第67話 夏祭りの波乱 ②

 ロイシンに連れられ、大急ぎで礼拝堂まで戻ってきたエイダンは、歌も踊りも中断し、気まずい沈黙の降りた広場の中央で、睨み合う二人の男女を見つけた。


 一人はキアラン。今一人は、明るいブラウンの髪を二つ結びにした、そばかすの目立つ少女。

 キアランの妹、イーファ・オコナーである。

 イーファは、キアランより六つ年下の十三歳。去年イニシュカ小学校を卒業したばかりで、そろそろ進路を決める年頃だ。


「何なんじゃ、イーファ! 今日は水の精霊王様の祭りなんじゃぞ! その場で、漁師の仕事なんぞつまらん、言う奴がおるか!」

「つまらんもんは、つまらんいね! うちゃあ、漁師にも海女あまにも、島の誰かの嫁さんにもなりとうない! こんな島は出て行くて、ずっと決めとったんだけんね!」

「出てって、何するっちゅうんじゃ!」


「……物書きんなる」


「もの――はぁ!?」

「ふん。兄ちゃんは物を知らんが、都会まちん方では今、出版社とか新聞社とかが、大繁盛しとるんじゃ。うちは、そこで働きたい!」

「働きたい言うて、そんな簡単には……」


 そこで、イーファは近づいてくるエイダンの方を、ちらりと見た。


「エイダン兄さんは、都会で働いて上手くやって、魔術士になって帰ってきとるじゃろ! うちにも出来る!」


 キアラン達の両親――オコナー夫妻は、幼くして祖母と二人きりになってしまったエイダンを、我が子同然に可愛がってきた。だから、イーファもエイダンを『エイダン兄さん』と呼んで慕っている。


 治癒術士となって帰郷して以来、何度かイーファに土産話みやげばなしをねだられたので、語って聞かせたものだが、あれはまずかっただろうかと、エイダンは胸中で反省した。


「おまっ……エイダンがどんだけ苦労したんか、知らんじゃろうが!」


 キアランは、呆れ果てた、といった口振りで、両の眉尻を下げてみせる。


「子供に暗い話は聞かせられんけんて、イーファには話さんかったがなあ……魔術の才能があって、島の学校で成績一番だったエイダンでも、えらい目にうとるんじゃぞ! お前の卒業前の成績表、どがぁな有り様じゃ!」

「兄ちゃんよりは良かったわ!」

「なんじゃい!」

「キアラン、キアラン」


 ヒートアップしきっている親友の肩を揺すって、エイダンは呼びかけた。


「イーファも。礼拝堂の前で、あんまり怒鳴りうたら、慈涙じるいのカル様もナミダガニも、びっくりしてまうよ」

「エイダン兄さんまで、そがぁに、村の年寄りみたぁな事言うて……!」


 イーファの怒りは、なおも治まらない。暴発した花火のような勢いである。


「みんな、こんなじゃ! つまらん田舎で、なんも考えんで、儲からん仕事して! 本土に行きゃあ、島のもんは無学な貧乏人いうて馬鹿にされる! うちゃあ……兄ちゃんや、父ちゃんや母ちゃんみたいには生きたぁない! みんな阿呆じゃ!」

「イーファ!!」


 両親を侮辱された途端、キアランは激昂した。

 明らかに顔色を変えた兄の目を見て、イーファがひるむ。

 思わず、といった風に片腕を振り上げたキアランを、エイダンは抱きつくようにして、慌てて止める。


「キアラン、やめぇ! ――あいたっ」


 キアランの方が、エイダンよりいくらか背が高いものだから、引き止めた拍子に、振り回された肘が、エイダンの鼻先に思い切りぶつかった。


「あっ」

「わぁっ、エイダン、鼻血!」


 我に返った顔つきで、エイダンの方を振り向くキアランの横合いから、ロイシンが駆け寄ってくる。

 当たり所が悪かったらしい。エイダンの服の襟元に、数滴ばかり血が滴っていた。


「ちょっ――大丈夫? エイダン。『止血ヘモスタシス』かけようか?」

「あ、いや、すぐ止まるけん……」


 遅れて追いついたシェーナも、心配そうに錫杖を握る。

 『止血ヘモスタシス』は、ごく初級の水属性治癒術だが、魔術を使う程の負傷ではない。エイダンは鼻を押さえた状態で、首を横に振った。


 思わぬ怪我人が出た事で、イーファも、自分の言葉が過ぎた事に気づいたらしい。先程までの興奮ぶりが嘘のように、黙りこくってエイダンとキアランを見つめていたが、やがて彼女は広場に背を向け、自宅の方角に走り出した。


