第9話 ノムズルーツの妖精 ⑤
「エイダン!!」
眠るノームを抱えたシェーナが、川辺へと崖を滑り降りてきた。
「ち、血塗れ!? 大変! 今魔術で……しっかりして!」
「死ぬな小僧ォォ! オレが悪かったァァァァ!」
崖下に座り込んだエイダンに取りついて、モヌポルは泣き喚き、シェーナは慌てるあまり、錫杖を逆さまに構えたりしている。
そこに、また別のノームを抱きかかえたハオマが、片足を引きずりつつ歩み寄ってきた。これでモヌポルの家族は、全員無事救出出来たようだ。
「彼の心音は正常で、脈にも乱れはございません。重傷とも思えませんが?」
相変わらず平淡な口調で、ハオマは告げる。
「え?」
シェーナが魔術を中断し、きょとんとしてエイダンとハオマを見比べた。
「だって血が――」
「ああ、これ。俺もびっくりしたけど……」
指先についた赤黒い液体を、エイダンは舐めた。不味いが、果物の味がする。
「あ、イチゴジャムじゃねこれ」
サヌノメイチゴのジャム。呪術攻撃回避の結界つき。
足元を見ると、ジャムを入れていた陶器の小瓶が、割れてしまっている。崖から落ちた拍子に、鞄からジャムの瓶が滑り出て、後頭部にぶちまけられて割れたのだろう。
幸運だったのは、ジャムに篭めておいた『呪術攻撃回避の結界』が、見事に効果を発揮してくれた事だ。だから、レイジングゴーレムの黒い炎を防ぎきった。やはり、エイダンの治癒術は、食べるよりも浴びる方が強く作用するらしい。
そんな解説を披露しながら、口の周りについたジャムを舐め取るエイダンを見て、モヌポルがへなへなと、その場に脱力した。
一方シェーナは、眉尻を吊り上げ、エイダンの頬をぎゅうぎゅうに手挟む。
「あんたはもぉぉぉ! 無茶ばっかしてぇぇぇ!」
「へーなはん、
「それよりも、深刻なのはサメザレ嬢のようです」
ノームを抱きかかえたハオマが、沈んだ調子で漏らす。シェーナとエイダンは、彼の腕の中のノームに注目し、モヌポルが泡を食って跳ね寄る。
「サメザレ! マイスウィート・ベイビー!」
ハオマの腕の中のノームは、どうやらモヌポルの娘で、名前をサメザレというらしい。となると、シェーナの連れている今一人が、彼の妻だろうか。
ハオマはサメザレの容態を観察し、口惜しそうな嘆息を吐き出した。
「まだ幼いため、イワナツウメ香の毒が効き過ぎている。この解毒には、時間がかかってしまうかもしれません……」
「ああ、サメザレ……」
モヌポルが頭を抱えた時、崖の上から、「おおい」とか細い声が聞こえた。
「あ、あんたら治癒術士なのか……? 頼む、助けてくれ、リーダーが死んじまう……!」
見上げると、密猟者の一人――確か足をゴーレムの炎にやられた者だ――が、這うようにして崖から身を乗り出している。
「調子のいい事言ってんじゃねーぞ! テメーらはセメント固めだ!」
かんかんになって怒鳴りつけるモヌポルだったが、エイダンは両手を挙げて彼を宥めた。
「いや、モヌポルさん。あの人らは人間だけん、人間に捕まえて貰って、きちんと今までやった事を調べてから、裁かれた方が道理じゃと思います。多分、他にも色々やっとりますけん」
「ンだと?」
モヌポルがむっとした様子でエイダンを睨んだが、すぐに彼は、すとんと小さな肩を落とした。
「いや……そうだ。お前の言うとおりだな。短気を起こしたせいで、オレぁダチを死なせちまうところだったんだ。それにあいつらには、確かに余罪がある」
「でも」
と、シェーナが口を挟む。
「さっきの黒い炎の呪術……あれ、見た事もないものだった。あんな怪我、普通の治癒術で治せるのかしら」
「やってみる。サメザレさんもじゃ。俺が治せるかもしれん!」
エイダンは決意し、勢い良くその場に立ち上がった。イチゴジャムのせいで、買ったばかりの小豆色のローブがべたつく。
「小川はあるし――ここで、風呂を焚く! モヌポルさん、悪いんじゃけど」
エイダンは崖上の、モヌポルの家があった方角を指差した。
「あの切り株! モヌポルさんちの玄関。あれ、
エイダンの言葉にモヌポルは、不思議そうに髭を動かした。
◇
小川のほとりまでモヌポルの家を運んできたエイダンは、それを逆さにひっくり返し、川の水を汲んで、即席の湯船とした。
破壊されたとはいえ、どんぐりローン三十年の家屋、なかなか頑丈に出来ている。屋根部分に開いた玄関ドアからの水漏れが心配だが、短時間なら持ちそうだ。
「そんならまずは、サメザレさんを」
長杖で湯加減を調節しながら、エイダンはシェーナとハオマに頼んだ。
今度はこの前のように、まぐれ当たりや火事場の馬鹿力で何とかする訳にはいかない。
慎重に湯船に横たえられたサメザレを、湯に伝導させた魔力を以て、エイダンは診療する。
