第53話 大列車騒動 ②



「ワナ・ル! うええん、しっかりしてくれよおー!」


 車掌に案内され、列車の最後尾部分に歩み寄ると、中からそんな泣き声が上がっている。


 マディはドアを開け、中を覗き込みつつ問いかけた。


「治癒術士だが……患者は?」


 途端、乗客達の合間を縫って、ひらりと宙を舞う何かが、視界に飛び込んでくる。


 それは、蝶とも鳥ともつかない形態の、白い羽毛に包まれた生き物だった。

 羽根を広げた大きさは、からすと同程度か。両翼の間にある身体は、人間の女性に近い印象だが、頭部と胸部、腰回り、足首が、綿毛状のものに覆われている。


「治癒術士!? お前、妖精もられるのか?」

「よ、妖精!?」


 動揺のあまり、危うく閉めかけたドアに腕を当て、マディは後退った身体を支える。


「失敬失敬、シャッシャ。友人は慌てておりまして」


 車両の奥から、もう一つやって来る影があった。

 今度は、トカゲである。二本足ですっくと立ち、背丈は成長期前の人間の子供程もある。

 顔面はショッキングピンクで、洒脱なデザインの帽子を被り、ジャケットを羽織り、ネッククロスまで巻いている。しかも、やけに凝った巻き方だ。

 ジャケットの裾から伸びた尻尾には、スカイブルーの大きな水玉模様が付いていた。


「彼女は、シルフのアイザスィース。僕はサラマンダーのジゴドラ。“伊達男ボウ・ジゴドラ”と呼んで下さるレディも、ヴェネレにはおりますね、シャッシャ」


 舌先をチロチロと覗かせながら、サラマンダーは帽子を取って、丁寧に一礼した。

 マディの横でホウゲツが、


「本当にお洒落なトカゲでござる……」


 などと小声で呟きながらも、つられたようにお辞儀をする。


「気取ってる場合か、ジゴドラ! ワナ・ルが死んじゃうかもしれないんだぞ!」


 羽毛の妖精、アイザスィースが喚いた。


「左様に深刻な容態でござるか?」


 ホウゲツが一歩進み出る。

 ジゴドラは帽子を持ったまま、短い前足を組んでみせた。


「どうもね、シャッシャ。患者というのは、そこにいる……ウンディーネのワナ・ル・ゼトレッツァなのですが。先程、急に苦しみ出して、倒れてしまったのですよ」


 ジゴドラが指し示した長椅子を、マディは覗き込む。

 そこにはガラス球が一つ置かれ、その上に覆い被さるようにして、魚とも藻類ともつかない生き物が、ぐったりとうつぶせになっていた。


「彼女らは、本来長旅には向かない種族。専用のガラス船があるから平気だ、とは言っていたのですが……もしかしたら、無理をさせてしまったのかもしれません、シャッシャ」

「彼女が、ウンディーネ……水の妖精か」


 何気なく漏らしてから、マディははたと気づく。

 急展開に呑まれていたが、彼女は三種族の妖精を探していたのだ。今、まさにここに、三種族の妖精がいる。


「不躾な事を聞くが。今日ヴェネレから到着した、トーラレイに向かう妖精達とは、君達だろうか?」


 マディの突然の質問に、ジゴドラとアイザスィースは、きょとんと顔を見合わせた。

 短い間を置き、ジゴドラが尻尾をくるりと巻いて答える。


「そのとおりですが、何故? 僕らを知ってるんですか?」

「やはりか。……いや、差し当たってはそれが確認出来ればいい。話は後にしよう」


 今は、ウンディーネの診察が先だ。

 フェリックスが、伝書蝶を飛ばしてまで身を案じた妖精達である。無事にトーラレイへ連れて行く必要があるに違いない。


 とはいえ――なかなかに困った事態だ。

 マディは、ウンディーネを目撃した事くらいはあるが、治療した経験など全くない。妖精全般、身体の構造すら詳しくは分からない。このぐったりしている魚のような身体の、どこにどんな内臓が詰まっているのだろうか。


