第74話 聖ジウサ・アリーナの邂逅 ④

 ダズリンヒルの百万の人口を支えるのは、西の田園地帯をうるおし、市街を流れ、東のブロークンバレル海峡へと注ぐ大河、グラス川である。


 そのほとりにある宿屋、『あざみの宿』に、エイダン達は案内された。ここが当面の滞在先となるらしい。

 屋号から見て、元々は聖ジウサびょうへの巡礼者のための宿泊所だったのだろうが、驚く程に豪勢な造りだ。冒険者時代に泊まったいくつかの宿と比べても、数段ハイクラスと言える。


「ここ、普通に泊まったらいくらぐらいなんかね……?」

「一泊につき、オスツ銀貨二枚ってところじゃない?」

「ひぇぇっ」


 シェーナと囁き合って、エイダンは目を回しかけた。


 『オスツ銀貨』とは、シルヴァミストで流通する通貨なのだが、エイダン達平民層は主に、一オスツの百分の一の価値となる『フラングス白銅貨』を使っている。この大判の銀貨とは、さっぱり縁が遠い。平民の独居男性一ヶ月の食費が、概ね二オスツ相当といったところか。


 さて、建物が大きいとか、内装が美しいだけではなく、機能面でもその宿は、最先端の設備を誇っていた。

 室内に引かれた、水道の水を利用出来るのだ。


 シェーナによれば、ダズリンヒルにはきめ細かな上下水道が整備されつつあるという。

 かつて、急激に都市開発が進んだ時期には、グラス川の汚染問題が深刻になり、川の魔力の淀みによって、街なかにアンデッド型魔物モンスターが出没する程だった。

 が、一五〇年前の『妖精大乱』後、半壊した首都を立て直すにあたって、「魔物の出ない川を」のスローガンのもと、あれこれと工夫が凝らされる運びとなる。


 よって、現在のグラス川は、ダズリンヒルという都市の規模の割には綺麗な水を湛えていた。


 それは良いとして、水道の蛇口を初めて目にするエイダンは、どこにどう触れば水が出るのかも分からない。

 宿に付属する浴場にやって来たエイダンは、洗い場で大いにまごついた。


「アンバーセットの街も、スミスベルスも、都会じゃったけど、こんな設備はなかったけんなあ」


 今日一日で、驚き疲れるくらい驚き通しだったエイダンは、湯船に身を沈めて溜息を漏らす。


 示し合わせて集合した訳でもないのだが、浴場内には闘技祭の民間救護班員のうち、男性陣が勢揃いしていた。隣の女湯には、シェーナ達が入っているはずだ。


 石造りの湯船は広々として、磨き上げられている。

 イニシュカの湯治場のような天然温泉ではないが、掃除も湯の管理も必要のない、他所よその大浴場というのはありがたい、とエイダンは、ぬくもってぼんやりし始めた頭で思考した。


「首都と、第二都市のフェザレインくらいではないかな、建物の中まで水道が通っているのは。僕の故郷はこの街の近くだが、実家ではまだ井戸を使っていたぞ」


 フェリックスが、湯に浸かりながら懐かしそうに語る。


「フェリックスさんちって、こっちの方なん?」

「ああ。ダズリンヒルの西の、コルトフーフ。牧場まきばと田園風景が美しい、のどかな街だ。一度君も訪ねてみてくれ」

「へぇー……」


 時々忘れそうになるのだが、フェリックスの実家は、古くからの格式ある地主階級ジェントリなのである。

 本来であれば、エイダンが対等な友人を名乗れる身分ではない。ましてや、一緒に汗だくになって、村の湯治場とうじばの掃除や管理に奔走しようなどとは。

 治癒術の修行のため、シェーナのため、という理由はあるにせよ、フェリックスは、エイダンが呆れるくらいに大らかな気性の持ち主だった。


「……上手く行くとええんじゃけどなあ、フェリックスさんの魔術修行」


「うん? いきなりどうしたんだ、エイダンくん」


 何気なく漏らしたエイダンの独り言に対して、フェリックスは不思議そうに、しかしけろりと笑ってみせる。


 彼はへこたれない性格なので、魔術の練習が思うように成果を上げなくとも、地道に続けている。寧ろエイダンの方が、フェリックスの良いアドバイザーになれない事に、やきもきしがちだった。

