第69話 夏祭りの波乱 ④
エイダンとヒュー、それにイマジナリー・リードが、港へと到着した時、そこには大勢の島民が集まっていた。
桟橋の先には、イニシュカとトーラレイを行き来するいつもの郵便船ではなく、田舎の波止場には不釣り合いなくらい、優雅な造りの帆船が停泊している。皆、その船の見物に来たらしい。
フェリックスとハオマの姿を見つけて、エイダンは駆け寄った。
「フェリックスさん、ハオマさん!」
「エイダン。貴方もいらっしゃいましたか」
ハオマが、いち早くエイダンの声に気づいて、見えない目を向ける。
「シェーナさんは?」
「来てないようだな。今日は島にいるはずだし、騒ぎには気づいていると思うが……」
フェリックスが気がかりそうに、顎に手を当てたところで、一行はこちらへ歩いてくる数名の人影に気づいた。
すっきりとした機能的なローブに、怜悧な印象の眼差し。ヒューと似通った風貌の、貴族然とした女性が、その先頭に立っている。
レイチェル・リードである。
「姉上――」
ヒューが彼女を呼んだ。
「しばらくぶりね。元気そうで良かったわ、ヒュー。それにエイダンさん達も」
「姉上も。……今日は、お客様とご一緒と伺いましたが?」
「そうよ。どうしたの、そんな
笑顔を浮かべつつ、レイチェルは不思議そうな顔をする。
「トーラレイでは、妖精の力に頼らない治水事業への取り組みが進んでいるわ。その中で、水属性魔術による
レイチェルは手のひらを上向けて、自分の後方に控える人物を指し示した。
「……キッシンジャー夫人」
そう発言したのは、フェリックスだ。
彼はキッシンジャー家の人々と顔見知りなのだったと、エイダンは思い出す。シェーナとの婚約パーティーで会っているはずだ。
「お久しぶり。フェリックス・ロバート・ファルコナー」
相手の女性が、フェリックスに応じる形で、温度を感じさせない会釈をする。
それから彼女は、単刀直入な質問を投げかけた。
「シェーナは――私の娘はどこに?」
「いや、それは僕にも」
「ここよ。サンドラ・キッシンジャー」
困った様子のフェリックスの回答を遮る形で、別の声がその場に響く。
エイダンが声の方を見ると、シェーナとロイシン、それに、ロイシンの父親であるディランが揃って立っていた。シェーナはディランとロイシン親子の家に滞在しているから、騒ぎを知って一緒にやって来たのだろう。
普段であれば、ころころと変わる豊かな表情こそがシェーナの持ち味だ。しかし今の彼女は、眉尻を吊り上げ、石のように冷たい顔を保っている。
母と娘の再会に
「一体何をしに来たの、母さん? 家に帰れと命令するつもりなら、先に言っておくけど、お断りよ」
「そう」
特に驚くでも、憤るでもなく、シェーナの母――サンドラ・キッシンジャーは、娘に向けて頷いた。
「そう言うだろうとは思っていたわ。貴方の様子を見に来たのは確かだし、あまりにもキッシンジャー家として恥ずべき生活を送っているようなら、強制的に連れ戻す事も考えた。でも、私の目的は、貴方に会う事だけではないの」
「あの、キッシンジャー夫人?」
レイチェルが、戸惑いに眉をひそめて呼びかけた。
彼女はごく単純に、娘の様子伺いに訪ねた母親を、案内しただけのつもりだったのだろう。雲行きの怪しい会話に、思わず口を挟んだ格好だ。
「目的、と
「トーラレイ卿……レイチェル様。貴方に事前にご説明しなかった事は、謝罪致します。ですが、決して失礼を働くつもりはございません」
