第13話 バフ祭りスミスベルス ③
馬車を乗り継いで、街道を南西に向かうこと三日。
「おお! あれかいなスミスベルス!」
荒れ地の向こうに、高さはなだらかだが綺麗な円錐形の山が見えてきたので、エイダンは馬車から身を乗り出して喜んだ。
円錐の山――ベンチ火山の尾根に沿って、淡い色合いの建物が、みっしりと軒を連ねている。
アンバーセットは木造の住宅が多かったが、良質な石材が近くから切り出され、また火を扱う工房の多いスミスベルスの家々は、多くが石か煉瓦製だ。
「エイダンは元気ね。あたしはそろそろ身体が痛くて」
馬車に揺られどおしの三日間が、シェーナには堪えたらしい。先程から頻りに、両腕を伸ばしたり、腰を捻ったりしている。
「最近、近場での仕事が続いたから、少しなまったかしら」
「気を紛らわすのに、一曲奏でましょうか」
ハオマが愛用の蛇頭琴を、膝に乗せて言った。
間を置かず、
「良い曲ね。何ていうの?」
「食用にされる予定の牛が、荷馬車に乗せられて市場へ向かう様を歌ったものでございますね」
「……思ったより不吉な曲だった」
げんなりするシェーナの横合いで、エイダンは鞄の中から、裏紙を重ねて綴じた冊子を取り出して開く。
「えーっと、『ベンチ火山』とは、伝承歌に詠われる
「エイダン、何読んでるの?」
「『旅のしおり』。アンバーセットで図書館行って作ってきたん」
「めちゃめちゃ楽しんでるわこの人」
呆れ返って、馬車の壁際にもたれたシェーナは、ふと後方を見遣った。
「あ、もう一台馬車が来てる」
エイダンも『旅のしおり』から顔を上げて、「ほんとじゃ」と声を上げる。
「あの馬車もスミスベルス行きかいな。ほいじゃったら同業者かも」
「そうかもね。せっかくだから挨拶を……って、ちょっと!?」
シェーナが思わずといった様子で立ち上がり、幌を支える木製の骨に頭をぶつけた。外の状況の見えないハオマが、怪訝に眉をひそめる。
「何かございましたか?」
ぶつけた頭を押さえて呻いているシェーナに代わり、馬車の後方へと顔を突き出したエイダンは、仰天した。
「お、女の子が馬車の上に立っとる!」
目にした光景そのままを口走る。
後方を走るのは、エイダン達を乗せているものとそう変わらない、何の変哲もない幌馬車なのだが、その幌の上に、小柄な少女が一人、堂々と仁王立ちをしていた。
深く青みがかった長い髪が、向かい風に煽られている。月下に咲き誇る花々を描いた、絢爛な意匠のドレスも、大胆に裾が乱れ舞っていた。
――否、正確に言うならば、ドレスとは少し異なる衣服だ。前開きの布地を身体に巻き付け、帯で留める構造のあれは、極東地域の民族衣装ではないだろうか。
「結構馬車のスピード出とるが、御者さんは気づいとらんのかね?」
呟くエイダンの傍らで、シェーナが手のひらで筒を作り、後ろの馬車に向かって呼びかけた。
「そこの屋根の人! 危ないわよ!」
すると馬車の中から、声を聞きつけたらしい若い男が、ひょいと顔を出し、不思議そうに幌の屋根を見上げて、
「うわぁっ!? コチ先生、何故そんな所に!?」
と、声を張り上げた。
屋根の上の娘は、泡を食って馬車から身を乗り出す男に対し、至って呑気に手を振る。
「ヤホー、フェリックス」
「姿が見えないと思ったら、いつの間に……!? 危険です、中にお入り下さい! 君、馬車を止めてくれッ!」
男は御者に命じた。状況が分からず、まごついていた御者が、自分の走らせている馬車の屋根を振り仰いで、これまた飛び上がる程に驚き、慌てて馬を宥めにかかる。
ようやく、後方の馬車が路傍に停止した。エイダン達も、成り行き上放置するのも気が引け、一旦馬車を停めて、ぞろぞろと街道に降り立つ。
「今日は風が気持ちいいからネー、つい外に出ちゃったけど、馬車の屋根に乗るのは、シルヴァミストでは不粋で非常識なのネ? 勉強になったヨ!」
軽い身のこなしで、幌の上からあっさりと降りてきたその娘は、異国の癖の残るシルヴァミスト語でそう言って笑った。
年頃は、エイダンとさほど変わらないくらいに見える。ただ、顔立ちや出で立ちからして、どうやら彼女は極東の民族らしい。東の方には、小柄で幼く見える民族がいると聞くから、実年齢については測り難い。
「どんな文明圏であれ、走行中の乗り物の布製の屋根に登る行為を、洗練された良識と定める地域が、果たしてございましょうか」
状況の説明を受けたハオマが、冷静かつ尤もな感想を述べる。
「しかし、僕がほんの二時間うたた寝している間に、屋根に登って仁王立ちとは……流石はコチ先生です!」
そう称賛したのは、もう一人の馬車の乗客。先程の若者だ。『ほんのうたた寝』と表現するには、やや長時間の熟睡っぷりである。
屋根に登っていた娘を『コチ先生』と呼ぶところからして、彼女は何らかの道の師匠であり、彼はその弟子なのだろう。
「貴方達もひょっとして、スミスベルスの街に行く途中?」
シェーナが単刀直入に、コチへと訊ねた。
「そうだヨ。『浄めの踊り子』、コチとその弟子一行だヨ! そういうキミ達も、スミスベルスの祭りに呼ばれた治癒術士?」
「ええ。あたし達は、アンバーセットの街の冒険者」
「アンバーセット? 魔術と学問の街として名高い、あの……! 共に仕事をこなせるとは、実に光栄だ!」
コチの弟子が、師匠の半歩後ろで感嘆の声を漏らす。
「そうだネ! せっかくだから、フェリックスもアイサツしなヨ」
コチに促され、フェリックスなる若者は、シェーナの前へと進み出た。
プラチナブロンドの髪に、青空を落とし込んだようなブルーアイ。
正面から顔を合わせたシェーナとフェリックスは――互いを凝視した状態で、突如、凍りついたように動きを止めた。
数秒の膠着ののち。
「フェリックス……まさか、フェリックス・ロバート・ファルコナー!?」
「君はッ……シェーナ! シェーナ・キッシンジャーじゃないか! ああ、我が
全く同時に、両名が叫んだ。
今度は周囲にいた全員が、驚愕に硬直する。
しばしの間を挟んでから、エイダンはぽつりと独り言を落とした。
「ここんとこ、やたら『婚約』って言葉と縁あんなあ……」
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