ彼が無事生還した事で、事態は収束した。


 困ったのは、その後の取り調べだ。闇の精霊王ダラと対面し、ヴァンス・ダラの後継に選ばれかけて――そんな荒唐無稽な話をしたら、正気を疑われかねない。

 一応、かいつまんで昨夜の出来事を明かしたものの、案の定取り調べにあたった役人は、


「保護した青年は誘拐被害によるショック状態にあり、陳述内容に混乱が見られる」


 と、調書に書き込んでいた。


 ただ、カリドゥスとドナーティの姿がアビスフォートの監獄から消え失せたのは確からしい。両名の捜索状況については、軍の機密事項扱いで、詳細を教えて貰えなかった。


 一通りの査問と診療が終わった後、人払いされた病室に、サングスターが現れた。


「エイダン・フォーリー。君は全く、いちいち人の肝を冷やしてくる火の魔術士だな」


 眉間に皺を寄せた、いつもどおりの厳格そうな顔つきをエイダンに向けて、彼は言う。

 ひょっとしてこれはジョークだろうか、とエイダンは軽く首を傾げた。


「そがぁに言われましても……」

「冗談だ」

「はぁ」


 冗談が分かりづらいし笑えない、などと文句を言うのもはばかられ、エイダンは大人しく頷く。

 困り顔のエイダンの前で、サングスターは見舞客用の椅子に腰掛け、しばらく何事か沈思ちんししてから、再度口を開いた。


「ヴァンス・ダラに……バーソロミュー・カニンガムに会ったのか」


 部屋の空気が、僅かばかり硬度を増す。

 エイダンは迷いつつも肯定した。


「会いました。会った、ちゅうか……知りました。ずっと昔に、何があったんかを」

「そうか。――調書を見てな。そういう事なのだろうと」


 闇の精霊王に見せられた、かつての魔杖将まじょうしょうの記憶。エイダンは取り調べの中で、その話まではしなかったはずだが、断片的な状況説明から、サングスターは察したようだ。


「何ちゅうたらええのか……。友達、じゃったんですよね。バーソロミューさんも、それに勇者リュート・カルホーンも。その……お気の毒で……」

「そう気を使う必要はない。もう五十年も昔の話だ。彼らはあそこで死んだ」


 力ない笑みを浮かべ、息を吐き、サングスターは椅子の背凭れに身を沈める。


「リュートもバーソロミューも、生まれは平民でな。リュートは北の民で、故郷思いの若者だった。……丁度、フォーリー、君のような。バーソロミューは――本人も自分の正確な出自を知らなかった。かなり貧しい地域で育ったらしい。偶然、『光属性』の力を発動し、貴族の養子として迎えられたが」


 光属性は、治癒術適性であれ呪術適性であれ、非常に強力である。安全に使いこなすには厳しい教育と鍛練が必要とされ、歴史上、常に高位の貴族や皇族が、『光』の力を管理してきた。よってその遺伝的な素養は、上流階級に集中している。

 が、稀に市井の庶民階層の中から、光の魔術の使い手が現れる。その場合も、貴族の後見のもと、力のコントロール方法を学ぶのが通例だ。


 ただ、半ば無理矢理貴族社会に放り込まれたバーソロミューと養父母との関係は、良好とは言い難かった。


 リュートやサングスターらと出逢って、仲間と呼ばれるようになり、そこで初めて魔術士としての人生に生き甲斐を見出すようになった――バーソロミューはかつてそう語ったものだと、サングスターは懐かしむ。


 しかしながら彼は、最後の任務で最愛の仲間をうしなった。

 そして、人の世界への希望をった。


「あるいは……あの時の彼を、引き止める事も可能だったかもしれん。あそこで杖先ではなく手を差し伸べていたら、何か違っていたかと……そう考える日もあった。幾日も」


 サングスターはしばし目を閉ざす。


「だが、最早そう。彼も私も、そう長くはない命らしい。老人は去り、時代は変わる」

「そがぁな。サングスターさん、元気じゃなぁですか」

「いや、変わるとも。既に変わりつつある。英雄がその身を犠牲にして世界を救う――そんな物語を、もう人々は必要としていない」


 ベッドから身を乗り出したエイダンの肩を、サングスターの節くれだった大きな手の平が叩いた。


「だからこそ、心から言おう。君が犠牲にならなくて良かった」


 エイダンは、軽く目を瞠ってサングスターを見つめ返す。そう思っては失礼かもしれないが、意外な言葉だった。


「あの、サングスターさん」


 と、エイダンは思いつくままに呼びかける。


「何かね?」

「ちらっと……耳にしたんですけども。蒼薊闘技祭そうけいとうぎさいの優勝者は、北方の魔物討伐軍に参加させられるかもしれんて。ほんまですか? ホワイトフェザー騎士団の、モーガンさん達も?」


 ほう、と今度はサングスターが目を見開いた。


「どこから仕入れた話か、気になる所だが。そういう事例は過去にあった。しかし、今回は事情が異なる。近々、北伐戦線の大幅な見直しが行われる予定でな」

「見直し?」

「例の事件の中で、首都襲撃者であるアジ・ダハーカをヴァンス・ダラが討ち取り、君と首都の民を救ってみせた。その様子は大勢の市民によって目撃されている。結果、世論が動いたのだ。ヴァンス・ダラと北方の魔物モンスターらへの、強硬策一辺倒はいかがなものかと」

「え――」


 そんな事になっているとは知らなかった。まだ軍の内部で検討されているだけの話だろうから、エイダンが知らないのは当然ではあるが。


「言っただろう、時代は変わる」


 驚きに目と口を開いたままのエイダンを置いて、サングスターは椅子から立ち上がった。


「どうあれ、エイダン・フォーリー。君には穏やかなる日々を。秩序と文明のあらんことを」


 組んだ両手を鼻先に近づける、ユザ教の祈りの仕草を見せてから、サングスターは相変わらず、厳格で多忙な軍人らしいきびきびとした足取りで、病室を立ち去った。

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