サンドラは滑らかに応じる。
「私は、
「はい?」
全く予想外に名前を挙げられ、
ぽかんとしていると、サンドラがこちらを振り向き、数歩分、歩み寄ってきた。
彼女の方が、シェーナより背が高いのだな、とエイダンはぼんやり考える。イニシュカ島民としては小柄なエイダンと、ほぼ同等の身長だ。
「貴方が、エイダン・フォーリーね」
「はぁ、そがぁです」
「ぜひとも、急ぎの仕事を依頼したいの。お話のお時間を頂けるかしら」
「構わんですが……」
「ちょっと! エイダンを何に巻き込む気?」
苛立ちを滲ませて、シェーナが会話を制止する。
ぴりぴりと、帯電するような空気がその場に流れた。
そこに――
「このまま立ち話というのも、なんだ」
いつもは必要以上に重い口をタイミング良く開いたのは、ディラン・マクギネスである。
「どこか、皆が落ち着いて話せる場所へ。我が家を使ってくれても良い。……構わないか、ロイシン、シェーナさん?」
「え、ええ。わたしはいいわよ父さん」
ロイシンが、シェーナに気遣う視線を投げつつも、首を縦に振る。
「……分かった。話を聞くだけなら」
と、シェーナも渋い顔で同意した。
「エイダン、怪しい依頼だったら、すぐ断るからね」
「怪しい依頼、て……?」
エイダンは困惑の解けないまま応じる。
一体全体、シェーナから見てサンドラ・キッシンジャーとはどういう人物なのか。
エイダンが知っているのは、シェーナは両親によって勝手に取り決められた婚約話に怒り、家出して冒険者となった、という事情だけだ。その詳細な心情までは、
「それじゃとりあえず、マクギネス家に向かうとしよう」
フェリックスがその場の全員を見回し、提案した。
◇
マクギネス家に
イニシュカ島の民家の中では、広い造りになっているマクギネス家だが、流石に居間はぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
「さて。無駄話は嫌いだから、用件から入らせて貰うわ」
テーブルに着き、出されたハーブティーを一口飲んだサンドラは、あくまで冷徹な態度を崩さずに言った。
「間もなく、首都ダズリンヒル、聖ジウサ・アリーナで、大規模な祭典が開催されるの。『
「首都の――聖ジウサ・アリーナ?」
エイダンにとっては、タイムリーな単語だった。つい先刻、ヒュー達と聖ジウサ
聖ジウサ廟には、それに付随する形で
かのアリーナで行われる、魔術士達の闘技祭は、サンドラの言ったとおり、歴史ある一大イベントだ。首都ダズリンヒルに足を踏み入れた事のないエイダンでも、名前くらいは知っている。
「闘技祭の開催中、選手と観客の保護のため、アリーナには特殊な結界が張られる。今大会の保護結界構築に際しては、キッシンジャー家がアドバイザーに抜擢されたわ。指揮を執るのは、当然正規軍だけどね」
「それは……素晴らしい名誉ですね!」
フェリックスが、素直な称賛を述べた。
「祭典の主催側に民間の、それも貴族ではなく
「私の開発した加護石を使えば、安価で効率良く水属性結界が張れる。聖なる祭典も、コストダウンの時代よ」
ほんの一瞬、サンドラの口元に皮肉な笑みが浮かんだが、彼女はすぐにそれを消し去り、話を続ける。
「とにかく、私は主催の一員なのだけども……開催直前の今になって、問題が発生したの。救護班をまとめ上げる、正規軍所属の治癒術士が、逮捕されたのよ。内乱罪容疑で」
「内乱?
