第11話 バフ祭りスミスベルス ①

 エイダンは、自分の営む風呂屋の裏手で、手紙を読んでいた。

 故郷イニシュカ村から届いた手紙である。


 数ヶ月前、彼は自身の夢と、村の皆から託された期待とを背負って入学した魔術学校を、あっさりと退学させられた。

 それからしばらくの間、ペンを取ったところで何を語れば良いかも分からず、故郷には簡潔な近況報告と、謝罪の手紙を出したきりになっていたのだが――

 最近ようやく、治癒術士としてやっていく目処がついた。皆から預かった学費や諸々の支援金を、そっくり返すための貯金も順調だ。


 閑古鳥状態が続いていたエイダンの風呂屋だったが、先日、『サヌノメイチゴのシャンプー・魔除けつき』という新商品を店頭で売り出したところ、これが図に当たった。

 削り出して使う、固形石鹸タイプのシャンプーなのだが、保湿力が高く、香りも良い。しかも、使用して湯で流したとしても、その後丸二日程度、魔物避けの効果が持続する。

 特に行商の女性客などに好評で、客層が大きく広がったのだ。

 結果、風呂屋は繁盛。貯金の目標額達成まで、あと一息となった。


 それを機に、エイダンはイニシュカ村の何人かに宛てて、改めて便りを送った。まずは祖母と、隣の家に住む親友のキアランへ。それに、村で唯一の老治癒術士。あとは棒術の師匠へ。


 何しろイニシュカ村は、西の最果ての離島なので、随分と遣り取りに時間がかかったが、今日こうして、皆からの返事も貰えた、という訳だった。


『お前は呑気なくせに、変なところで頑固だから、今更強くは言わないけど』


 と、祖母からの手紙にはある。


『いつでも帰っておいで。治癒術もお金の事も、何も気にしなくて良いのだから。それと、ご飯はきちんと食べること』


 ジンと来るものを胸の奥に覚えつつ、エイダンは次の紙をめくる。

 それは村の治癒術士からの手紙だった。祖母からのものと似たような文面に続いて、


『私はあと三十年は現役でやれそうなので、君の夢の実現は焦らなくて良い』


 などと、冗談なのか本気なのか分からない事が書いてある。

 彼はもう七十歳近いはずたが、百歳まで現役の魔術士であり続けるつもりだろうか? 魔杖将ヴァンス・ダラではあるまいし。

 棒術の師匠からは、


『実戦棒術は、度胸と気合である』


 といった助言が添えられていた。

 口下手な人物だけに、手紙も簡潔過ぎるが、冒険者稼業の中では、彼に習った棒術が大いに役立ってくれている。


 最後に、親友のキアランからの手紙。

 こちらも祖母達と同じく、エイダンの身を案じてくれている様子だったが、最後に、意外な報せが付け加えられていた。


「ほぁー……モーリーン姉さんが、婚約かぁ!」


 思わず、声に出して呟くエイダンである。

 エイダンの隣の家の息子で、一歳年上のキアランとは、実の兄弟のように親しくしてきた。彼の姉、モーリーンも良くしてくれたが、キアランの家に遊びに行って、彼女にお茶菓子を出されたりすると、無闇にどぎまぎしたものである。何しろ、子供の頃から村で評判の美人だった。

 そのモーリーンが、同じイニシュカ村に住む大工の青年のプロポーズを受け、婚約したという。


『結婚式はまだ先だ。式の日には、エイダンも是非帰ってきてくれ』


 キアランはそう記している。

 姉思いの、と言うより『弟馬鹿』な弟だったから、モーリーンの結婚を寂しがっているのではないかと思えば、案外、義兄となる相手と仲良くやっているらしい。

 これから建築予定の、新婚夫婦の新居は、モーリーンの夫となる大工の設計による物である。自分も家造りを手伝うつもりだ、とキアランは、話を締めくくっていた。


「結婚……。結婚ねえ」


 手紙を畳んだエイダンは、未だピンと来ないその単語を、口の中で繰り返した。

 ピンと来ないと言っても、彼が魔術学校入学のためにアンバーセットの地を踏んでから、既に一年余りが過ぎている。もうじき訪れる冬を越せば、エイダンも十八だ。危険な漁に出る事も多いイニシュカの男達が、身の固め方を考える年頃である。


