第12話 バフ祭りスミスベルス ②

 シェーナの持ってきた話は、なるほど確かに、複雑な表情を浮かべる他ない内容だった。


 ――ドラコニク・スロースという魔物モンスターがいる。


 分類上は、ドラゴンによく似たナマケモノの仲間とされる。翼長五十ケイドル超にもなる巨躯を誇り、北の不毛の大陸より飛来する姿が、度々目撃されている。

 極めて鈍重な生き物で、生涯数度の『渡り』の時期以外は、山の頂などに陣取り、何年もかけて昏々と惰眠を貪り続ける。


 寝ている間、餌も摂らずにどうやって生きているのかというと、これがこの魔物の恐ろしい所で、周囲の生き物の、精神力を吸い上げて栄養としているのだ。


 一説には、生命体の持つ意志や思考を魔力に転換して吸収しているとも言われるが――とにかく、ドラコニク・スロースの棲み処にされた土地では、寝床の山を中心に広範囲に渡って、全ての生き物が『やる気』をがれ、怠惰を極める事になる。肉食獣は狩りを放棄し、草食獣は警戒を怠り、やがては付近一帯の生態系が、まるごと破壊される。


 周辺の生き物の精神を吸い尽くしたと見ると、ドラコニク・スロースは『渡り』の態勢に入り、また別の寝床へと飛び去っていくのだ。

 そしてこの捕食行動は、当然人間にも効く。


 このたび不幸にも、スミスベルスの街が築かれたベンチ火山の山頂に、このドラコニク・スロースが飛来したのである。


 救援を求めようとした街の役人も、街の様子がおかしいと調べに訪れた外部の者も、皆『やる気』を吸われ、仕事を放り出してしまうため、発覚が遅れに遅れた。ドラコニク・スロースの姿が山中に確認されたのは、飛来から一ヶ月後だったそうだ。


「そらぁえらい事じゃね」


 神秘的を通り越して、トンデモかつ迷惑な魔物の生態に、エイダンは目を瞠った。


「えらい事よ。ただ、ドラコニク・スロース自体はもう、どこかの冒険者パーティーに退治されたの。精神力吸収は呪術の一種だから。敵の正体さえ分かってれば、呪術回避の魔道具マジックアイテムや結界をゴテゴテに貼りつけて、近づけるってわけ」


 その巨体と頑強な皮膚は脅威だが、前述のとおり、動きは鈍い。『やる気』を奪われなければ、生身の人間が戦っても十分勝てる相手である。


「なぁんじゃ。一件落着か」


 呆気なく幕引きまでを語られて、エイダンはのんびりと、頭の後ろで両手を組む。


「でも、ここからがあたし達の仕事」


 と、シェーナは改まった口調になった。


「精神力を吸われた人達は、すぐに完治とはいかないのよ。大体半年くらい、健康的な生活リズムに戻してれば、自然と治るみたいなんだけど。……問題は今、スミスベルスが年間で最大の繁忙期を迎えてるってこと」


 決算期となる年末が近い。年期契約の傭兵や冒険者達が、この鍛冶の聖地に、こぞって装備の新調や修繕を依頼しに来る。


 加えて、魔道具マジックアイテム製造所としても名高いこの街の職人達の間には、多くの妖精が冬眠に入り、精霊の力も衰える冬の時期の仕事を、不吉な行いとして避ける習わしがある。

