第64話 【番外編】はじまりの雨夜 ④

 そう、始まりはあの雨夜だった。

 あれから、一年が経つ。


 丁度、あの日のような小雨が、音もなく窓の外に降り注いでいる。記憶を遡り、物思いに耽っていたテイラーは、一年という時間の経過の早さに、驚いていた。


 何しろあの日以降、テイラーを取り巻く環境は、目まぐるしく変わったのだ。時の経つのも忘れる程に。



   ◇



 冒険者ギルド宛ての、エイダンの推薦状を書くのと同時に、テイラーは、ダレン・リードへの返事をしたためた。

 魔道管理局にぜひ転職したい、との決意を表したのである。


 ダレンは喜んで、地域調整課のチームにテイラーを迎え入れた。


 冒険者となったエイダンが、テイラーの家を再び訪ねてきた折に、転職して、数字に囲まれる日々を送る事になったと打ち明けると、彼も我が事のように喜んでくれた。


 エイダンとは、その後も何度か会って、イチゴだとか石鹸だとか、あれこれ土産を持って来られたが、彼は年の瀬の頃にアンバーセットを発ち、故郷に戻る事になった。


 冒険者兼風呂屋業が当たって、思っていたより早く、故郷から援助された学費を貯め直せたらしい。アンバーセットで出来た仲間達のお陰だ、とも彼は語った。


 息子のように思うだとか、そんなおこがましい感情はないが、一抹の寂しさが、テイラーには残った。

 便りを出すにも、イニシュカ島は遠い。今頃、元気でやっているだろうか。


「テイラーさん、今度息子さんと会うんですって?」


 先程まで大量の資料とにらめっこをしていたダレンが、肩回りをほぐしながら、ふと呟いた。


「……耳が早いですね」

「だってここの所、やたらとウキウキしてましたから。ちょっとみんなに聞いたら、そんな話が」

「ウキウキ?……してましたか?」


 テイラーは慌てて、自分の顔を撫でる。


 先日、妻と息子に宛てて数年ぶりに手紙を出したところ、近々、仕事でアンバーセットに行くので会おうと、息子から返事があったのだ。

 同僚の一人に何気なく漏らしたのが、あっという間に、ダレンにまで知られてしまった。調査の専門家集団というのも、困ったものである。


「良かったじゃないですか、遠慮なくウキウキして下さい。――そうそう、今朝、僕の元にも手紙が来ましたけど、こっちは姉からのお説教でしたよ。全く、色気がない」


 そう言ってダレンは、デスクの上に置かれていた封筒を、ひらひらと振ってみせた。


「姉……トーラレイ卿、レイチェル・リード様ですか」

「まだ正式には、爵位を継いでませんが」


 シルヴァミスト西部辺境の情勢が、アンバーセットまで噂として届く事はあまりないが、現トーラレイ卿の跡継ぎは、やり手の女男爵バロネスだ、という話は、どこかで耳にした。彼女が、ダレンの姉らしい。


「優秀な姉のお陰で、僕は好き勝手やれてる訳ですが。時々こうしてお説教が来るんです。『若いうちは気ままに生きるのも良いけど、そろそろ帰ってきて、わたくしの仕事を手伝ってはどう? 貴方にお見合いのお話も頂いておりますのよ』……はぁ」


 手紙の文面を読み上げて、ダレンはげんなりと肩を落とす。


 失うのは辛いが、身近にあるうちはわずらわしく思ったりもする。それが家族だとか、故郷といったものなのだ、とテイラーは、胸の内で納得した。


「ま、今回は説教だけでなく、厄介な頼まれ事もくっついてたんですが」

「というと?」

「何でも、妖精達との公的関係改善に向けて、アンバーセットから中央に働きかけて欲しいとか」

「妖精……」


 ダレンには、名門サングスター家との繋がりがある。理詰めでの説得が得意だから、帝国議会まで何かしら議題を持ち込む事も、あるいは可能かもしれない。


「トーラレイで、何か起きたのでしょうかね」

「そのようです。ただ、これは朗報だと姉は言っていますよ。トーラレイにとっても、弟のヒューにとっても」


 リード本家は三兄弟。ダレンの下に、もう一人年の離れた弟がいるそうだ。


 ダレンは、手紙を一枚めくった。


「……テイラーさん、イニシュカ島に知り合いがいると言ってましたっけ?」

「ええ、はい」


 唐突な問いかけを不思議に思いながらも、テイラーは頷いた。

 そういえば、イニシュカ島はトーラレイの近くだ。同じホルダー州である。


「イニシュカには今、腕の良い治癒術士がいるそうですよ。島の出身で、地元に戻ってきたばかりだとか。随分若いらしいから、十年ちょっと前に建てられた、イニシュカ小学校の卒業生でしょうか」


 あの島も変わっていくんでしょうねえ、と感慨深げに、ダレンは付け加える。


「若い治癒術士――」


 口の中でその言葉を繰り返してから、テイラーは、ゆっくりと笑みを零した。


「そうですか。……元気でやっているなら、何よりです」


 窓の外では、まだ雨が降り続いていたが、重く垂れこめていた雲は、徐々に薄明るくなりつつある。


 夕刻にはきっと、雨上がりの道を帰る事になるだろう。



  【番外編 完】

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