第29話 ライタスフォートの鼎談 ⑩

 「『賦活慈雨ナリッシングレイン』!」


 シェーナの高く掲げた錫杖から、霧雨状の細かな水の粒子が、横たえられた兵士達数人へと降り注ぐ。治療し終えた傷口に、細菌が侵入するのを防ぐ結界治癒術だ。


「……ふぅ。一通り、ここで出来る処置は終わったかしら。重い怪我の人は、急いでちゃんとした治療院に運ばないとね」

「ああ、予断を許さない容態の者もいる。が、今の所死者は出ていない」


 負傷者を馬車に運び終えたホワイトリーは、そう応じると、何やら気まずそうに、エヘンと空咳をした。


「冒険者諸君。この度の救援、心から感謝する……」

「別に救援のために来た訳ではないのだがな」


 マディの声が心なしか、いつも以上に硬い。

 かつての彼ら二人の関係が、多少気になる所ではあったが、シェーナは一先ず、その好奇心に蓋をして、ハオマとフェリックスを探した。


「シェーナ!」


 周囲を見回すまでもなく、フェリックスの方がシェーナを見つけ、嬉々として駆け寄る。


「素晴らしい活躍だった。この目に焼きついたよ! 君は杖を振るっている姿が、一番素敵なのだな! 先日スミスベルスで見せた踊りも、甲乙つけがたいのだが……」

「いーって、それは」


 スミスベルスの件は、少しばかり、小っ恥ずかしい思い出になっているのだ。あまり大声で触れ回って欲しくない。

 ハオマの方は、砦の玄関付近で聞き耳を立てていた。


「先程から、砦の中庭が静かでございますね」


 と、彼は目を閉ざし、眉をひそめる。


「風呂の治癒術の小僧は、どうしてんだ? まだ宿舎の中かよ、無事なんだろうな!?」


 喚くようにそう問いかけたのは、ハオマの肩にしがみついたままのモヌポルだ。

 彼はノムズルーツに帰らない限り、飢餓状態から回復しないため、セロリをぼりぼりと齧りながらの発言ではあるが、一応心配しているらしい。


「そのはずだけど。大丈夫かしら」


 シェーナもまた、不安を覚えた。流石のエイダンも、光と闇の魔術士達の戦いに、強引に割って入るなどという真似はしないだろうが。


「あたし、様子を見てくる」

「僕も行こう!」


 シェーナとフェリックスが、再び砦の本棟へと入った所で、ごうっ、と凄まじい風の音が、一帯に鳴り響いた。

 宿舎の方からだ。慌てて、中庭に面した窓辺へ駆け寄る。


 別棟に向けて目を凝らしたシェーナは、建物一階の東の端――ホワイトリー曰く、兵卒用の浴室がある辺りの壁が壊れているのを発見して、息を呑んだ。


「エイダン!」

「エイダンくん!」


 フェリックスと同時に叫び、別棟方向の階段を駆け下りる。


 中庭に出てみると、丁度、歩けるくらいに回復したらしいオースティンと、他三人の負傷者が、こちらに向かってくるのが見えた。

 続いて、サングスターが。最後にエイダンが、壁の穴から抜け出てくる。


「良かった、無事ね……!」


 エイダンの前まで走り寄り、シェーナは胸を撫で下ろした。


「シェーナさんらも、みんな世話せあないかいな?」

「大丈夫だ、世話せあないとも。しかし、見事に治してみせたか。流石だな」


 オースティンの無事も確認して、フェリックスが二度三度と頷く。


「……その通りだ。よく部下を助けてくれた」


 サングスターが、どこか苦い顔をしながらも、エイダンの正面に立ち、そう発言した。


「作戦は失敗、交渉は決裂。全く、失態の限りだ。しかし、我々は……君達に助けられた。それは間違いない」

「交渉って?」


 うっかり何気なく訊き返してから、シェーナは目の前の男が、当代最高峰の魔術士である事を思い出し、「ひゃっ」と口元に手を当てる。


 シェーナとフェリックスも、上流にあたる地主階級ジェントリの子女ではあるが、彼らと比べても、サングスター家は雲の上の存在に等しい家柄だ。


「しっ……失礼致しました、閣下」


 姿勢を正し、乱れた髪を軽く撫でつけてから、シェーナは改めて、サングスターに向けて口を開いた。


「申し遅れましたが、わたくし共は、そこにいるエイダン・フォーリーと、コチという治癒術士の友人です。彼らがここに連行されたと聞き及び、その――二、三、嘆願したい事が」


 エイダンからも、詳しい経緯を聞き出している暇はなかったので、シェーナは現状をまるで把握出来ていない。

 一体何故、この砦が、かの魔杖将の襲撃を受けたのか。今までに何が起きたのか。分からない事は多かったが、何はともあれ、ここに来た目的を果たす必要があった。


「いや」


 サングスターはしかし、シェーナの言葉を遮り、首を横に振る。


「嘆願の必要はない。先程述べたとおりだ。今回の一連の作戦は、途上にて失敗し――終了した。君の友人達は、自由の身だ」

「……ええんですか?ヴァンス・ダラさん、また来るような事を言うとんさったけど」


 横合いから、エイダンが口を挟んだ。えらく物怖じしない態度に、シェーナは冷や冷やしたが、サングスターは咎めるでもなく、ただ頷く。


「その件は、のちほど手を打とう。一応な」


 サングスターの方も、案外エイダンに対して、フランクな話し方をしている。……何があったのだろう。


「エイダン・フォーリー。君は、我がサングスター魔術学校を、中途退学したのだったな」


 不意に、思い出した様子でサングスターが言った。


「はい。一年生前期の成績が、あんまりにも悪うて……」

「惜しい事を」


 と、魔術学校の学長は肩を竦める。


「また門を叩く気になったら、申し出てくれ。あるいはこちらから、講師として招くかもしれん」


 エイダンは口を開き、後ろ髪に手を添えかけた状態で、しばらく固まった。余程驚いたらしい。


「あ――あんがとうございます。そう言うて貰えるんは、光栄です」


 どうにかそれだけ答えて、また短く、言葉を探るような沈黙を挟んでから、エイダンは続けた。


「でも今は、故郷に帰らなぁならんのです。風呂屋も、テントが焦げてしもうたけん、もう開けられんし」

「例の風呂屋か。開けられない? それは残念だ」


 ホワイトリーや、動ける状態の他の兵士達が、本棟からこちらへやって来るのが見える。

 ローブの裾を翻して、サングスターは彼らの方へと歩き始め、それから一言、付け加えた。


「魔除けのシャンプーなる物を、私も購入したかったのだがな」


 ――シャンプー?


 サングスターの頭には、一本の毛髪も見受けられない。


 シェーナは傾げそうになった小首を、辛うじて垂直に留めた。相手はギデオン・リー・サングスターだ。ツッコめるものか。当人がツッコミ待ちなどという事も、あり得ない。

 エイダンも、どうか早まらないで、とシェーナが切に願ったその時。


「その頭部だと、身体用の石鹸を使う方が適切では!」


 フェリックスが、爽やかな笑顔で堂々と言ってのけた。


「フェリックス!!」


 悲鳴に近い声を、シェーナは上げる。

 エイダンが「ブフッ」と妙な咳き込み方をして、その場の空気は台無しとなった。

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