第54話 大列車騒動 ③

 ワナ・ルの容態が落ち着くのを待ち、水を飲ませたりした後、マディ達は本人から、具合が悪くなるまでの経緯を聞いた。


「はぁ……。うん……元々船酔いしてた上に、飲み物買おうとして、ちょっとだけガラス球から離れたのが、まずかったねぇ。例の飢餓感がガーッと来ちゃってさぁ」


 と、ワナ・ルは語る。


 『例の飢餓感』とは、ノームやウンディーネといった、本来とする森や水域から動かない妖精達が、棲み処を遠く離れた時に襲われる症状である。

 全身の力が弱り、同時に、異常な食欲と喉の渇きに耐えられなくなるのだ。

 ノームの場合は、野菜や木の実を大量に食べようとするのだが、ウンディーネはというと、川の藻が食べたくて仕方がなくなるという。


「丁度、アイザスィースとジゴドラは、列車の切符買いに行っててぇ……。船酔いで心配もかけたし、二人にはバレたくないなってぇ……。そしたら市場で、良さそうな物売っててぇ……」


 いくら国際商業都市フェザレインとはいえ、川の藻など、そうそう売っていないかに思えた。

 しかし、彼女は見つけた。海藻を乾かし、束にした商品を。

 それは東洋からの輸入品らしく、やや値が張ったが、ワナ・ルは飛びつくように大袋を買い上げると、その場でむさぼり食べ尽くしてしまった。


 幸い、ガラス球と距離を取っていたのはほんの一時だったため、海藻を食べ切ったあたりで、彼女の飢餓感は落ち着いた。


「でぇ、ジゴドラ達と合流して、この列車に乗ったところで……物凄くお腹痛くなって、喉も苦しくなってぇ……」


 次に意識がはっきりしたのは、マディの呪文が効いた瞬間だったという。


「ふーむ。それはもしや、乾燥ふのりか、わかめでも食べ過ぎたのではあるまいか」


 眼鏡をずり上げて、ホウゲツが言う。

 彼にとっては馴染み深い物品らしいが、『ふのり』も『わかめ』も、マディにはピンと来ない単語だった。


「それは一体?」

「アシハラでは、汁物や和え物によく使われる、美味い海藻でござるよ。ふのりは食べる以外にも、着物の仕上げや壁塗りの接着剤、髪の手入れにも使い申す」

「ほ、ほう……便利な物が、東洋にはあるんだな」


 シャンプーや接着剤の原料など、スープに入れるものだろうか? とマディは首を傾げたが、海の彼方の異文化に、文句をつける筋合もない。


「ただ、海藻は乾燥させると、相当に縮みますゆえ。保管には便利になるが、うっかりそのまま大量に食べようものなら、胃の腑の中で膨らんだり、粘性を増したりして、大変な事に」


「ああ〜。あたしも、海藻ヤバいなこれぇって、食べながら思ったんだけどね。一度飢えて理性が飛んじゃうと、もう止まらなくなるんだなぁ」


「妖精というのも、大変なのだな。しかし、今後はくれぐれも気をつけてくれ。飢餓感の方は、もう大丈夫なんだろうな?」

「このガラス球と離れなければ、平気だからねぇ。はぁ、今回はほんと、反省したよぉ。ほんとだよ」


 ガラス球にしがみつくようにして、ワナ・ルは何度か頷いてみせる。

 のったりとした喋り方のせいで、どの程度後悔しているのか、どうも測りづらいが、とにかく症状は落ち着いた様子だ。これで一件落着と言えるだろう。


「それにしてもホウゲツ、貴方の術は見事だった」


 改めてマディは、ホウゲツを称賛した。


「『絵薬仙術えくすせんじゅつ』……あのような魔術があるとは。いや、魔術と呼んで良いものか」


 かつて、アシハラ出身の踊り子コヨイは、『魔術』や『精霊』という言葉を使っていたが、今思うに、あれはあくまで、シルヴァミストの冒険者達に合わせてくれていたのだ。


「仙術、鬼道きどう陰陽術おんみょうじゅつ、浄めにはらえに拝みと、アシハラにも様々な術はあり申すが。差し当たっては、まとめて『魔術』でようござるよ」


 特に鼻にかける風でもなく、ホウゲツは応じる。


「そういえば、先程の術の最中さなか、ウンディーネについても、何かに似ていると言っていたな。タナ……グ……? だとか」

「ああ、タニグク様でござるな」


 術を使用中のホウゲツは、大分精神のトリップした状態だったが、自分の口走った事は覚えていたようだ。


「アシハラには、妖精と呼ばれる種族はおらなんだが、古い池や古井戸、鎮守の森などに、ヌシ様やモリ様として慕われる存在が御座おわすのでござる。昨今、お姿を見ることも少なくなり申したが。それがしは、故郷の古井戸を守るヌシ様を診断した事がござってな。そのお方の名を、タニグク様と」