 ホウゲツに至っては、妖精という種族を目撃したのが、今日初めてであるかもしれない。東洋の生態系は、シルヴァミストとは大きく異なると聞く。


 車両内を軽く見渡したが、他の乗客達も、困惑気味にこちらを注視するばかりだ。


 と、そこに、ベルの音が鳴り響いた。


「えっ? 発車ベル?」


 マディ達を呼んだ女性車掌が、慌てた様子で懐中時計を取り出す。


「確かに、発車予定時刻を過ぎてるけど……でもおかしいわ。急病人がいるから発車を待つようにと、運転術士には伝えたはずなんです!」

「他の客から、文句でも出たんだろうか?」

「それしたって……私、見て参ります!」


 憤慨しつつ、車掌は前方の乗務員用出口を開け、先頭車両の方へ去って行った。


 ところが、車掌の姿が消えてから数十秒と経たないうちに、ごとりと車体が揺れた。窓の外の景色が流れ始める。

 発車したのだ。

 こちらの遣り取りを眺めていた他の乗客達が、ざわめきながらも座席に着く。


「マディ殿! 我々、無賃乗車にござるぞ!」


 叫んだのは、ホウゲツである。何もそこまでというくらいに愕然とした表情だ。


「シルヴァミストで罪を犯し、お縄となると……それがし、どうなるのでござるか?噂に聞く『ぎろちん台』へ!?」

「そんな無茶苦茶な。それと、ギロチンはシルヴァミストではなく、海向こうの国、イドラスの処刑道具だ」


 マディ達は車掌に請われて列車に乗り込んだのだし、発車してしまったのは、どうやら伝達ミスによるものらしい。事情を話せば、分かって貰えるだろう。

 それに、この列車は西の街、ハットベルス行きだ。トーラレイは西部の端だから、寧ろ大幅に近道出来る。


 しかし確かに、結果的に無賃乗車になってしまっては、良心が痛むところでもある。

 実を言えばマディは(恐らくホウゲツも)、列車の乗り方をよく知らないのだが、後払いが出来たりはしないものだろうか? そもそも、運賃はいくらなのだろう。法外の価格でなければ良いが。


「何だよ。お前の首、引っこ抜かれちまうのか?」


 アイザスィースが、苛々とホウゲツの首裏をつついた。


「その前に、オレのツレを助けて欲しいんだけどよう」

「ヒェッ! あっ、ああ、失礼仕った。首は繋がってござる」


 とりあえず動揺を鎮めて、ホウゲツは応じた。


「そう、お縄になる前に、早急に患者を診ねばな。マディ殿! 貴殿の治癒術とは、いかなるものか?」


 治療が終わったからといって、お縄になっては困るのだが、ともあれマディもホウゲツに倣い、ワナ・ル・ゼトレッツァの傍らに屈み込んだ。


「言ったとおり、私が使えるのはあくまで、応急手当だ。患部にピンポイントで当てられれば、それなりに効くだろうが……見たところ、彼女に外傷はない。何に苦しんでいるのか分からないし、今は、まともな会話も難しそうだ」

