第三部 バトルアリーナの救護班

第65話 序章・聖暦九七二年

 聖暦九七二年。聖シルヴァミスト帝国北方、クライングブレード海峡沿岸――


魔杖将まじょうしょうヴァンス・ダラが拠点としているのは、あそこか?」


 ギデオン・リー・サングスターは、舞い散る雪の中、前方に目を凝らした。


 旅人を阻むかのように、険しく切り立った鈍色にびいろの崖。その頑強な壁面を、稲妻状に縦に裂いて、洞窟が口を開けている。

 洞窟の前には、複雑なレリーフを施された巨大な石柱が一対、そびえ立っていた。古代の人々が彫り込んだ遺物と思われる。

 かつては、天然の洞窟を利用した、神殿か王宮だったのだろうか。


 空気は冷え切り、毛皮のマントを纏った肩には容赦なく雪が降り注いでいたが、二十歳になるギデオンの胸のうちは、使命感と昂揚感で燃え盛っていた。


「ついに、ここまで辿り着いた……」

「長い冒険になったもんだね。まだ終わっちゃいないけど」


 斥候に出ていた仲間の一人――ジェマ・アベドが、岩陰から姿を現した。雪景色に溶け込む灰色のマントを、彼女は素早く羽織り直す。


「予想どおり、この辺は手薄。魔杖将に従う魔物モンスターの群れは、南に布陣した正規軍の動きに気を取られてるみたいだ。チャンス到来ってやつよ」


 南ラズエイア大陸出身の海賊である彼女は、雪にも寒さにも不慣れで、先刻まで散々気候に不平を零していたものだが、斥候任務となればそこはプロらしく、速やかにこなしてみせた様子だ。


「少数精鋭と言えば聞こえは良いが、ヴァンス・ダラの迷宮に、僅か四人で突入とは」


 ギデオンの横に並んだ僧衣の男が、浅い溜息を漏らす。


「ここから先は、いよいよ死地だな……」


「そこで、あんたが頼りって訳よ、バーティ。当代最高の光の治癒術士、シルヴァミストの誇る大賢者! その名はバーソロミュー・カニンガム!」

「こんな所ではしゃぎ過ぎるな、ジェマ」

「はいはい、ギデオンは真面目なんだから。こういう時こそユーモアが大事だろ」


 つまらなそうに、ジェマは肩を竦めた。


 ジェマを諫めはしたものの、バーティことバーソロミュー・カニンガムを頼りにしているのは、ギデオンも同じだ。

 彼は、国内有数の腕前と言われる優れた治癒術の使い手。そしてそれだけでなく、呪術士のギデオンと共に、数少ない『光属性』の魔術士に認定された身である。


 『光属性』は、秩序化と正常化の魔術だ。闇に包まれた物事を解明し、混乱した状態を正す。光の精霊王ユザの教えを信仰する者として、誇るべき加護属性だった。


 ただし、今回の任務――魔杖将ヴァンス・ダラの暗殺――を遂行する中で、ギデオンとバーティが戦死してしまったら、シルヴァミストからは光の魔術士が失われる事になる。

 こんな危険な役目を、稀少な光属性術士が背負うべきではない、という意見も、正規軍上層部からは出た。しかも、ギデオンは名門中の名門、サングスター本家の生まれなのである。