仰天したエイダンは、思わず問い返した。
「実際に武力蜂起した訳じゃないわ。
サンドラの質問に、エイダンは首を振った。聞いた事のない単語だ。他の面々を見回したが、皆知らない様子である。
「すんません、初めて聞きました」
「構わないわ。ごく最近、イドラス共和国で使われるようになったばかりの、政治用語だものね。簡単に言えば、恐怖と暴力で国政を動かそうとするやり方。これを『テロリズム』と呼び、実行者を『テロリスト』と呼ぶ」
三十年あまり前、シルヴァミストの隣国イドラスでは、帝国としての体制が崩壊し、共和国が成立した。しかし、政治的な混乱が長年続き、今現在も内政が安定していないという。そんな中で生まれた言葉だ。そうサンドラは解説した。
「廃帝過激派の地下組織は、イドラスを混乱に
一旦説明を区切り、サンドラがハーブティのカップを手に取る。
「闘技祭の開催を取りやめたり、騒ぎ立てたりする事は、テロリストの思う壺でもある」
「この国の人を怖がらせたり、混乱させたりするのが、『テロリスト』の目的だけん――ですか?」
「そういう事。飲み込みは悪くないようね」
軽く目を細めるサンドラに対して、エイダンの隣の席に着いていたシェーナが、勢い良く上体を乗り出した。
「待って、母さん。結論を急ぐけど――まさか、人手の足りなくなった闘技祭の救護班に、エイダンを勧誘しようっての?」
ハーブティに口をつけると同時に、サンドラは溜息をつく。
「シェーナ、貴方の焦り過ぎる癖は、相変わらずね。それは不作法になりかねないと教えたはずよ」
「そっちは、不作法どころじゃないでしょ! その過激派と組んだテロリストとかいうのは、捕まってるの?」
「いいえ。まだ首都付近に潜伏中と見られるわ」
「じゃあ、エイダンが危ないかもしれないじゃない!」
なるほど、危ない。やはりシェーナは頼りになる――とエイダンは、呑気に感心してしまった。
危地に挑む仕事をこなすには、やや楽観的過ぎる自分の気質を、エイダンは一応自覚しているのだが、どうも身についた性分というものは変えるのが難しい。
「そうね。こんな片田舎での仕事に比べれば、危険はある。それでも、祭典の主催側は、今回に限り民間の――いわゆる『冒険者』を、織り交ぜて雇用したがってるわ。正規軍や主催関係者のうち、誰が信用出来て誰が怪しいのか、洗い出しすら終わっていない状況なのよ。互いに監視出来る、出自の異なる人材を、直接雇いたい」
「そんな。ますます危なっかしい……」
そこまで言い
「……母さんも、それで抜擢されたの? 危険を承知で? 貴族階級でもない魔道研究者が、祭典の
サンドラは、ただ薄っすらと、笑みを返す。
「さあ? 私は、決して訪れた機会を無駄にしない人間――とだけ言わせて貰いましょう。シェーナ、貴方もよく知っているはずよ」
それから彼女は、席を立ち、窓際までゆったりとした足取りで移動した。
「主催側は、既に何人か、信用出来る冒険者に声をかけている。その中で、イドラスのテロリストと、直接顔を合わせた事のある人材が見つかったわ。マデリーン・ベックフォードという治癒術士と――留学生の、ホウゲツ・セッシュウサイ」
その場に集まった皆が、一斉に「えっ」と声を上げた。勢い込んで、エイダンは質問する。
「マディさんと、ホウゲツさん? 二人とも、闘技祭に雇われたんですか?」
「救護班員としてね。
エイダンは腕を組んで考え込んだ。
マディとホウゲツは――そうだ。前回イニシュカ島に来た時、列車強盗を退治したと語っていた。
二人組の強盗で、うち一人は取り逃がしたらしいが、どうも金品強奪だけが目的ではないような、奇妙な印象の犯罪者だったと、そんな風にマディは証言した。
逃走した強盗。彼がもしかして、イドラスのテロリストだったのだろうか?
「その二人の名を、あえて挙げたという事は。彼らが我々の知人であると知っているのですね?」
沈黙を保っていたハオマが、静かに問い質す。
サンドラはそれを、事も無げに肯定した。
「火属性の治癒術士――冒険者エイダン・フォーリーの興味深い履歴について、私に教えてくれたのは、マデリーン・ベックフォードよ。
だから自分が直接勧誘に来たのだ、と彼女は説明を締めくくった。
「改めて、
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