第28話 ライタスフォートの鼎談 ⑨

 オースティン達は、サングスターの指示もあって、心配しながらも浴室を後にした。


 サングスターとヴァンス・ダラは、それぞれ洗い場用の椅子に座り、エイダンは湯船の縁に腰掛ける。


 歴史的な対談のはずなのだが、浴室の中が舞台では、どうも絵的ににならない、とエイダンは胸中で零した。一応三名による話し合いなので、鼎談ていだんと呼ぶべきだろうか。


 ヴァンス・ダラが杖先で軽く床を叩くと、ごく細かい砂の塊が、虚空に浮かび上がった。砂は少しずつ、床へと落とされていく。三分間の、砂時計代わりと言ったところか。


「魔物の軍勢を退かせろ、と。お前もそれを望むのか?」


 ヴァンス・ダラが、エイダンに向かって問う。

 あくまで、交渉の主体はエイダンとしたいようだ。


「戦争が終わるっちゅうなら、それはめでたい事じゃと思います……」


 なるべく慎重に、エイダンは応じた。言葉尻を捕らえられて、数十秒で話し合いが決裂でもしたら、大ごとだ。


「なるほどな。しかしそれは、無理な相談だ」


 あっさりと、ヴァンス・ダラは言ってのける。


「俺は確かに、北方より生まれずる魔物達に力を分け与えてきた。コヨイの所持するような玩具の類いも、作った端からくれてやっている。……それは、彼らに懇願されたからだ。気に入った相手がいて、その相手が何かを渇望しているのならば、何者であろうとも、俺は望みに応じる。人間でも、妖精でも、魔物でもだ」


 手にしていた長杖を肩口に預け、彼は続けた。


「例えば我が娘、コヨイ・サビナンド……あれは、極東の島国の山奥にて、母親と共に飢えて死にかけていた赤子だった。あの国では、魔物の生きていける土地が消え、しゅとして滅びつつあってな。たまたま極東を旅していた折、母親に、子供を助けてくれと請われたので、力を与えて救い、育ててやる事にした」


 簡単な事のようにヴァンス・ダラは語るが、一体どういった魔術を使えば、狼の魔物の赤子を救えるのか、エイダンにはさっぱり分からない。それも、治癒術の一種なのだろうか。


「つまり……俺は、魔物の軍勢の指揮官という訳ではない。崇める者もいるにはいるが、何ら命令など出してはいない。よって、彼らを退却させる事も不可能だ。力と武器を得ようとしたのも、果てない闘争を続けているのも、あくまで魔物達の意志なのだからな」


「だが、貴様とその娘は!」


 サングスターが声を荒げる。


「全くの気まぐれによって、人でも魔物でも救い、双方に力を与え、争いを煽るばかりではないか。それを控えろと言うのだ。そんな所業は、敵対国家間を渡り歩く悪辣な武器商人と、何が違う?」

「商人? 俺は金など巻き上げんぞ」

「利のためでなく、娯楽や遊興のために行うのだから、なお悪い!」


 いよいよ、サングスターは激昂した。


「貴様も元々は、人間だった。優秀な治癒術の使い手だったはずだ! ならば理解しているだろう。救済も支援も、秩序なくしては、ただ混沌や余計な争いを生むだけだと!」

「秩序と文明を――か」


 ユザ教の祈りの言葉を呟いて、ヴァンス・ダラはせせら笑う。


「娘を誘拐して、一介の治癒術士を矢面に立たせる。それがお前達の言う、秩序と文明か?」


「……それだけ、我々が必死だという事だ」


「人と敵対する魔物達もまた、必死だとも。つい、彼らの懇願の声を聞き届けたくなる程度にはな」


 不意に、ヴァンス・ダラがその場で立ち上がった。

 見れば、虚空にわだかまっていた砂は、全て床の上に落ちきっている。


「三分経ったぞ。交渉は終わりだ。やれやれ、結局ギデオンとばかり話し込んでしまった」


 打ち払うように杖を振るって、床に落ちた砂を消し去ると、ヴァンス・ダラはエイダンを見遣る。


「お前はどうだ? エイダン・フォーリー。何をもって、救済の対象を決める? その時々の気分か、好みか、それとも精霊王の教えとやらで定められた、法と社会秩序に従うか」


 突然の質問に、エイダンは戸惑った。

 ヴァンス・ダラが元は治癒術士だった――という情報にも、たった今、戸惑ったばかりである。彼は複数の攻撃呪術を使っていたように見えたが、あれらは全て、本分でない魔術だったという事だろうか。

