第27話 ライタスフォートの鼎談 ⑧

 言葉を発する事もなく、サングスターは魔術を構築した。

 空中に浮かび上がる正十二面体の光。

 杖の一振りによって、輝くガラス片のような一面一面が高速で散開し、雷撃をほとばしらせる。


 しかしヴァンス・ダラは、そのことごとくを黒い稲妻によって弾き、あるいは僅かにマントを翻すだけの動きで回避していく。


 まばゆい光線の合間を縫うようにして、ヴァンス・ダラは黒い火炎を放った。サングスターを守る形で、多面体の壁が前方に集中する。


 が、次の瞬間、サングスターの足元の地面が割れた。


 巨大な黒曜石の塊を思わせる鋭い結晶が、裂けた地面から突き出す。石弓のような速度のそれを、サングスターは危うい所でかわすが、杖を持つ腕を、結晶の断面が掠めていったのが分かった。


「く……!」


 サングスターは微かに呻く。


 彼の、無詠唱による魔術の連撃には、極めて繊細な杖の動きが欠かせない。腕の負傷は、ヴァンス・ダラを相手取るには致命傷と同義だ。


 その動揺は一瞬だったが、ヴァンス・ダラが仕掛けるには、十分過ぎる猶予だった。


 刃のごとき疾風が、サングスターに迫った。辛うじて呪文を間に合わせ、光の障壁を構築するも、衝撃を殺しきれず、大きく後退する。背の付く程の真後ろに、砦の壁が迫った。


 火炎による追撃が来る。回避と同時に、砕けた壁の中へと転がり込んだ。

 宿舎の一室に侵入してしまったらしいが、最早周囲をおもんぱかっている余裕が、サングスターにはない。兵士達が全員、退避済みである事を祈るのみだ。


「化け物めッ!」


 押し寄せる疲労に、肩で息をつきながら、サングスターは毒づいた。彼の魔力は、既に枯渇しかけている。


 まるきり、散歩でも楽しむような足取りで、壁の割れ目から室内に入ってきたヴァンス・ダラが、愉快そうに首を傾げる。


「五十年前にも、同じ事を言っていたぞ。衰えぬのは良いが、語彙を増やしてはどうだ、ギデオン」


 ヴァンス・ダラは、歩みを止めない。彼の長大な杖が、触れる程の位置にまで近づいてきている。至近距離から確実に仕留めるつもりか、単なる戯れか。


 後退を余儀なくされながらも、サングスターはあくまで、己を奮い立たせようとした。再び杖を掲げ、傷を負った腕で、魔術の構築を開始する。


 ――唐突に、人影が視界の隅をよぎった。


 全くの死角から、何かが飛び出し、突進してくる。

 サングスターだけでなく、ヴァンス・ダラの死角でもあったらしい。この砦に来て初めて、ヴァンス・ダラが不意を打たれたような表情で、人影の方向に視線を走らせた。


 殺気や魔力をまとった者であれば、ヴァンス・ダラは勿論、サングスターも見逃がすはずはない。その相手は、魔術を使おうとも、剣を振るおうともしてはいなかった。

 彼の両手に握られているのは――兵卒用宿舎の、浴室の備品。二つのタライだ。


「人が死にかけとる時に、うるさいんじゃぁこんボケ――ッ!!!」


 エイダン・フォーリーは、二つのタライを同時に、サングスターとヴァンス・ダラの脳天へと振り下ろした。



   ◇



 エイダンは、自身を呑気者であると認識している。


 村の未来を背負って旅立った時も、せっかく入学した魔術学校を退学になった時も、この気性は役立ってくれた。「まあ、そのうち何とかなるだろう」という心持ちが大事な局面は、人生に幾度かある。


 シェーナの言うには、何かに夢中になった時に、自分を顧みる事を忘れ、突拍子もない行動を取りがち、という悪癖を抱えてもいるらしい。そうかもしれない。ただ、夢中になる事はあっても、他者への怒りに駆られて行動する機会は、あまりなかったと記憶している。