毒成分を全身から分離させ、湯の中からも排出。ショック症状を緩和。血と魔力の巡りを良くし、体温の低下した身体と、魂を活性化させる……。それら一連の術式を、呪文で精霊に伝え、彼らの力を借りて、現実に呼び起こす。
「……『
魔術が発動した。
小川の水は元々澄んでいるため、見た目は何も変わらない。ただ、気持ちの良い蒸気がふわりと立ち昇った。
ノームの少女が、ゆっくりと目を開け、湯船の中で身を起こす。
「……パパ……?」
「うおおお! サメザレ、マイスウィート! うおおおおお!!」
モヌポルは号泣して、娘を抱きしめた。
……上手く行ったらしい。
「ここで風呂を焚く、と言い出した時には、頭の打ち所でも悪かったのかと案じましたが」
ハオマが顎に手を当てて感心した。
「しかし、お見事です。まさか火属性の治癒術士とは」
「ほんと、お風呂さえあれば一流ね、エイダンは」
シェーナもまた感じ入った様子で、モヌポルの妻を抱き上げて、湯船に歩み寄る。
「ああ、サメザレ! 良かった!」
モヌポルの妻が、家族の抱擁に加わる。彼女は症状が軽かったため、シェーナとハオマによる治療で、既に元気を取り戻していた。
「それじゃ次は、密猟者のリーダーさんじゃね。他の人は、割と軽い傷で済んどるけども」
軽傷の密猟者二名は、応急手当をされた上で、モヌポル夫妻によって、大木に縛りつけられている。セメントを飲まされなかっただけ御の字、と言ったところだ。
しかし、リーダー格の男だけは、まともに背中を炎で焙られてしまったためか、応急処置や多少の治癒術では、ほとんど効果の見られない、重篤な容態に陥っていた。シェーナの懸念は、正しかったと言える。
早速、密猟者はシェーナとハオマによって、装備やら靴やらを奪い取られ、サメザレに比べるといくらか雑な扱いで、湯船に入れられた。
「一体どういう仕組みだったんじゃろ、あの炎」
密猟者の傷の具合を
普通の火傷ではない。周囲の草木を焼かなかったところから見ても、炎自体が、自然界の存在ではなかったように思う。
「オレに、あのレイジングゴーレムをくれた奴は」
と、一頻り泣き終えて、落ち着いたモヌポルが語り始めた。
「ただの便利な人形だと、そう言ったぜ……実際、貰った時に試しに呼び出してみたが、もうちょっと小さくて、大人しくて、扱いやすそうな感じだった」
ただし――と、ゴーレムの元の持ち主は告げたという。
「標的を心底憎んでる状態でゴーレムを呼び出せば、恐ろしい程の武器になる。憎い相手だけを焼き払う炎が吐ける。だから、大事な森を破壊する事もない。だがくれぐれも注意して使え……と。そんな事を言ってたな」
実際には、怒りに任せて呼び出され、あまり注意深く使役されなかった訳だが。
「一体、何者に渡されたのです? そして、何故受け取ってしまったのです?」
ハオマが問い質すと、モヌポルは少しばかりしゅんとした。
「ここからずっと東に行った先にある森にも、少数だがノームの住む集落がある。一月前、そこが『妖精狩り』に荒らされてよ……オレは報せを受けて、急いで様子を見に行ったんだが、もう何人も誘拐された後だった」
「……さっき、『こいつらには余罪がある』って言ってたのは、それの事ね」
シェーナが密猟者達を、厳しい目つきで睨みつける。
「そうだ。で、気落ちしてノムズルーツに帰ってくる途中、旅の魔術士に呼び止められたんだよ。レイディロウ城に行きたいんだけど、道に迷ってるって」
「レイディロウ?」
意外な地名が飛び出して、エイダンは目を瞬かせた。自分が冒険者としての初仕事をこなした場所である、あのレイディロウ城だろうか。
「軽く道案内してやったら、感謝されて……礼をしたいが、何か困ってる事はないかってよ。オレはヤケクソ半分で言ってやった。『とんでもねー敵が攻めて来た時に、家族を守れるようなスゲェ武器を持ってねえか』と」
すると、あのレイジングゴーレムの卵を渡されたのだと言う。
「レイディロウに向かう、旅の魔術士……? 何者かしら。一月前って事は、もう加護石も城に戻って、状態は安定してたはずだけど」
シェーナも考え込むが、当然この場で結論には至らない。
「東の森のノーム達も、調べれば、どこに連れて行かれたか分かるかもしれん。そがぁしたら、無事戻って来んさるよ」
そうモヌポルを励まして、エイダンは湯温の調整に取りかかった。
ノーム達を無事に帰すには、誘拐犯である密猟者の証言が欠かせない。何とか彼を治療する必要がある。
怪我人の浸かった湯船を前に、呪文の詠唱を開始する。
湯に注いだ魔力を通して、怪我の状態を解析――
――歪められている。
不意に、そう感じた。
黒い炎を浴びた部分の身体の組織が、生き物として歪められ、生命活動を無理矢理停止させられたような。壊死と呼ばれる状態に近いが、どこか異なっている。
世界の法則も、精霊の司る自然の
あの黒い炎は何だったのか……否、あれは本当に『黒い炎』だったのか?
