第66話 夏祭りの波乱 ①
聖暦一〇二三年、
一年のうち六番目にあたるこの月には、
聖シルヴァミスト帝国最大の祝祭の季節といえば、年の瀬である銀の月だが、夏の訪れもまた、盛大に祝われる。
西の端の離島イニシュカで、鳩羽の月の末に催される『カニ祭り』は、村民総出での祝祭だ。
イニシュカ島では古くから、六属性のうち、『水属性』を
このカルの忠実な使徒と言い伝えられるのが、ナミダガニという、夏によく水揚げされる小振りなカニの一種だ。
飢饉や不漁の時でも、不思議とこのカニだけはよく獲れるらしく、
「慈悲深い精霊王カルの使徒が、飢えた人々を救うために我が身を差し出された」
と、島の人々は信じた。
そんな訳で、ナミダガニ漁が最盛期を迎えるこの時期、茹でガニを盆に盛って祭壇に据え、精霊に感謝の祈りを捧げた上で、有り難く村の皆で分け合って食べるという、伝統行事『カニ祭り』が開かれるのである。
◇
「……精霊王の使い、食べちゃっていいの?」
皿に鎮座する、赤く茹で上がったカニの脚を前に、シェーナ・キッシンジャーは首を傾げた。
カルを祀る礼拝堂前の広場。カニ祭り会場となったそこには、テーブルが並べられ、村人達がそこかしこで、歌ったり踊ったり、カニ料理を
「うん。甲羅の隅まで残さず頂いて、殻はスープにして、そんで埋葬するんよ。『カルの恵みは、感謝して全て頂く』ちゅうのが、
と、盆を抱えたエイダン・フォーリーは応じた。
「んー、言われてみれば納得。お祈りした上で美味しく食べればいいって訳ね」
「そうそう」
エイダンは笑って、運んできた盆をテーブルの上に置く。
盆の上には、カニと豆の煮こごりに、蒸された貝、たっぷりの香草と
「ほいシェーナさん、食うて食うて。これキアランが作ったけん、美味いよ」
「やめーやエイダン、そんなん言うて、口に合わんかったらどうするん。シェーナさんが食うてきたんは、こがぁな田舎料理と違うんだけんな」
一緒にやって来た親友のキアランが、気恥ずかしそうにエイダンを小突く。
ここ半年間をイニシュカ島で過ごしてきたシェーナだが、彼女はシルヴァミスト東端にある首都の生まれで、上流階級育ちである。時に、西部辺境の文化に不慣れな面も見せる。
しかしシェーナは、軽く祈りの仕草を見せてから盆のカニと貝を口に運び、
「おいっしい! 絶品! キアラン、漁師めし居酒屋でも開かない?」
と、褒め称えた上で、エールの注がれたカップを一気に傾けた。
「おお、そう言うて貰えると……シェーナさんて、結構酒豪じゃな?」
キアランは少しばかり呆れ顔で、瞬く間に空にされたエールのカップを見つめる。
「あ、ロイシン!」
幼馴染のロイシン・マクギネスがそばを通りかかり、エイダンは手を振った。
彼女は現在、薬草師の修行のために島を離れて暮らしているのだが、『カニ祭り』はイニシュカの若者にとって重要な行事なので、先日から、準備を手伝いに帰省している。
ちなみに去年のエイダンは、あまりに遠方にいたせいで、『カニ祭り』に参加出来なかった。残念な思いをしたものだ。
「エイダン! そっちの祭壇の準備、終わった?」
「ああ、大体は終わったけん、俺らも飯食うわ。女子組の方は?」
「こっちも終わって、一旦解散。シェーナさんと飲もうと思うて、これ貰ってきたよ!」
ロイシンはにこにこと答えて、陶器のピッチャーを軽く掲げてみせる。
「シェーナさん、これどう? 島の伝統の製法で漬けたニワトコ酒ですよ」
「えっ……気になる」
エールを一杯飲み干したばかりのシェーナは、ロイシンの持つ酒器に、ごくりと喉を鳴らした。
「まあまあ一杯……」
「エヘヘ、これはどうも……」
よく分からないノリのやり取りを交わし、シェーナはニワトコ酒をカップに注いで貰った。甘く爽やかな香りが、エイダンの鼻先にも漂ってくる。
自分はニワトコのシロップ水を貰ってこよう、とエイダンは考えた。彼はもう十八で、島ではとっくに成人扱いなのだが、未だに酒は苦手である。
「シェーナ! ここにいたのか。感動の再開だな!」
突然、祭りの会場に、プラチナブロンドに端正な顔立ちの青年が颯爽と現れ、熱烈な挨拶を披露した。
シェーナと同じく、島外からやって来た冒険者の、フェリックス・ロバート・ファルコナーだ。
