第52話 大列車騒動 ①

 『列車』――その発明は、聖シルヴァミスト帝国の人々を大いに驚かせた。

 世界初となる旅客列車が、シェルリッド州フェザレインで運行を開始したのは、聖暦一〇二二年、つまり昨年の事である。


 車体の機関部には、火・水・風属性の魔術が仕込まれ、レールと車輪には地属性の結界が張られている。まさに、最新魔道技術のすいを結集させた、巨大な魔道具マジックアイテムだ。


 特に斬新なのは、仕込んだ魔術が呪術をベースとしている点である。


 呪術は治癒術と比べて、爆発的なエネルギーを放出するため、長らくその応用方法が研究されてきた。

 だが、葬送・鎮魂用の祭祀儀礼から発展してきた呪術には、生命力の不活性化という、切り離せない特質がある。根本的に、人体にとって有毒で、兵器以外には応用しづらかったのだ。


 この呪術の副作用を、浄化治癒術との組み合わせにより、ほぼ無害化する事に成功した、通称『浄気機関じょうききかん』が、少し前に発明されている。フェザレイン鉄道の技術者は、これを大幅に改良した。


 しかしながら、当初フェザレイン町民や線路周辺の村々は、この『浄気機関』の存在が信じられず、列車からの排魔力は有毒だとして、猛反発を見せた。


 世論の風向きが変わった切っ掛けは、フェザレイン鉄道株式会社の社長、ノーマン・エドワーズによる、パフォーマンスだったと言われる。

 自身も呪術士であり、気鋭の技術者であるエドワーズは、荒野での列車走行実験を、広く人々に公開した。

 そればかりか、列車の屋根の、排気と排魔力を浴びる部分に自身の身体を括りつけた状態で、三時間にわたり試験走行させたという。


 なおこの行為は、呪術の影響以前の問題として、落下事故と酸素欠乏の危険性があったため、後日エドワーズは正規軍魔道部門から厳重注意を受け、「絶対に真似をしないように」とのお触れまで発布された。


 とはいえ、豪胆な気質を好むフェザレインの商人や職人達は、エドワーズのパフォーマンス以降、鉄道容認論に傾き、晴れて旅客列車の運行は決定された。


 始めてみれば、鉄道輸送は大成功を収めた。

 現在はフェザレインと、同じシェルリッド州の西側にある軍事・政治的拠点、ハットベルスの街を結ぶだけの線路しかないが、鉄道網計画は今やシルヴァミスト全土に広がっており、五年後には東部の首都とフェザレインの間を、列車が走り抜ける予定となっている。


 『浄気機関車』。

 フェザレイン発の革命的輸送機関である列車は、特別にそう名づけられた。



   ◇



 活気に満ちたフェザレインのメインストリートを、一人の旅人が歩いていた。


 引き締まった長身をレンジャー風の旅装で覆い、加護石のついた長弓を背負う、女冒険者である。

 滑らかな褐色の肌と、頭の高い位置で括られた銀色の長髪から、シルヴァミストではなく、南方の大陸の民の血を引いている事が察せられるが、国際色豊かな貿易港を備える商業都市フェザレインでは、そう珍しい存在でもなかった。


 異国情緒を感じさせる大きな白壁の建物の中に、彼女――マディことマデリーン・ベックフォードは、足を踏み入れる。

 そこは、フェザレインの冒険者ギルドの事務所となっていた。酒場と旅人向けの道具屋、宿屋まで併設された、大規模な施設である。


「おお、ベックフォードさん!」


 カウンターに向かうと、世話人が向こうから声をかけてきた。


「この前のお仕事、おおきに。流石はエアランド州の冒険者さんやったで。鍛えられとる」


 数日前、マディは冒険者としての護衛依頼を請け負って、エアランド州スミスベルスからこの街へとやって来た。そのまま次の仕事の都合で、街に留まっている。


「ありがとう、こちらこそ良い旅だったと、依頼人に伝えてくれ。……ところで、今日は別の依頼人と、ここで待ち合わせをする約束となっているのだが」

「うむ。その約束の相手、恐らくそれがしにござる」


 横から新たな声がかかり、マディはそちらを振り向く。

 立っていたのは、極東の民族衣装を身に纏った東洋人だった。


 長めの黒髪をオールバックに固め、一部を後頭部で結っている。彫りの浅いつるりとした面立ちに、丸眼鏡をかけた、マディよりもかなり小柄な男だ。


 かつてマディが会った、コヨイ・サビナンドという東洋人――人間ではなかったのだが――が着ていた民族衣装は、華やかな意匠にいろどられていたが、彼のは鼠色ねずみいろがかった、いくらか地味な装いである。