 しかしエイダンは今、心の底から怒っていた。


 生きるか死ぬかの瀬戸際にある患者を四名、目の前にしているのだ。極限まで集中する必要があった。もう少しで、彼らを救うだけの魔術が構築出来る。

 そんな時に、轟音と土埃を立て、浄められるべき風呂場を荒れ放題にしようとする、二人の闖入者が現れた。


 爆風は浴びたが、湯船の縁に寝かせていた四人は、どうにか無事で済んだ。エイダンも埃と擦り傷まみれにはなったが、また立ち上がれた。

 ところが、室内に入ってきた二人は、なおもいさかいを止める気配がない。

 エイダンは、ふつふつと怒りを沸き上がらせた。


 一体、何を子供染みた喧嘩などしているのか。この治療の現場で。


 浴室の洗い場の隅に転がるタライを二つばかり手に取り、エイダンは対峙する二人に飛び掛かった。

 渾身の力を篭めてタライを振り下ろし、どやしつける。


「人が死にかけとる時に、うるさいんじゃぁこんボケ――ッ!!!」


 そして、そこで――自分が誰に何をしたのか、気づいた。


「あっ」


 我に返って一声漏らす。

 彼がタライで殴り、どやしつけたのは、聖シルヴァミスト帝国正規軍魔道部門最高顧問であり、サングスター魔術学校の学長であり、当代随一にして唯一の、光属性の魔術士。

 並びに、魔杖将。当代随一にして唯一の、闇属性の魔術士。魔なる者共の救世主。


 ――『詰み』という言葉が当てはまるとすれば、まさに今の状況だ。


「……すんません。ちょい、切羽詰まっとりましたんで。ほんじゃあ」


 深々と頭を下げ、くるりときびすを返す。


 人間の精神というものは、怒りから動揺まで、極端な乱高下の中に置かれると、ついには麻痺して、落ち着きを取り戻すらしい。

 要するに、エイダンは開き直った。やってしまったものは仕方がない。あと十秒程で、自分の首は胴体に別れを告げる事になるかもしれないが、それよりも今は、治癒術だ。


 両手に握っていたタライを置き、ハンノキの長杖を手に取る。


「お前は確か――」


 タライをぶち当てられた頭をさすり、ヴァンス・ダラが口を開いた。


「レイジングゴーレムとやり合った治癒術士だな?」


 エイダンは驚いて、彼を振り返る。


「え、なんで知っとんさる?」

「あのゴーレムの卵は、俺が戯れに作り、コヨイに持たせたものだ。自身の魔力を篭めた玩具が、どこでどういう状態にあるかくらいは、常に把握している」

「はあ……」


 あんなものを戯れに作られても困る、とエイダンは文句を言いたくなったが、ヴァンス・ダラが興味深そうに目をすがめ、こちらに歩みを進めてきたので、口を噤む。


「コヨイが旅先から知らせてきた所によれば……興味深い、火の治癒術士がいると。風呂を沸かしてレイディロウ城を浄化した者だ。お前か?」

「多分、俺の事です」

「なるほど、なるほど」


 ヴァンス・ダラが、にやりと口角を上げ、顎髭を撫でる。


「――やってみるといい」


「は、はい?」

「火の治癒術だ。そこの湯船の者らに、使おうとしていたのだろう? 見せてみろ」

「……」


 湯船に横たえられたオースティン達は、ヴァンス・ダラの魔術を浴びたせいで、こうなっているのだ。自分で怪我人を作り出しておいて、それを治療してみろとは、傍若無人な言い草もあったものだが、ともあれエイダンは、元よりそのつもりである。