「ああフェリックス。……小一時間前にも会ったけどね。あんた、湯治場を開けに行ったんじゃなかったっけ?」
すっかりフェリックスの扱いに慣れきったシェーナが、けろりと応じる。
エイダンとフェリックスの管理する、イニシュカ村共有の湯治場、『イニシュカ温泉』は、近頃少しずつ客足を伸ばしていた。
トーラレイの貴族リード家
仕事は忙しくなったが、お陰で、施設の修繕費用が貯まってきた。
次の冬までには、脱衣所を寒さがしのげるくらいの造りにして、洗い場ももっと整えよう、とエイダンは算段を立てている。
今日は祭りで、島民は湯に浸かっている暇もない程にどたばたしているが、島外の客が来るかもしれないから、一応風呂を掃除して開けておこう――と、先程フェリックスは湯治場へ向かったはずだ。しかし、やけに早く戻って来た。
「そうだとも! 湯治場に行っていた!」
シェーナの問いに、力強く頷き返すフェリックスである。
「そしてそこでも、感動の再会があったんだ。これは皆に教えなければと思い、急ぎ駆けつけた!」
「再会? 誰と?」
エイダンが首を捻った。
「ハオマが島に来てるんだよ!」
「ハオマさんが?」
「えっ! 丁度良い所に来たじゃない。一緒にカニでも……あ、でも彼はサヌ教徒だから、カルに祈る祭りには参加出来ないんだっけ」
地の精霊王サヌを奉じる、盲目の旅僧ハオマ。
彼は信仰に基づき、定住の地を持たずに生きているが、イニシュカ島という場所は気に入っているらしい。
先月も、あの仏頂面のままフラリと温泉にやって来て、露天風呂を楽しんだのち、またどこかに立ち去ってしまった。
「ほんで、ハオマさんはどこに?」
エイダンは周囲を見回したが、肝心のハオマの姿はない。
そこで、「あっ」とフェリックスが声を上げ、気まずそうに首裏を掻いた。
「しまった。置き去りにした。……多分、番台で店番をしてくれている」
◇
「フェリックス。『ちょっとここを頼む』と、先程の貴方は
「いやあ、悪かった! 君との再会が嬉しくて、つい皆に知らせようと飛び出してしまい……今すぐ、好きなだけ温泉に浸かってきてくれ!」
番台のカウンターに頬杖をつき、閉ざした
カウンターには鍵付きの木箱が置かれていて、中にいくらかのフラングス白銅貨が入っていた。湯治場の入湯料入れである。
フェリックスが建物を飛び出してしまったので、番台を無人にしてはおけず、仕方なくハオマが代わりに、カウンターに着いていたらしい。気まぐれな放浪者の割に、彼は存外律儀だ。
「今さ、『カニ祭り』っていうのが開かれてるのよ。イニシュカの夏至のお祭りだって」
シェーナが礼拝堂の方角を指して言うと、ハオマはあっさりと頷いた。
「そのようですね。いつになく、島がざわついております」
視力を失っている代わりに、聴覚やその他の感覚の鋭敏なハオマは、島の晴れの日の空気を、早々と察知したようだ。
「拙僧はサヌに命を捧げる身、水の精霊王に祈る事は出来ませんが……」
「やっぱ、そうなんじゃなあ」
エイダンはサヌ教徒の
土着の民間信仰の形態を保っているカル教には、神官や司祭といった専門職がない。
イニシュカの祭りの
そんな文化圏で育ったエイダンにとって、地の精霊王への熱心な祈りの姿勢を貫く、サヌ教の僧侶という職業は、やや新鮮に映る。
「けど、せっかくだけん、ご飯でも食べて、ゆっくりしんさってってな。『男爵文庫』のヒューさんに
「お心遣い、有り難く頂戴します」
淡々と、ハオマは礼を述べた。
まずは何より、店番を交代する必要があるだろう。エイダンはハオマに代わって、カウンターの裏手に回ろうとする。
その時、林道の方から、軽い足音が聞こえてきた。
「エイダン!」
息を切らして駆け込んできたのは、ロイシンである。
無尽蔵の体力を誇る彼女が、息を切らす程に焦るのは珍しい。つい先刻まで、祭りを楽しんでいたというのに、何が起きたのだろうか。
「エイダン、大変!」
「ど、どしたんロイシン?」
「キアランが、祭壇の前で
「えぇ!?」
エイダンは目を剥いた。
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