 実際に自然界の精霊の力が、衰えたり増したりするものなのか、学術的な結論は置いておくとして、繊細かつ危険な作業の多い職人の街にとって、風習と験担ぎは重要だ。


 よって、冬を目前にしたこの時期のスミスベルスといえば、街中のあらゆる炉が燃え盛り、誰もが忙しく立ち働いている。それが風物詩のはずだった。


「ははあ。つまり、大急ぎで街の人全員を治して回らんと、年末までに仕事が終わらんで、大変っちゅう事かね」

「そう。しかも、ただ解呪するだけじゃなくて、街中で『バフを炊け』って言うの」

「『バフを炊け』?」


 耳慣れない言葉に、エイダンはきょとんとした。


 シェーナの解説によれば、『バフを炊く』とは――冒険者がよく使う俗語表現の一つである。『戦闘時、味方部隊に支援・強化魔術を的確に使う事』を意味する。

 つまりは、解呪によって治療したスミスベルスの職人達を、一斉に強化魔術で支援して、山積みとなった繁忙期の仕事を片づけさせる。そこまでが一連の依頼であるらしい。


「何か……体に悪そうなんじゃけど。そんなんして、街の人は大丈夫なん?」

「一応、過去にも何度か似たような例があったらしいわよ」


 千年の歴史を持つ鍛冶の街である。今までにも、災害や戦争で、仕事に予想外の遅れが生じたり、街のキャパシティを超える需要が発生した事例は、複数回あった。

 そんな時、魔道具マジックアイテム職人達が治癒術士を雇い、『バフを炊かせた』のが伝統の始まりで、『バフ祭り』として年間行事の一つになっているそうだ。


 尤も現代では、仕事を納めた年末に祈祷師を呼び、宴会を開くだけの、形骸化したものとなっていたが。本気の『バフ祭り』開催は、久々の事となる。


「へぇー……世の中、色んな祭りがあるもんじゃなあ」


 世にも珍しい火属性の治癒術士が言えた義理ではないが、世間は広い。


「ところが困った事に、実はあたし、強化バフの魔術ってあまり得意じゃないのよね。解呪までなら何とか出来るんだけど……」


 シェーナは浅く溜息をつく。

 彼女の得意とする魔術は、怪我の治療と、防衛結界やシールドの精製である。一口に治癒術士と言っても、得意分野は色々だ。


「なるほど。それで我々を巻き込もうと」


 不意に、風呂屋の入口からそんな声が上がった。

 エイダンが声の元を見ると、入口の暖簾を腕で押し上げて、ハオマが立っている。


「あれ、ハオマさんまで」

「シェーナに呼ばれましてね」


 ハオマがテントに入ってきたので、狭い番台のスペースは、満員となってしまった。


「巻き込むっていうか……いや、そうなんだけどさ」


 ハオマの言葉に、シェーナはいささか気まずそうな顔で頬を掻く。


「『跳ねる仔狐亭』の店主に、この仕事引き受けないかって、直接頼まれたのよ。人手が足りなくて困ってるんだって。『仔狐亭』には世話になってるし、強化は苦手分野だからイヤ、とも言いづらくてね」


 解呪は自分が受け持つので、ハオマにはぜひとも、強化魔術を担当して欲しい、とシェーナは頭を下げた。

 以前、ノムズルーツで行動を共にした時、ハオマは治癒楽士として、優れた補助魔術の腕前を披露してみせた。

 正式な冒険者となったのはごく最近だが、既に一定以上の実力の持ち主と見て良いだろう。


 ただし、彼は基本的に、人混みも集団行動も苦手とするマイペースな気性で、騒がしい場所も好まない。現在アンバーセットの街に留まっているのも、冒険者ギルドへの登録手続き上の事情からである。

 二十一人の治癒術士とパーティーを組んで一仕事――という話には、あまり気乗りがしない様子だった。


「気は進みませんが……しかし、まあ……『冒険者』としてギルドに参加した以上、あまり仕事を請け負わずにいると、ギルド加盟権の剥奪もあり得るようですし」


 両目は閉ざしたままで、ハオマはシェーナに顔を向け、眉尻を下げた。


「構いませんよ。ご同行致します。拙僧としても貴方がたの事は、ノムズルーツで拾えるどんぐりのツヤ具合と同程度には、興味深い方々と認識しております」

「ありがとっ! でもその例えはどうなの」

「……人間に対して贈り得る最大の賛辞ですが」

「分かったわよ」


 苦笑に口角を捻りつつも、シェーナはエイダンへと向き直る。


「エイダンは、どう? 今回は仕事場が街なかだし、戦いがある訳でもないから、お風呂が使えると思うけど」

「ああ、そっか。そんなら……」


 元々、縁あって知り合えたシェーナやハオマと、一緒に冒険者仕事が出来れば、と言い出したのはエイダンである。それに、『跳ねる仔狐亭』の店主は、冒険者ギルドの世話役も兼ねているから、エイダンもしばしば世話になっている。