 釈然としないものを感じつつも、ようやく、エイダンは湯船の前に立った。


 湯に伝導させた魔力から、オースティン達の火傷の状態を解析する。

 ただそれだけで、魔力の全てを吸い尽くされるかと思う程の、複雑な傷痕だった。生命体の組織を強引に歪め、部分的に活動を停止させたかのような。

 これが、闇の魔術の痕跡――であるらしい。その力の全貌は、今のエイダンには計り知れない。


 予想どおり、傷の解析だけで相当に消耗した。しかし、ここで音を上げて、また通り一遍の呪文で締め括っていては、半端な治癒で終わってしまう。

 先程編み上げかけていた呪文を、エイダンは改めて紡いだ。


 ――この土地の精霊全てに、この土地で生きてきた人々に、敬意を表し、称揚する。彼らの力の一端を、我が身に。


「『祝炎あれブレスト・フレイム』!」


 杖先を中心に、視界一面を覆う程の蒸気が、さあっと広がる。

 同時に、火花にも似た輝く粒子が、湯の中から無数に湧き上がった。


 蒸気も粒子も、瞬き程の間に溶け消えたが、魔術の攻防によって硝煙のような気体が立ち篭め、荒れきっていた周辺の空気が、明らかに変容し、澄み渡ったものとなっている。


「う……ここは……?」


 意識を失っていたオースティンが、身じろいだかと思うと、ゆっくりと目を明け、身を起こした。


「何だ……風呂場? 番頭さん?」

「オースティン大尉!」


 思わずエイダンは、湯船の縁に乗り上げた。

 他の三人も、よろめきつつではあるが上体を起こし、湯船に寿司詰めにされている自分に気づいて、不思議そうに顔を見合わせる。


「いよっしゃ、成功したっ!」


 今にも腰が抜けそうな程に疲労困憊してはいたが、エイダンは杖を握りしめ、高々と歓喜の声を上げた。


「これが、火の治癒術か……!」


 タライで殴られてから今まで硬直していた、サングスターまでもが、感心した風に呟く。


「サングスター閣下! それに……ヴァンス・ダラ!?」


 意識のはっきりしてきたらしいオースティンが、湯を蹴立てて立ち上がった。


「大尉、まだ完治じゃないけん、急に動くと」

「何を言ってる、君は早く逃げないか! 武器はどこだ!?」

「治されるなり、騒がしい事だな」


 愛用の槍や剣を求めて、湯船の中を探るオースティン達に、ヴァンス・ダラが苦笑する。


「お前達こそ、俺の気が変わらんうちに、早く散ったらどうだ」


 軽く手で払うような仕草を見せた後、ヴァンス・ダラは機嫌良く、エイダンに向き直った。


「見もの、と呼ぶに相応しかったぞ、火の治癒術士」


 エイダンは何とも頷けず、喜びの表情を引っ込めて、ただヴァンス・ダラを注視する。

 彼が次にどう出るつもりなのか、全く読めない。差し当たって、すぐにでもこちらの首を刎ねる意図はないらしいが。


 ヴァンス・ダラはというと、何を思ってか、洗い場に転がっていた、浴室用の椅子を拾い、そこに腰を落ち着ける。


「お前の名は?」


 エイダンに向けて、彼は率直に問いかけた。


「名前は……エイダン・フォーリーです」

「生まれは何処だ」

「イニシュカ村」


 つい正直に答えてから、教えるべきではなかったかもしれない、とエイダンは、ちらりと後悔する。尤も、この相手が本気になれば、エイダンのあらゆるプロフィールくらい、あっという間に調べ上げられそうだ。


「西の果ての辺境か。ふむ」


 ヴァンス・ダラは膝の上で、頬杖をつく。


「さて……エイダン・フォーリー。俺はお前に、三つばかり借りがある」

「借り?」


「一つは、レイディロウ城の浄化だ。あそこの城主夫妻とは旧友でな。よしみゆえに、湖水を利用した浄化装置を、城に取り付けてやった」


 そうは言っても、レイディロウ城の城主は、『たまに城に立ち寄る黒衣の魔術士』の正体を、最期まで知らなかった――と、ヴァンス・ダラは続けて語った。気ままな旅人と思われていたそうだ。


 果たしてそうだろうか、とエイダンは密かに、疑問に思う。正体に感づいてはいたが、良い風呂場を造設してくれた恩義により、黙っていただけかもしれない。

 稀少な加護石を城に置きながら、レイディロウ城主は、その存在も造り手についても、歴史史料に一切遺さなかった。


「もう一つは、我が娘、コヨイの不始末を埋め合わせてくれた事。……あれは、おいそれと他人に貸し与えるべき物ではなかったな」


 あれ、というのは、レイジングゴーレムの卵の事だろう。一応、その件は反省しているらしい。


「最後に、タライの一撃」

「……タライ?」


 これには、身構えたままのオースティンが、不審げに眉をひそめた。エイダンは首を竦める。


「あれはその……」

「先刻の一撃が、剣か魔術であったなら、この首は落とされていた。ここまでの不覚は、実に五十年ぶりと言ったところだな。こんな愉快な事が、まだ起きようとは」


 特段、皮肉や嫌味という訳でもなさそうに、ヴァンス・ダラは笑った。


「これら三つの借りを考慮し――お前とであれば、交渉に応じても良いぞ。そうだな、借り一つ分につき一分と考え、時間は三分間でどうだ?」

「俺と……?」


 自分の鼻先を指差して、エイダンは問い返す。


 確かにサングスターは、ヴァンス・ダラに交渉を持ちかけるために、コチを捕らえたのだと語っていた。エイダンが交渉材料の一部で、仲介役になるべき者だとも。


 ……何の交渉をしろと言うのか。しかも、三分間で。


 いや、大方の予測はつく。不毛な戦争を終わらせるために、とサングスターは言った。つまりは――


「北方でシルヴァミスト軍と戦っとる、魔物の軍勢を……退かせてくれ、っちゅう交渉ですか?」


 まずはサングスターへと、エイダンは確認する。


「そのとおりだ」


 サングスターが重く頷いた。


「我々は、あくまで対話を望んでいる」

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