 ただ、腰の帯に漆塗りの筒を提げ、四角い布包みを片手に抱えている。この二つの荷物は、どこかみやびやかな造型をしていた。


「お初にお目にかかる、マデリーン・ベックフォード殿。それがし葦原国あしはらこくより留学中の、雪柊斎芳月せっしゅうさいほうげつと申す」


 堅苦しい文語調のシルヴァミスト語で、彼は名乗る。発音は正確である。


「アシハラから……。シルヴァミストへようこそ。事前に頂いた手紙によれば、コヨイ・サビナンドの行方を追っているとか?」

「左様にござる。どんな些細なものでも良い、かの錆納戸小宵さびなんどこよいの、足跡そくせきを辿る手掛かりを頂戴ちょうだい出来ればと思い、こうしてご足労を願い申した」

「私よりも彼女に詳しい知人に、もう連絡を取ってある。知人のいる場所までは、長旅になるが……」

「願ってもなきこと。修行と修学の旅も兼ねておりますゆえ」


 腰から上体を折るようにして、ホウゲツ・セッシュウサイは頭を下げた。

 手紙から想像したとおり、礼儀正しい人物らしい。


 コヨイ・サビナンドを探しているという、極東からの留学生に会ってはくれないか――との依頼を、冒険者ギルドを通して正規軍から相談された時、マディは仕事を受けるべきか、相当に悩んだ。


 コヨイの正体は魔物モンスターの治癒術士なのだが、マディにとっては、同じ任務に就いた元仲間でもあり、彼女に少なからず恩を感じている。

 もし依頼主が、コヨイを捕らえようとか、魔物として討伐しようと考えているのであれば、協力はしたくない、というのが正直なところだ。


 しかし、ホウゲツの送ってきた手紙を見ると、その文面からは、コヨイへの敵愾心てきがいしんや憎悪は読み取れなかった。行方を追っているのは間違いないが、どこか無事を祈っている風ですらある。

 詳しい事情は、手紙では明かされていなかったが、無下に断るべき依頼ではないと感じた。


 一先ずは彼に会ってみようと決め、マディはフェリックスに連絡を取った上で、ホウゲツとこうして待ち合わせたのだ。


「では、詳しい話をあちらで聞こう」


 マディが、事務所の隣の酒場にホウゲツを誘おうとした時、ギルドの世話人が、カウンターの向こうから彼女を呼び止めた。


「ああ、せやせや、ベックフォードさん。役場から貴方宛てにいうて、伝書蝶が届いとるよ。預かっといたわ」

「私に……?」


 伝書蝶を使うとは、余程緊急の知らせだ。それも、マディがこの街に滞在している事を知る人物から。


 ――何事だろうか?


 伝書蝶を受け取ってみると、それは西の港街、トーラレイの役場から送られた物で、送り主はその街でこれから会うはずの、フェリックス・ロバート・ファルコナーだった。


『トーラレイに向かう、ウンディーネ、サラマンダー、シルフが、ヴェネレよりフェザレインに本日入港。会われたし』


 と、伝書には書かれている。

 伝書蝶で送れる文量は、ごく短文に限られるため、このように、極端に簡潔な文章にならざるを得ないのだ。


「ウンディーネ、サラマンダー、シルフ……? 三種族の妖精が、フェザレインに?」


 何が何だか分からない。しかしフェリックスは、すっとぼけた面もあるが、いい加減な行動を取る男ではなかった。

 三種族の妖精を見つけて、マディのトーラレイへの旅に同行させたい、何らかの事情があるのだろう。


「重要な案件でござるか?」

「何とも言えないな」


 伝書蝶を見つめ、難しい顔で思案するマディに、ホウゲツが言葉をかける。


「この街にて人探しが必要とあらば、某も手伝いたくござる」

「いや、貴方を巻き込むような事では……」

「既に我らは、びじねすぱーとなーでござる。貴殿が心残りのある旅立ちをされては、それがしにとっても、寝覚めが悪いというもの」


 一部、やや発音がつたなくなったのは、使い慣れない物言いだったからだろうか。笑っては悪いと思いつつ、ついマディは笑顔になった。


「……分かった。では、少しだけ時間を貰えるだろうか?」

「承知つかまつった!」


 真剣に応じるホウゲツと共に、マディはカウンターに取って返し、先程の世話人を呼ぶ。


「すまない。今日、ヴェネレからの船はもう到着したのか?」

「え? ……ああ、つい小一時間前に着いとるね。何だか変わった客が降りてきたとかで、冒険者の人らが噂しとったわ」

「変わった客とは――?」

「『お洒落なトカゲ』とか言われとったが……どないやねんな。駅の方に行ったそうなよ」

「お洒落なトカゲ?」


 ホウゲツは不審げに眉をひそめたが、マディには思い当たる節があった。

 実際目にした事はないのだが、火の妖精サラマンダーは、トカゲに似た外見をしていると、どこかで聞いた覚えがある。


「駅か。ありがとう、行ってみよう!」


 二人は事務所を出て、駅へと足を急がせた。



   ◇



 浄気機関車の出発を控えたフェザレイン駅前は、祝祭でも催されているかのような混み合いぶりだった。

 極彩色のポスターや看板、フラッグが、あちこちに掲げられている。商業都市の住民達は、商機を掴むのに余念がなく、列車見物に来た観光客を相手に、菓子だの軽食だの記念品だのと、様々な物品を売り捌いていた。