 属性の加護に偏りがあるのと同じく、呪術と治癒術への適性にもまた、偏りがある。世の大半の人間は、どちらかの技能しか伸ばせないはずだが。


 つくづく、規格外の人物だ。

 エイダンはそうではない。


「俺は……ちょいちょい、無茶をするな言うて、シェーナさんやハオマさんに叱られる事があります。だけん、これは反省を篭めて言うんじゃけど」


 一語ずつ、言葉に迷いつつも、エイダンは答えた。


治癒術士ヒーラーは、自分の身が危なくなるような真似は、本当はしたらいけんのです。治せるもんが倒れてしもうたら、他の皆が困る。だけん、俺には魔物の軍勢の味方なんて出来ません。怪我を治した途端、取って食われてしまうけん。法律とか秩序を破るんも、無理です……それが通用せん世の中になったら、真っ先に困るんは、俺みたいなもんです」


 ヴァンス・ダラの気まぐれな所業は、彼自身が法外な強者だからこそ出来るやり方だ。

 ただ――とエイダンは、一旦引き結んだ口を再び開く。


「ただ、自分が無事まめでおられるうちは、出来るだけ、誰でも救えりゃあええとも思います。人でも、妖精でも、魔物でも」


 コチ――コヨイ・サビナンドにもう一度出逢ったら……彼女が何か困っていたら、弱っていたら。

 恐らく、エイダンは可能な範囲で助けるだろう。

 アンデッドでも、密猟者でも、行きずりの人々でも同じだ。


 エイダンの回答に、ヴァンス・ダラは、期待外れだ、と言いたげに鼻を鳴らした。


「我が身の安全なうちは、誰でも治す、か。いかにも矮小な、凡夫のごとき意見だ。我が闇の魔術を治療してみせた、稀なる火の術士が」

「そら、だって、俺は――田舎から出てきた、普通のっこい人間ですよ。身長もあんまり伸びんまま止まったし」


 慌てて言い返してから、何だか的外れな受け答えをしてしまった、とエイダンは気づいた。


 案の定、ヴァンス・ダラが冷笑を寄越す。


「だが、そんな事を言いながらもお前は、魔杖将をタライで殴るやからときている」

「……だけん、反省を篭めて言うとるのです」


 やはり怒っているのでは、とエイダンは、再び首を竦めた。

 魔杖将はなおも、口の端を持ち上げただけの笑みを崩さない。


「まあ、良い。理念どおりに動けぬようでは未熟者だ。しかし、世の中は未熟であるくらいが面白い」


 謎掛けのように言い捨てると、何の気もなく、数歩ばかり距離を取る。

 そこでヴァンス・ダラは、突如、鎌のような長杖で床板を強く打ち鳴らした。


 室内だというのに、どこからともなく、嵐を思わせる程の突風が吹きつけてきた。エイダンとサングスターが思わず怯み、顔を伏せた途端、ヴァンス・ダラの足元から、黒々とした渦が巻き上がり、彼を包み込む。


「ヴァンス・ダラ! 何を……!」


 風の吹き荒れる中、サングスターが叫ぶ。


「交渉に応じた以上、今更闘争を再開するのも、興を削ぐだろう。仲介役に対しても、礼儀を欠くというものだ。この場は退いてやる」


 二人に背を向けかけて、今一度、ヴァンス・ダラはエイダンの方を見下ろした。


「おっと、言い忘れていた。エイダン・フォーリー、お前には、コヨイからの謝礼も渡さなければならん。詫びもかねてな」


 ――謝礼に詫び?


 何の事だろう、とエイダンは、突風に抵抗して瞼をこじ開ける。


「先頃、詩作の際に世話になったと。『旅のしおり』とやらを借りっぱなしだそうだ。一体何だそれは?」

「……気にせんでって伝えといて下さい」


 迷わず、エイダンは答えた。しかし――


「では、楽しみに待つが良い」


 一方的に告げるだけ告げると、ヴァンス・ダラの姿は、黒い渦共々その場から消え去った。


 吹き荒れていた風が、嘘のように治まる。

 風に抗って踏ん張っていた脚が、反動でもつれ、エイダンはその場に膝をついた。


「あの人……」


 疲労と、緊張からの解放のため、すぐには立ち上がれない。ヴァンス・ダラの消えた空間を見つめて、彼は大きく息をつきつつ呟いた。


「全っ然……人の話聞かんな……!」

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