 しかし結局は、ギデオンもバーティも、自ら志願して今この場所に立っている。

 何故なら彼らは、“勇者リュート”の仲間達パーティーだからだ。


「大丈夫だよ。ジェマさんもギデオンさんも、みんな頼りになるんだし」


 後方から、これから死地に向かうにしては、のんびりとした声が上がった。

 振り向くと、そこにリュートが立っている。


 雪と見紛みまごう、純白の癖毛。透き通るような琥珀色の瞳。この瞳は、シルヴァミスト北方の山岳民族の血を引く者に、しばしば見られる色だ。


 北の辺境生まれの平民でありながら、若くして騎士ナイトの称号を得た、天才魔道剣士ソーサリーファイターにして戦術家、リュート・カルホーン。

 神秘的な容姿と、冷却特化の水属性魔道剣を扱う能力から、『白雪はくせつの勇者』などという二つ名で呼ばれてもいる。


 ただ、その名声や功績に関係なく、一人の友人としてのリュートは――至って気のいい、呑気な田舎の青年でしかなかった。

 ギデオンもバーティもジェマも、そんな彼に導かれて、冒険に旅立ったのだ。


「ここまで来たからには、みんなで無事に帰りたいよな……」


 目指す洞窟の入り口を見つめて、ぽつりとリュートが呟く。


「当然じゃん!」


 ジェマが力強く答えた。


「あたしはもー、今から帰った後の事考えてるからね」

「ほう、ジェマが将来の事を考えるとは。帰ったら何をするんだ?」


 からかう口調で、バーティが問う。


「まず、りんごのパイを飽きる程食べる。シナモンのきいた奴よ」

「そうか。……もういい。聞くんじゃなかった」

「何さ。そういうバーティは? なんか計画あるの?」

「俺はまた、魔術研究の日々に戻るとも。次は東洋の魔術について調査したい」


 うわあ、とジェマは呻き、顔を思い切りしかめた。


「この仕事を成功させて無事に帰れば、世界中から英雄扱いされんだよ? 街を歩けば、そこら中から『キャー素敵! バーソロミュー様よ!』ってな感じ。なのに、研究の日々? 東洋魔術? 信じらんない!」

「『りんごのパイ娘』に言われたくないぞ」

「あたしのはロマンだ」

「やれやれ。ギデオンは、この先どうする?」


「私は……そうだな……この戦い続きの旅の中で、呪術士としての力不足を痛感した。今後は魔術学校で学び直し、いずれは教職に就けたらと思う」

「わーお。なんて固い記者会見」


 とジェマは、本気で呆れ返る。

 横合いで、バーティが片目だけを細めた。


「魔術学校……サングスター家のか? アンバーセットにあるとかいう」

「そう、サングスター魔術学校だよ。あそこに勤めて、いずれはもっと門戸を広く開きたいと考えている。出自を問わず、才気のある人と語り合ってみたいんだ。例えばリュートのような」


 真剣に語るギデオンに対して、リュートは照れた様子で、後ろ髪を掻いている。


「なんだば、ギデオンさん。照れるべやあ」


 シルヴァミスト北方の方言は、ほとんど別の言語かと思える程に癖が強い。パーティーの司令塔を務める事も多いリュートは、皆に合わせて標準語をマスターしていたが、動揺すると、すぐに訛りが漏れるのだった。


「あっははは、リュートが照れてる」

「恥じ入る必要はないだろうに。――リュートは? この仕事を終えたら、帰郷するのか?」


 ギデオンが訊ねると、リュートは軽く曇り空を見上げた。


「僕は……そうだな、一度故郷には戻りたいな。畑ば手伝わねばまいねよ」


 懐かしむようにそう言ってから、「ああでも」と付け加える。


「見て回りたい場所が、まだ世界中に、たくさんあるんだ……それに、やりたい事も。冒険者ギルドをもっと発展させて、都市間の連携も取れるようにだとか――色々と」


 視線を下げたリュートは、仲間達を見回した。


「みんなとも、これで終わりにしたくない」


「そんなの――それこそ当然じゃん。リュート、あんた十七だっけ? 今はもう十八? 一番これからって年齢としでしょ」

「ああ。終わりな訳がない」


 からかい合っていたジェマとバーティが、揃って頷き合う。


「ヴァンス・ダラを討ち取り、南下しつつある魔物の軍勢を退かせる。シルヴァミストが平和になれば、冒険者達も自由に動けるだろう」


 ギデオンはリュートの肩を叩いた。


「次はもっと、気ままな旅に出るのも良いじゃないか」

「んだっきゃ」


 笑顔を返してから、リュートは背に挿していた長剣の柄に手をかけ、一息に抜刀する。


「それじゃ……今から、ヴァンス・ダラの根城に突入する。いいかい?」


 掲げられた剣の切っ先に、ギデオンとバーティが杖を、ジェマが短い双剣の刃先を重ねた。


 全員の視線が交錯し、各々の静かな決意を確認したのち――


 ――白雪はくせつの勇者リュートと仲間達は、宿敵・魔杖将ヴァンス・ダラの待つ古代の洞窟へと、雪原を突っ切り、一直線に向かった。

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