 物思いに耽っていると、浴室を覆っている幌の隙間から、ひょいと男の顔だけが覗いた。

 先刻、浴室に入っていった客だ。顔だけ外に覗かせたのは、服を着ていないからだろう。


 彼は風呂屋の常連客で、シルヴァミスト正規軍所属の、オースティンという軍人である。任務のため、一時的にこのアンバーセットの街に滞在しているのだと言う。

 階級は大尉だそうで、ならば風呂付きの良い宿舎が用意されているのでは、とエイダンは当初不思議に思ったのだが、聞くに、オースティンはこの前まで北方の最前線にいて、あちこち負傷したため、治癒効果のあるエイダンの風呂を気に入っているらしい。それは有り難い話だ。


「おーい、番頭さん。表に何だか、お客さんが来てるようだよ」


 軍人らしからぬ、のんびりとした声音で、オースティンはエイダンに呼びかけた。


「わっ! すんません!」


 元はと言えば、排水の具合を確認するために、風呂屋のテント裏にいたのだが、つい、ポケットに入れていた手紙を開いてしまった。常連客に店番をさせるとは。

 エイダンは急いで、テントの表へと走った。



   ◇



 エイダンの風呂屋は、蚤の市通りの、やや奥まった場所にある。


 テントの入口にかけられた暖簾をめくると、まず番台があり、そこでシャンプーなどの小物も販売している。番台の横、幌の向こう側には、狭いながらも脱衣場が用意されていて、更にそこを抜ければ、すのこ板の敷かれた浴室だ。


 さて、エイダンがテントの入口に飛び込むと、番台前で頬杖をついていたのは、明るい碧色の髪を結い上げ、すらりとした手足を、今日はローブではなく普段着風の軽装に包んだ女冒険者。顔馴染みの治癒術士、シェーナだった。


「やあ、シェーナさんか」


 彼女であれば待たせて良いという訳でもないが、とりあえずエイダンは、安堵の息をつく。


「なに、大慌てで駆け込んできて。忙しかった?」

「いんや、今日はそれ程でも。どがぁしたん、風呂使う? シャンプー?」


 いそいそと、新作の石鹸を番台に並べるエイダンに、シェーナは手を振ってみせた。


「違う違う。実はね、冒険者稼業のお誘いなのよ。治癒術士ヒーラーが二、三人いるんだって」

「へぇ?」


 三人もの治癒術士を必要とする仕事の依頼など、珍しい。相当な大所帯の任務だろうか。巨大なドラゴンを退治するだとか。しかし、ドラゴンとの戦いにエイダンを連れて行って、戦闘中に何か役立つとも思えないのだが。


 エイダンがそう言うと、シェーナは、笑ったものやら困ったものやら、と言いたげな、複雑な表情を浮かべてみせる。


「大所帯の任務には違いないんだけど……必要なのは、治癒術士だけらしいのよ。色んな街のギルドから集めてて、今の所、総勢二十一人。任地はエアランド州、スミスベルスの街」

「二十一人の治癒術士? エアランド州スミスベルス?」


 一度に驚くべき情報の波が押し寄せ、エイダンは目を白黒させた。


 エアランド州といえば、ここケントラン州アンバーセットから見て南西に位置する、山がちな地域だ。馬を使っても、概ね三日以上はかかる距離にある。

 州内で最も有名な街は、今シェーナがその名を口にした、スミスベルスだろう。辺境出身のエイダンでも知っている。

 鍛冶屋達の聖地とも戦地とも呼び慣わされる、聖シルヴァミスト帝国随一の手工業製造拠点。それがスミスベルスの街である。

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