第26話 ライタスフォートの鼎談 ⑦

 ――そして、今現在の状況に至るのだと、シェーナは説明を締め括った。


「って訳でエイダン、はいこれ。あんたの杖。あ、お風呂屋の釣り銭も預かってるから、後で忘れずにね」


 シェーナが、背に負っていたエイダンの長杖を、勿体つけるでもなく、ひょいと差し出す。

 エイダンは声もなくシェーナを見つめ返し、それから仲間達の顔を、順々に確かめた。


「みんな、こんな所まで、ようはるばる……」


 手に馴染むハンノキの杖の重みを、噛み締めるような思いで、彼は握りしめる。


「残念ながら、まだ感動を分かち合うには早いようですが」


 肩にモヌポルを乗せたハオマが、冷静にエイダンをたしなめた。

 その言葉も終わらないうちに、雷鳴にも似た音が、壁のすぐ外側で轟く。


 エイダンは外壁に目を向けた。先程、サングスターとヴァンス・ダラの戦いの中で、大きく崩れてしまった部分だ。


 ライタスフォートの砦は、天然の崖地を利用した構造となっていた。シェーナ達の入ってきた玄関部分は二階にあたり、エイダンの閉じ込められていた牢は、半ば崖に埋め込まれた一階である。

 崖の反対側、崩壊した壁の向こうは、砂地に均された中庭で、恐らく、演習や資材置き場に利用されていたのだろう。中庭を挟んで、兵士の宿舎と思われる別棟が建っている。


 その砂地は今まさに、規格外の魔術士同士の戦場と化していた。


 閃光と黒い火炎、爆風が吹き荒れ、戦いを繰り広げる二人以外、誰も迂闊には近寄れない。宿舎の二階の窓が、けたたましい音を立てて次々と割れ、屋根の一部が吹き飛ぶのが見えた。


「あれが、伝説の闇の魔術士……魔杖将ヴァンス・ダラ、その者だと……?」


 自分の目が信じられない、というように、マディが首を振る。


「サングスター公には悪いけど」


 轟音に負けじと、シェーナがよく通る声で言った。


「あんなの、ほいほい加勢出来るような戦いじゃないわ。だから、あたし達は今のうちに、砦に残ってる怪我人を、出来るだけ避難させようと思うの」

「上で動ける兵士達は、既に救助活動にあたっているようだな。ここからは、治癒術士の腕の見せ所という訳だ!」


 フェリックスが、真剣な眼差しで両手を打ち鳴らす。――彼だけは、単身で魔術を使う事が出来ないのだが、この際、そのやる気に水を差す者はいなかった。


「じゃったら、ここに風呂場はあるかいな」


 オースティンの容態を窺いつつ、エイダンは周囲に問う。

 救助が来た事で、逆に気が抜けてしまったのか、先程からオースティンは、意識を混濁させている。長時間の搬送には、耐えられないかもしれない。何とか、この場で出来る限りの処置を済ませたい。