「へぇー、東洋にもウンディーネみたいなのが……? どんな人なのぉ?」

「見た目は、まんまヒキガエルでござる。これくらいの」


 と、ホウゲツは両手で、自分の胴回りくらいのサイズを表現してみせる。

 率直に言ってマディは、人の胴程の大きさのヒキガエルの解剖図など見たくないので、治療の現場に居合わせなかったのは幸運だと思えた。


「えぇー……カエル……?」


 不服に思うところがあったのか、ワナ・ルはしゅんとして、ガラス球の中に潜ってしまう。


「タニグク様は霊験あらたかな……あれ?」


 朗々と、タニグク様なる存在について語りかけたホウゲツは、周囲のいまいちな反応に気づき、きょとんとした。


「さては、シャッシャ。ホウゲツさんの冷却型治癒術、血みどろ絵といいますのは」


 帽子を器用にくるくると回し、ジゴドラが芝居がかった調子で言った。


「術を見ている人の肝を冷やすって訳ですね?」

「おや、よくお分かりでござったな。お後がよろしいようで。デュフフフフ」


 ホウゲツが一人で笑い出す。どこに笑うポイントがあったのか、どうも分からない。

 彼に対して表明した敬意は、本心からのものだが、やはり多少風変わりなところがある、と改めて思うマディだった。



   ◇



 急病人の方は解決したとして、残る問題は、マディとホウゲツを乗せたまま、この列車が走り続けている点だ。


「我々を呼んできた車掌が、戻って来ないな。どうも妙だぞ」

「何にせよ、事情を説明しなければ。下手に逃亡すると、アレでござろう? 覆面とか被った半裸の処刑人が、斧を持って追いかけて来るんでござろう?」

「貴方は一体どういう媒体で、シルヴァミスト文化を学んだんだ?」


 呆れながらも、マディは乗務員用出口の方を向いた。

 車両側面に付いた乗客用の出入り口の方は、小洒落たデザインなのだが、こちらの扉には、武骨な取手があるばかりだ。


 扉を押し開けてみると、一応その先にも手摺と鎖があり、前方車両に飛び移れなくもなさそうだった。

 先刻の車掌も、発車直前にここを通ったのだろう。しかし、走行中に車両間を移動する事は、想定されていない造りである。


「これはこれで咎められそうだが……仕方ないか」


 弓を背中に挿し直したマディは、難なく前方車両へと飛び移った。

 続けてホウゲツが、はかまをずり上げつつ、おっかなびっくり連結部を越える。


「僕も行きましょう。友の恩人だ。必要なら、運賃お支払いくらいはしますよ、シャッシャ」


 そう言って、ぴょんと車両を移ってきたのは、ジゴドラである。人間より体格は小さいが、かなりの脚力があるようだ。


「ジゴドラ殿! ま、誠にござるか?」

「しかし、君達はシルヴァミストの通貨を持っているのか?」

「シャッシャ、勿論、ヴェネレの通貨から両替済みです。この三人旅行は、僕の奢りだもの」

「えっ……と言うと、ヴェネレで何か仕事を?」

「ギャンブラーです。競馬で一山当てましてね、シャッシャ」


 楽しげに舌を覗かせるジゴドラに対して、マディとホウゲツは、揃って目を丸くした。


「トカゲが馬で儲ける時代にござるか」

「シャッシャ、それを言い出したら、貴方はカエルを診断する絵描きじゃないですか」


 一行は言い合いながらも、早足で車両を通り抜ける。

 前方の車両は、いわゆる一等車になっているらしく、やや豪華な内装で、乗客達の身なりも良い。

 通用口から現れた、大陸風の冒険者と東洋人とサラマンダー、という奇妙な三人組へ、彼らは物珍しげな視線を注いだ。


「とかげしゃん!」


 と、小さな子供がジゴドラを指差し、母親に咎められる。ジゴドラが軽く帽子を傾けて挨拶した。



 客室車両を通り抜け、更に前へと移動すると、その車両は、大量の加護石と浄化水が積載された、タンクとなっていた。


「これがタンク車両。向こうが運転室だな」


 マディは黒々としたタンクを見上げてから、その脇の、ごく狭い通路に足をかける。


「ん? 待って下さい。誰かいる」


 ジゴドラがマディを引き止め、前足でタンクの陰を指し示した。


「誰だ? 車掌か?」


「シッ! 止まるんだ!」


 物陰から現れた人影は、鋭く、しかしごく低めた声で、マディ達を制止する。

 人影は一人分。彼は半ば上体を伏せるようにして、忍び足で歩み寄ってきた。


 一目で高級品と分かる薄手のコートを翻し、帽子とステッキを片手に携えている。栗色の巻毛が、列車の起こす風に煽られていた。年齢は三十代半ばといったところか。

 貴族かとも思ったが、もう少し修羅場慣れしている風の、どこか飄然とした顔つきだ。


「君達、ここで何を?」


 紳士風の男はそう問いかけてきたが、その質問はお互い様である。


「事情を全部話すと長くなるんだが――こちらに、車掌が一人向かったはずなんだ。彼女を見ていないか?」


 とりあえず、マディが穏当に応じる。


「あの女性車掌か。いるぞ、運転室に。しかし、今とても深刻な事態になってる」

「何だと? 何が起きた?」

「列車強盗だよ」


 あっさりと紳士は答え、マディ達全員は、絶句せざるを得なかった。

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