「ふむ。つまり、患部がぴんぽいんとで判明すれば良いのでござるな」


 思い悩むマディに対し、あっけらかんと、ホウゲツは返答する。


「しからば一つ、それがしに任せては貰えぬか」


 マディは眉をひそめた。


「構わんが……何をする気だ?」

「明らかにするのでござるよ。妖精殿の、身体の中身を」


 言うなり、ホウゲツは抱えていた布包みを解き、腰に提げていた筒の蓋を開ける。

 布包みからは、三段ほどの引き出しが付いた小箱が出てきて、更に引き出しからは、色とりどりの絵の具が、固められた状態で現れた。

 そして筒の中からは、一本の筆と、丸められた無地の紙が登場する。


「こちらで知り合った、シルヴァミスト人の魔術教師によれば……それがしの魔力は水属性、冷却特化型だとか」

「冷却特化?」


 冷却特化の水属性、つまり低温と氷雪を操る魔術士は、多くが呪術士である。

 火属性の治癒術士ほどではないが、治癒術で冷却型とは、かなり珍しい部類だ。


「我が祖国では、この生業なりわいは『絵薬師えくすし』と……かように呼ばれ申す。中でもそれがしは、『血みどろ絵』の描き手でござる」


 説明しながらもホウゲツは、椅子の上のワナ・ルの目の前に片膝をつき、床の上に紙を広げる。

 そして筆先で絵の具を撫でると、凄まじい勢いで、紙に筆を走らせ始めた。


 目にも止まらない速さとは、この事だ。しかもえがかれていくのは、ワナ・ルの模写かと思えば、そうではない。模写に近いのだが、それだけではない。


「なっ、なんだよこれ? 内臓!?」


 アイザスィースが悲鳴に近い声を上げる。

 そう、紙の上には、ウンディーネの皮膚の下の様相――内臓の納まり具合が、緻密に、恐ろしくグロテスクに、表現されつつあった。


「ほうほう。臓腑はらわたのつくりは、タニグク様に近いものがあるな……フヒヒヒ!」


 眼鏡の奥の小さな両目を、爛々と見開き、手元の紙とワナ・ルを見比べるばかりのホウゲツから、引きるような笑いが漏れる。

 完全に自分の世界に入り込み、周りの視線も阿鼻叫喚も、まるで認識していない。


 やがて一枚の紙に、解剖されたワナ・ルの図が出来上がり、もう一枚には、より分解された絵図が描かれた。こちらは、彼女の脊索や血管を網羅した図のようだ。


「判じましたッ!」


 描き始めと同じく唐突に、ホウゲツは絵筆を置いた。


「ワナ・ル殿の失調の原因は、ここにござる。これが恐らく、ウンディーネの胃の腑」


 そう言ってホウゲツが指し示したのは、ワナ・ルの胴体の一隅。

 マディも人間の解剖図は、治癒術の教本などで見た事がある。あれと比較すると、ウンディーネの胃袋というのは、大きく左手側に寄っていて、形も細長い。


「我が絵薬仙術えくすせんじゅつは、血液はじめ体液の流動具合を定め、身体しんたいの状況を解明する術にござる。それでたところ、胃の腑の上部に、流動の異常がある。何かが詰まっておりますな」


 しかしながら――と、ホウゲツはマディを見た。

 先刻の血走った眼差しは既に消え失せ、またつるりとした、実直そうな顔面に戻っている。


それがしには、この異物を取り除く事までは出来ぬ。対象の体内に干渉する術ではござらぬゆえ……」

「十分だ、ホウゲツ。あとは私が引き継ごう」


 マディは背中の弓を取った。

 地属性治癒術は、しばしば『荒っぽい』との評価を受けるが、こういう手っ取り早い治療が必要な状況には、最も強い。


 弓の先端、加護石の部分をワナ・ルの胴体に添え、マディは呪文を詠唱する。


「……『泥濘より出づる蓮よロータス・イン・ザ・マッド』!」


 弓にはめ込まれた加護石が、淡いトパーズ色の輝きを増す。

 次の瞬間、ワナ・ルは、釣り上げられた魚のように、びたーんとガラス球の上で跳ねた。


「ンンああああ!? 気持ち悪いっ!!」


「ワナ・ル! 元気になっ……」

「まずい、しまった。急いで窓を開けてくれ!」


 喜んで舞い飛び、近づこうとするアイザスィースを押し留め、マディは素早く、ガラス球ごとワナ・ルを抱え上げる。

 気の利く乗客の一人が、あたふたと車両の窓を開けてくれた。マディはそこから、ワナ・ルに外側へと顔を出させる。


「うええええええ……」


 颯爽と線路上を走行する列車の窓から、ワナ・ルは思い切り嘔吐した。吐き出された粘性のある液体は、陽光にきらめきつつ、列車の後方へと流れて行く。幸い、既に街中ではないので、それは草原の中に消えていった。


「うわあ」


 ジゴドラが低く呻いて、帽子のつばで口元を隠した。つられそうになったらしい。


「異物排除促進の治癒術は、『使う場所と状況に気をつける』……まさか、こんな基礎を失念するとは。不慣れな状況とはいえ、私も詰めが甘いな」


 ワナ・ルの背中をさすって、マディは軽く、かぶりを振った。

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