「風呂場か……。昔、野外演習時に何度か、この砦の敷地内に入った事はあるんだが。生憎と、宿舎の造りまでは詳しくない」


 マディが唇に親指を当てて思案する。ややあって彼女は、倒れたホワイトリーの方へと歩み寄った。

 加護石の嵌められた長弓を掲げ、呪文を詠唱する。地属性の治癒術だ。


「……『地脈コール・オブ呼び声・レイライン』!」


 魔術が完成し、弓の加護石部分が、ホワイトリーの患部に触れる。「うごわ!?」と妙な悲鳴を上げて、ホワイトリーが跳ね起きた。

 一般に、地属性魔術による治癒は、水属性のそれよりも多少、刺激が強く荒っぽいと言われる。


「目が覚めたか、ホワイトリー中尉。いや、現在は少佐だそうだな」

「何をっ……ベックフォード!? 何故君がここにいる!?」

「詳しい説明は後だ。取り急ぎ、宿舎の風呂場まで、彼らを案内してくれ」


 最低限の状況説明すら欠いた、有無を言わせないマディの物言いに、エイダンはぽかんと目を見開いた。


「マディ、元軍人らしいわよ」

「ホワイトリー少佐の、同期か何かかね。でも、少佐って相当偉いんよな?」


 こそりとシェーナと囁き合った上で、エイダンはホワイトリーの前へと進み出る。


「オースティン大尉が、闇の魔術にやられてしもうたんです。あれ、当たると治しづらい怪我を負うみたいなんじゃけど、俺は多分、一度診た事ありますけん」


 ノムズルーツの密猟者を治した時の事を、彼は思い出していた。

 あの時と同様の魔術を浴びたのだとすれば。完璧な治療は難しくとも、オースティンの命を繋ぐくらいは出来るはずだ。


「闇の……? 一体何がどうなったんだ?」

「いいから、風呂だ! ジョッシュ!」


 苛立ったマディが、ホワイトリーをファースト・ネームで怒鳴りつける。ホワイトリーは治りかけの傷を庇いつつも、泡を食って起立し、


「宿舎一階の、東の端だ!」


 と、明快に答えた。


「ほんじゃあ、俺はそこで、風呂を焚く! オースティン大尉と……他に、闇の魔術にやられた人がおったら、その人らを治す!」


「オーケイ、頼むわエイダン。マディとあたしは、瓦礫だとかで怪我した、通常の負傷者を助けて回るって事でいい?」

「了解した」


 勢い良く発言したエイダンに、シェーナが、そしてマディが続く。


 シェーナはまず先に、ホワイトリーの傍らで倒れている兵士の首筋に触れ、脈を確認した。


「この人は、闇の魔術による負傷じゃないわね。気を失ってるだけみたい。いけそうよ」

「ならば――」


 ハオマが、蛇頭琴の包みをばさりと解き、調律する風に軽く弦を奏でた。


「これより、この場の治癒術士、全員を『強化』致します。フェリックス、貴方には特に、身体強化の曲を。浴室まで患者を運ぶのは重労働でしょう。エイダンの手助けを頼みます」

「任せられよ!」

「バフ炊き祭り、再びだな」


 張り切るフェリックスに、マディは軽く苦笑いを浮かべてみせる。


 そして、治癒術士ヒーラー達は行動を開始した。



   ◇



 「……彼で、闇の魔術を浴びた者は最後だ! エイダンくん、頼むぞ!」


 宿舎の浴室に、ぐったりした兵士を背負ったフェリックスが入ってきた。

 既にオースティンを含め、三人の兵士が並べられた湯船へと、何とか最後の一人を浸ける。


 一応は大人数向けの浴室なのだが、兵卒用の宿舎の設備だから、そう広い訳でもない。大の男を四人も寝かせた湯船は、芋を洗うような状態になってしまった。


「重傷者を一度に四人、か……スミスベルスでも、ここまでの事はなかったが。大丈夫なのか?」

「やってみる。やらん事には、助からんし」


 案じる様子のフェリックスに、長杖を両手で握って、エイダンは応じた。


「うむ! それでこそ、僕の好敵手というものだ!」


 いつもどおりの笑顔を見せるフェリックスに、思わず、エイダンは「フェリックスさん」と、呼びかける。


「コチさんは――」

「……先生が何者で、どうなったのかは、後で聞くよ」

「ほんなら、今は二つだけ。あの人はピンピンしとるし、『コチ先生』なんは変わらんと思うよ」

「そうだな。僕もそう思う」


 一度、力強く肯定してみせてから、フェリックスは浴室をエイダンに任せ、本棟の救助へと戻って行った。


 エイダンは湯船に向き直り、小豆色のローブの袖をまくると、大きく深呼吸をする。

 以前、闇の魔術を浴びた者を治療した時は、患者一人を相手に、魔力を枯渇させてしまった。今度は、四人だ。

 レイディロウ城の時並みの、火事場の馬鹿力が発揮出来れば良いのだが。


 ――いや、考えてみると、あれはそういった、ビギナーズラックや偶然の類いではなかったように思う。


 レイディロウ城に眠る人々の魂は――もしかすると、あの土地を加護する精霊までも――浄められる事を、心から望んでいた。もっと言うと、『もう一度気持ちよく風呂に入りたい』と、強く願っていた。

 エイダンの魔術と、限りなく相性の良い思念が存在したのだ。だから、その思念から生まれたアンデッドであるレイスを、あっさりと浄化出来たし、レイスのかけた呪術も解呪しやすかった。


 ――土地の精霊の『好み』だとか、土地に生きる人達がどう精霊を敬ってきたか、とか……


 コチはスミスベルスで、そう語って詩作に悩んでいた。

 土地ごとの精霊と、その地で眠る人々に、敬意を払わない魔術は、『粋ではない』と。


「……教科書に載っとった呪文を読み上げるだけじゃ、足りんか……」


 エイダンは長杖の先を見つめて、唸るように呟く。


 彼の使える魔術は、未だに一種類だ。サングスター魔術学校の、呪術士用の基礎教本に載っていた、火属性の攻撃呪術。それを無理矢理、治癒術にアレンジしたもの。

 火属性の治癒術など、教えてくれる師匠は見つけられそうにない。当分、『火精の吐息フレイム・ブレス』一本でやっていくつもりでいたが……


 ――今なら、組み上げられるだろうか。オースティン達を救える、新たな火の治癒術を。


 コチのように、土地ごとの精霊の好みや、人々の意思を、『感じ取る』事などとても出来ない。しかしそれでも、彼なりの敬意を払う事は出来るはずだ。今この場において、教科書を読み上げるだけの見習いではいられない。


 エイダンは再び呼吸を整え、両目を閉ざした。頭の中で、呪文を構築する。


 この地の精霊に――火の精霊だけでなく、全ての存在に、敬意を。かつては戦地にもなったであろうライタスフォートの砦、その周囲に眠る人々に、哀悼を。祝福を。


 彼は目を開けた。口から自然と呪文が紡がれ――


 その時突如として、爆音と共に、浴室の扉が吹き飛んだ。

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