 自分はあまり指導者向きではないかもしれない、とエイダンは自省する。

 そもそもフェリックスとは、加護属性が異なる。そしてエイダン自身、まだ火の治癒術を、試行錯誤しながら使いこなそうとしている段階だ。

 もっと的確に魔術を指導してくれる人材が、彼の身近にいれば良いのだが。


「しかし、エイダンくんがそんな風に、僕の恋路を応援してくれようとは……君を恋敵ライバルなどと誤解していた自分が、実に恥ずかしい!」

「え? いんや、その事はもうええんじゃけど」


 かつてスミスベルスで出逢って以来、フェリックスはどういう訳か、エイダンがシェーナに片想かたおもいをしていると、長らく思い込んでいた。

 「彼女の傍にいれば、誰だって惚れ込むだろう!」というのが、彼の思い込みの根拠だったらしい。


 基本的に、医療以外の方面で、強く意見を主張するのは苦手なエイダンである。しかし流石に、イニシュカ村の中でそんな噂が流れてしまうと気まずいので――あの村は田舎らしく、口から口への情報伝播速度が恐ろしい程なのだ――フェリックスがイニシュカに滞在する事になった時、懇切丁寧こんせつていねいに説明して、どうにか誤解を解いたのだった。


「『恋路』……? おい、今、魔術修行の話してたんじゃなかったのか? オレのシルヴァミスト語の聞き取りが間違ってたか?」


 腕を枕代わりに、湯船で寛いでいたラメシュが、エイダンとフェリックスの会話に戸惑って、組んでいた脚を解いた。

 彼の左脚は、膝下あたりから途切れている。今は木製の義足も外していたが、特に誰の手を借りるでもなく入浴していた。


「いえ、貴方は正確に聞き取っていらっしゃいます」


 冷静な声音で、ハオマが応じる。


「シルヴァミスト人は、時に不可解な目的のために魔術をおさめようとするのです」

「西洋人って、分っかんねー……」


 北ラズエイア大陸中央地域出身の二人は、西方の異文化に首をひねった。


 フェリックスやエイダンが、典型的シルヴァミスト人であり西洋人の平均値かと言うと多少疑問は残るが、そこは聞き流して、エイダンはフェリックスに向き直る。


支援バフがあれば、治癒術の『風祓ディスペル』が使えるようんなったんよな、フェリックスさん」


 『風祓ディスペル』は、水属性の『止血ヘモスタシス』、地属性の『毒矯みハウツィニア』と並ぶ、風属性の初級治癒術である。


「うむ、修行の成果があって良かった。残念ながら、まだ効果絶大とは言い難いんだがな」

「フェリックス殿の、魔術か……うーん」


 洗い場にいたホウゲツが、何やら考え込みながら湯船にやって来た。眼鏡をかけていないためか、いくらか慎重な足取りだ。


「ホウゲツさん、どがぁしたん?」

「実はそれがし、以前イニシュカに参った時感じたのでござるが……。フェリックス殿の身の内に流れる魔力は、もしかして、東洋の術に適性があるのではなかろうか」

「東洋の術……ホウゲツさんが使いんさるような?」

「いかにも」


 肩まで湯に沈んだ上で、ホウゲツは首を縦に振る。


「アシハラの術士は、その多くが、への力の放出に向かぬ体質でござる。つまりこう……『ふぁいやー!』とか『ぶりざーど!』みたいな感じの魔術は、発達しておらぬ」


 えらくざっくりした物言いだったが、言いたい事は何となく分かった。


「代わりに、己の身の内から、相手の身の内へ。じんわりと効能を到達させる技術が発展し申した。患者の肌にじかに触れて治療する、摩式仙術ましきせんじゅつ……それに、はりを通して治療する術などなど」


 ホウゲツの使う『絵薬仙術えくすせんじゅつ』も、自身の目と指先に魔力を集中させて、相手の体内の様子を写し取る術である。

 魔力を体外に放出し、自然現象に転換するという、シルヴァミストで一般的な魔術は、ホウゲツ達アシハラの術士にとって、非常に困難なものだ。


それがしが推し量るに、フェリックス殿の魔力総量は、他の魔術士と比べて遜色ない。そこで、いかがでござろう。この祭りの期間、我が国の仙術の基礎を、貴殿に少しばかりお伝えするというのは」


「ほんまに?」

「いいのか?」


 驚きながらも、フェリックスはどこか、しっくり来たような顔をしている。魔力を『外』に放出しづらい体質、という話に、自分自身で思い当たるところがあったのかもしれない。