「あれが、シルヴァミスト魔道技術の粋! 浄気機関車でござるか!」

「凄いな、ドラゴン並みの大きさだぞ。あんな物が地上を駆けるのか?」


 ホームに停車中の列車を遠目に眺め、マディとホウゲツは、一時目的を忘れる程に感心する。


「ベックフォード殿も、機関車を見るのは初めてでござるか?」

「ああ、マディと呼んでくれていいぞ。――この国の人間にとっても、あれは最新の乗り物だからな。ここもこのとおり、見物人だらけだ」

「デュッフフ……」


 唐突に、ホウゲツが奇妙な笑い方をした。


「ど、どうした?」

「あいや、失礼仕った。それがしどうも、ああいう技術や芸術の結晶体のごとき逸品を見ると、興奮して……血がたぎるのでござるよ! デュフフフォフォ!」

「そっ……そうか……」


 真面目そうな男ではあるが、遥々はるばる、アシハラからシルヴァミストまでやって来るだけあって、何の変哲もない平凡な人柄、という訳ではないようだ。


 極東の島国アシハラは、まだ西洋の国々のほとんどと、正式な国交を結んでいない。ホウゲツが留学に出るのも、簡単ではなかったはずだ。

 事前にくれた手紙によれば、彼は軍人階級の出身で、『幕府』と呼ばれるアシハラの軍事政権が、諸外国の情勢や言語、文化を知るために送り出した、公的な留学生および使節団の一員、という話だった。


 並ならぬ好奇心や探究心から、彼が任命されたのだとしても、不思議ではない。


「しかし、列車の姿を拝めたのは良いが、妖精らしいグループは見当たらないな」


 マディは片手で庇を作り、周囲を観察した。

 いくら風貌が人間と大きく違っている相手でも、駅は広く、人手は多い。軽く見回した程度では、探し人に出逢えそうもなかった。

 別の方法を模索しようと、二人が駅の出口を目指し始めた時である。ホームの方から、切実な呼び声が聞こえてきたのは。


「お客様の中に、治癒術士様はいらっしゃいませんかぁ! 治療術士様はいらっしゃいませんかぁ!」


 声を上げているのは、若い女性だ。かっちりした制服を着込んでいるところから、車掌か駅員と思われた。


「何事でござろう。チユジュツシ……治癒術士? 癒やしの術の使い手の事でござるな?」


 と、ホウゲツが車掌の声に耳を澄ませる。


「急病人か何かか。私は……応急手当ならば、少しは出来るが……」


 マディは、元正規軍所属の地属性治癒術士である。

 だから、外傷を手早く処置するタイプの治癒術ならば、そこそこに自信はある。一方、病気をじっくりと分析し診断する、対疾病型の治癒術は、あまり得意とは言えない。


 現在彼女は、冒険者として幸いにも上々の評判を得ており、生活に不自由はない。だがそれは、弓矢で戦えて、斥候の心得もあり、治療も自分で出来るという、総合的なバランスの取れた、自己完結能力を評価されての事だった。

 単純な治癒術の腕前では、彼女が最近組んだ仲間で言うと、シェーナ・キッシンジャーやハオマの方が上だろう。エイダン・フォーリーは特殊過ぎて、総合的な能力が測りにくい。


それがしにも、何か成せる事があるやもしれぬ」


 ホウゲツがそう言って、再びホームへと足を向ける。

 意外な発言に、マディは驚いて彼の顔を見た。


「ホウゲツ、貴方も治癒術士なのか?」

「この国の分類する『治癒術士』に、該当するかは分らぬが。病人や怪我人の助けになる術を、生業なりわいとする身にござる」

「それは心強いな。とにかく、話を聞くだけ聞いてみるか」


 こちらにも急ぎの用はあるが、このまま無視するのは、それこそ寝覚めが悪い。

 マディとホウゲツは、車掌に声をかけた。


「治癒術士を探しているんだな? 私はエアランド州の冒険者で、多少の治癒術が使える。こちらの彼にも、医療の心得があるそうだ」

「冒険者の方ですか! 是非こちらへ!」


 車掌がほっと安堵の表情を見せ、マディとホウゲツを改札口へと手招く。彼女らは乗車券を持っていないが、通して貰えるようだ。

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