「イーファ!」

「エイダン、ええよ。家に帰るだけじゃろ」


 イーファを追おうとしたエイダンを、冷たい口調でキアランが止める。


「それより――すまんエイダン。みんなも……」


 深く溜息をついて、キアランはその場の全員に頭を下げた。


「大事な祭りの日に。ほんまにごめん」


「……まあ、まあ。ほれ、イーファもああいう年頃じゃけぇ」


 傍らでハラハラと成り行きを見守っていた中年女性が、進み出てキアランを宥める。


「キアランも昔は、ごうげにヤンチャじゃったわ」

「うん。親父さんと大喧嘩して、アンテラ山の炭焼き小屋に三日立て篭もったんは、あれくらいの頃じゃったな」

「いんや、もうちょい小さかったじゃろ」

「そ、そん話は今は……」


 過去の所業を知る年配者達に囲まれ、キアランはたじろいだ。


「後でイーファが落ち着いてから、ゆっくり話したらええいね。なぁ」


 フィドルをたずさえた村人の一人が、場をとりなし、腕の中の楽器を構え直す。

 踊りのための弦楽器のリズムに、笛の音が重なり、広場の人々は多少ぎこちなくも、祭りを再開した。


 エイダンは、鼻を摘まんでイーファの去った方を見つめる。何とも言い難い悪い予感が、胸をぎったのだ。



   ◇



 「それで、今日になってもそのイーファという漁師の娘は、家に帰っておらんと?」


 本棚の上に腰掛けた、人型の煙のような不可思議な外見の男が、顎髭あごひげを撫でつつ現状を確認した。


 遺言用思念体、イマジナリー・リード。イニシュカ島の代官、男爵リード家のアルフォンスがこの世にのこした、人造アンデッドである。

 現在彼は、遺言の務めを果たし終え、イニシュカ小学校の『備品』として、子供達に語学や歴史を教えたりしている。


「うん」


 イマジナリー・リードの正面の椅子に身体を沈ませ、エイダンは気落ちした声で頷く。


「村のどこにもおらんで……キアランも心配して、とりあえず今日は、漁師仲間らとアンテラ山の上まで捜しに行っとる」


 カニ祭りの夜は更け、片づけが終わり、島は日常に戻るはずだった。

 ところが翌日の早朝、まだ陽も昇らない時間に、青い顔をしたキアランが、エイダンの家の戸を叩いたのだ。


「どがぁしようエイダン、イーファがまだ家に戻らん……捜しとるけど、おらん!」


 この行方不明事件により、またも、島民達は大わらわとなってしまった。


 とはいえ、日々の仕事をいつまでも放り出してもおけない。

 エイダンはイーファ捜索を手伝った後、いつものように治療院に出勤し、小学校での往診を終えて、学校の敷地内にある図書館、『男爵文庫』に立ち寄っていた。


「心配だな。イーファ・オコナーか……ここにもよく来る子だ。顔は覚えてるから、俺も出来る限り捜してみるよ」


 エイダンの肩を叩いて励ましたのは、男爵家の末子で、現在は男爵文庫の管理人を務めている、ヒュー・リードである。

 彼はエイダンの患者でもある。ここに寄り道したのは、彼の診察のためだった。


「あんがとうございます、ヒューさん。イーファ、男爵文庫にも来とったんですね。あの子は冒険小説だとか偉人の伝記だとか、好きだけん……」

「『参考書は嫌い、特に算数は駄目』などと言ってたがな」


 ヒューが苦笑いを浮かべる。


「イーファは好きな事に熱中し過ぎるタチだけんなあ……。あまり思いつめとらんとええのだけど。本土との定期船には、それらしい子は乗らんかった、ちゅう話ですけん、島の外には出とらんと思いますが」


 イニシュカ島では日に数回、本土の港町トーラレイとの間を、客船と郵便船が行き来する。これに乗るのが、島から出る唯一の手段だ。

 十二、三歳の少女が一人で船に乗れば、船員は珍しがるだろう。しかし港で聞き込みをしても、それらしい目撃情報は出てこなかった。


「エイダン、君こそ、思いつめるんじゃないぞ……すぐに思いつめて煙を噴く、俺が言うのもなんだが。少し、ここで休憩していくといい。疲れてるだろ」


 冗談めかしてヒューは言ったが、その気遣いはエイダンにとって有り難かった。

 子供の頃からよくかよってきた男爵文庫は、気分の落ち着く、エイダン気に入りの場所の一つである。


「ヒューさんは、本の整理の途中?」

「まあな、のんびりやってるところさ。アルフォンス大叔父さんの集めた本で、子供向けでない内容の物なんかが、備品庫に仕舞われっぱなしになっててな……」


 ヒューが指差した机の上には、いくつか書籍が積まれている。虫干しの最中らしい。


「子供向けでない本って……」


 例えばワイセツな? とエイダンは余計な想像をして、


「こら。我が『本体』に対して、何か失礼な事を考えたであろう」


 と、イマジナリー・リードの煙状の手ではたかれた。


「そういう物も、集めてはおったがな。アルフォンスは」

「……そがぁですか」

「いや、単純に難解だったり、昔の宗教上の禁忌に触れて、発禁になったようなのもあるぞ」


 ヒューが慌てて、大叔父の名誉を守ろうとする。彼は机に積まれた本のうち、古びた羊皮紙製の一冊を指し示した。


「例えば、これなんか相当な貴重品じゃないかと思うんだ。いにしえの精霊王伝説の叙事詩で、古代の記述そのままの写本らしい。現代の版では一部省略されてるようなエピソードが載ってる」

「へぇー!?」


 それは、猥褻わいせつ本以上に気になる話だ。


 興味を持ったエイダンの前で、ヒューは手袋をはめて、叙事詩の写本をそっと開いてみせる。


「全体に、古文なんだが……」

「何となく読めますよ」


 エイダンは覗き込み、ページ上の文字列を追いかけた。

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