炎の形状の何かを、『黒い』と認識させられた。つまりは。
可視光線の直進が歪められ、そこに闇の色があるように見えた……
「闇属性……?」
「え?」
我知らず口走ったエイダンに対し、シェーナが怪訝に目を向け、それから顔色を変える。
「ちょっと、エイダン! 大丈夫!?」
エイダンは我に返り、自分の顔を拭った。いつのまにかびっしょりと汗を掻いていた上、指先が冷え切って震えている。
魔力が枯渇したのだ。
しかし、ここで治癒術を中断する訳にもいかない。
「……『
吐き出すように、何とか呪文を詠唱し終えた。
長杖にもたれかかり、ゆっくりと地面に膝をついてから、大きく息を吐く。
「エイダン!」
駆け寄ってきたシェーナが、肩を揺さぶる。
「……
エイダンは答えた。大丈夫、という程の意味の、イニシュカ方言である。
「怪我がえらい複雑な感じだったけん、ちょい、
「ああ。多少、楽になった……」
密猟者のリーダーが、掠れ気味の声ではあるものの、口をきいた。意識がはっきりしてきたようだ。
「リーダー!」
「良かった!」
密猟者の仲間達が、歓喜の声を上げる。
「うん、楽んなったなら良かった……」
「良くない! エイダンはもう休んで。無茶させ過ぎたわ。あとはあたし達がやる」
立ち上がろうとしたエイダンの肩を、シェーナが押し留めた。
「あたし、ひとっ走り街道まで出て、密猟者の事を通報してくる。ハオマ、見張りお願い出来る?」
「……ならば、『
「ありがとう。頼むわ」
てきぱきと話を進めながら、シェーナとハオマは密猟者のリーダーを湯船から引き上げ、患部に包帯を巻く。
「イッテテ……」
いくらか血色の戻った風の密猟者は、呻きながらも視線を巡らせ、湯船の傍らに座り込んだエイダンを見つけた。
「助けられたな、治癒術士……。一応礼は言っとくぜ。俺の命がこの後、絞首台に上らされるまでだったとしてもだ」
密猟者からの、皮肉の篭められた謝辞に、咄嗟に何も返せず、エイダンは短く息を呑む。
『妖精狩り』は重罪だ。多分、彼らには人間相手の殺人などの余罪も、山程ある。捕縛されれば恐らく全員、極刑は免れないだろう。
エイダンは、彼の死を少しばかり遅らせたに過ぎないのだ。
「サヌを奉じる者らは、大地の浄化と、苦しむ人々への治癒を本分として放浪しておりますが」
蛇頭琴を構えたハオマが、突如、凛とした声を響かせた。
「放浪の身であるため、癒やすべき人、浄めるべき土地に出逢えるかどうかは、全くの巡り合わせ。精霊王のお導きに委ねる他ございません。……そして、治癒の対象となる人々が、その前に何をしてきたか、その後どうなるかも、拙僧共には知る由もないのです。ただただ、その時癒せるものを癒すのみ」
ハオマは、何も映さない
「エイダン――という名でしたか、火の治癒術士。貴方が治した者の人生全てを背負う必要など、どこにもないのですよ」
エイダンは黙って頷き、それから相手の目が見えない事を思い出して、
「分かった。……あんがとう」
と、声に出して答えた。
「まあ、拙僧は端から、人間を癒やすのは苦手だし、気も進みませんがね」
「えっ、そうなん? でもモヌポルさん達の解毒は凄く上手に……」
「ノームは別です。盟友ですので」
「……」
人間の友達はいるのか、大丈夫か、とエイダンはつい問いかけそうになり、しかし寸でで口を噤んだ。それは藪蛇というものだ。
「待ってる間に、エイダンもお風呂入ったら?」
荷物をまとめながら、シェーナが労わる調子で声をかける。
「いんや、怪我の重さで言うたらハオマさんの方が」
「あんたは今、ジャムまみれでしょ。治療はこっちでやるから、普通のお風呂に入りなさい」
エイダンは、自分のローブの有り様を見下ろし、甘ったるい匂いのするべたべたの赤毛に触れると、
「……そうじゃね」
苦いものを抱えつつ、眉尻を下げて笑ってみせた。
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