「救護班の仕事の合間合間となると、ほんのさわりだけで終わってしまうかもしれぬが」


 ともあれ、シルヴァミスト以外で――それも、遥か極東で発達した、魔力使役の技術。基本のキ部分だけでも、教わる価値は大いにありそうだ。


「こりゃあ、フェリックスさん、ええチャンスじゃなぁかね」

「そうだな。ぜひ頼む、ホウゲツ!」

「おお、承知つかまつった!」


 ホウゲツは力強く請け負ったかと思うと、何故か、湯船の中を明後日の方角に歩いてゆき、湯の注ぎ口となっているライオンの彫刻の肩を、ぽんと叩いた。


「早速明日から始めましょうぞ、フェリックス殿!」

「……ホウゲツさん、フェリックスさんはこっち」

「オヤ?」


 エイダンに呼びかけられて、彫刻に向けてまじまじと裸眼を凝らすホウゲツだった。



   ◇



 「……何だか、男湯が盛り上がっているな」


 洗い髪をまとめながら、マディが壁の向こうへと耳を傾けた。


「国際的で個性的なメンバーが揃っちゃってるものね。――まあ、こっちもそこそこ国際的だけど」


 イーファと一緒に湯船に腰を据えたシェーナは、浴場の片隅を振り仰ぐ。


「タマライさん、器用ね……」

「ぐるる」


 上機嫌なのだろう。タマライは喉奥から軽い唸り声を返した。

 彼女は大きなボディブラシを持ち込んでいて、先程からそれを口に咥え、せっせと自分の背中や尻尾をこすっている。毛皮を気にしてか、湯船に浸かるのは遠慮するつもりらしい。


「プライス中尉と少尉は、正規軍向けの宿泊所に滞在するのだろうが……キッシンジャー夫人は、一応民間人だ。こちらの宿には泊まらないんだろうか?」


 ふと、マディが疑問を口にする。


「……アリーナから自宅まで、辻馬車で通える距離だからね。引っ越してなければ」

「そうだったのか。――そこはつまり、シェーナの生家か?」

「ええ、そういうこと」


 かれこれ七年近く、足を踏み入れていない自分の家を、シェーナは浴場の天井に思いえがく。ごく温和で無口な、父親の顔も。


 シェーナにとって、このダズリンヒルは故郷だ。

 しかし、都市としてあまりに巨大で、洗練され過ぎているせいだろうか。帰郷した事への感慨は、さほど深くない。


 ――実際に自宅に行ってみれば、見慣れた路地や庭、自分の部屋を見て、懐かしさを覚えたりもするかもしれない。


 そうも思ったが、サンドラと共に実家に帰ってみよう、という気分にはならなかった。


 天井から目を落とすと、マディが困ったように眉尻を下げて、こちらを見ている。


「すまない、余計な話題を振ったな」

「えっ? そんな、気にしないで」


 と、シェーナは湯に浸けていた両手を挙げてみせた。

 十五の頃に爆発した反抗期から、未だ抜け出しきれずにいるシェーナだが、それは自分で折り合いをつけるべき問題で、仲間達に気を遣わせるような事柄ではないのだ。


「冒険者稼業には、何かと事情が付き物だよ」


 ありがたくも、マディはそんな風にさらりと話題を流して、湯船のふちに肘を乗せる。


「……マディは大人よね。いいなあ」

「そうか? 気ままにやっているだけだぞ。ご存じのとおり、大人気ない真似をして、正規軍は除隊済みだ」

「そういや、そんな事言ってたっけ」

「私の父が、正規軍海洋部門の佐官でな。何しろ堅物かたぶつな人だから、勝手に軍をめた時は大分揉めたよ」

「へぇ……」


 マディに堅物と評される軍人とは、どれほどの生真面目ぶりなのだろうか。


「うちは……」


 ぽつりと呟いたのは、ずっと黙りこくっていたイーファである。

 慣れない船による長旅と、首都に到着してからの驚きの連続で、彼女はすっかり疲れ果ててしまったらしい。先程から、湯船の中で長めの瞬きを繰り返していて、今にも眠りに落ちそうだ。


「うん?」

「……うちは、はよう大人んなりたい」


 ふーっと膨れっ面から息を吐いて、イーファは続けた。

 シェーナとマディは、見合わせた顔を軽くほころばせる。


「あたしも。気持ちは良く分かるわ」

「でも、エイダン兄さんは、シェーナさんらの事、頼りになる凄い治癒術士ヒーラーて言うとった。大人じゃと思うとるよ」

「あら。嬉しい評価してくれるのね、エイダン」

「うちの事も、そんな風に言うてくれんかなあ」


 イーファはぼやくように言葉を落とし、立てた膝の上で頬杖をついた。

 彼女からすれば、エイダンは『憧れのお隣のお兄さん』といった所か。真っ先に認められたい一人なのだろう。その気持ちも分かる。――同時に、彼女を妹同然に心配するエイダンの思いも、シェーナにはある程度理解出来た。


 思案顔を俯かせるイーファだったが、その俯き加減はだんだんと深くなり、やがて、こっくりと首が揺れ始める。


「ああっ、イーファちゃん? ここで寝ないで!」

「風呂場で寝て風邪を引いてしまっては、大人への道が大分遠のくぞ」


 慌てて、シェーナとマディがイーファを起こしにかかる。

 そこにタマライが、足音もなくやって来て、自分の背中を顎で示した。乗せて運ぼうか、という意味らしい。


「じゃあ、とりあえず脱衣所までタマライに頼むか……」

「服は着ようね? イーファちゃん、起きてられる?」

「ふぁぁい……」


 限りなく頼りない返事をするイーファに、エイダンと同じ、呑気な島の民の血統を感じるシェーナだった。

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