 加えて彼は、仕事の説明の最初にシェーナから提示された、報酬の額を思い出していた。初級冒険者の請け負える任務の中では、かなり良心的な金額だ。

 目標としていた貯金が、いよいよ達成出来る。


「俺も行ってええもんかね?」

「勿論!」


 シェーナが手を叩いて喜んだ時、脱衣所の幌をめくって、ほかほかに茹だったオースティン大尉が現れた。


「な、何だか混雑してるな……?」

「わっ! すんません!」


 エイダンは慌てて、寿司詰めの番台からシェーナとハオマを押し出す羽目になった。



   ◇



 翌朝、エイダンが風呂屋のテントを畳み、幌にブラシをかけていると、後ろから声がかかった。


「番頭さん、しばらく店仕舞いだって?」

「オースティン大尉。こんな朝早くに、どがぁしんさったですか?」


 今日は市の立つ日でもない。驚くエイダンに対して、オースティンは豪快に笑ってみせる。


「演習の監督に行く途中だよ。もし軍に入るなら、朝型にしといた方がいいぞ。君は風呂屋と冒険者の兼業だったか? 正規軍への入隊の予定は?」

「い、今んところなぁです」

「そうか、残念だ! 丈夫そうで良い若者なのに」


 また一頻り、オースティンは笑い声を立てた。

 その額や腕には、北方の戦場で負ったらしい傷痕が残っている。


 スミスベルスでの仕事は数日がかりなので、しばらく風呂屋の方は休業という事になる。元々兼業だから、不定期な営業ではあったのだが、常連客であるオースティンの湯治とうじを、中途半端なままにして長期間旅立つのは、少しばかり心苦しい。


 エイダンは、傍らの木箱を開けた。中には風呂屋に置いていた小物が、あれこれと入っている。


「大尉!」


 とエイダンは、手製の薬用石鹸を一つ、彼に差し出した。


「風呂、急に閉めてしもうてすみません。これサービスしときますんで」

「おや、こんな……軍の宿舎にも風呂はあるし、別に気にする事はないんだがな」


 頭を掻いてしばらく遠慮したものの、結局オースティンは、礼を言って石鹸を受け取った。


「じゃあ、有り難く受け取っておくよ。旅に出るなら、くれぐれも道中気をつけてくれ。ヴァンス・ダラが率いる魔物の軍が、北の地で暴れている影響か、最近はここらの魔物まで凶暴だ」

「……北方の戦いって、新聞とかでしか知らんのですけど、大変そうですね」

「戦況がはかばかしくないからね……」


 僅かに、オースティンの顔が曇る。


 ヴァンス・ダラは神出鬼没。彼が現在、北方地域のどこに陣取り、何を企んでいるのかは、シルヴァミスト正規軍も容易に把握出来ない――と、従軍記者の報道によれば、そういう状況らしい。


「オースティン大尉はその、魔杖将とうたりした事あるんですか?」

「まさか! あれと相対しようものなら、俺など一瞬で命を落とすだろうさ」

「そんなにヤバいん?」


 つい砕けた口調になって、エイダンは質問を重ねる。


「ヤバいなんてもんじゃないぞ。奴の魔力を、ほんの一片与えられただけの魔物達が、北の海峡の砦を一つ、陥落させたんだからな」


 今後はより凶暴な魔物が、北から侵入してくる事になるかもしれない。オースティンはそう危惧しているし、シルヴァミスト正規軍上層部の見解も、同様だと言う。


「ま……脅かすような事を言ったが」


 また、からりとした笑顔になって、オースティンはエイダンの肩を叩く。


「つまりは、仕事を成功させて、元気に戻ってきてくれ、という話さ。それではな。石鹸をありがとう」

「大尉も。もう夜が冷えますけん、湯冷めに気をつけて」


 そんな訳で、いささか野太い笑い声に送られて、エイダンはスミスベルスへと旅立つ事になった。

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