第10話 ノムズルーツの妖精 ⑥

 数日後、アンバーセットの街の冒険者酒場『跳ねる仔狐亭』のテーブルには、エイダンとシェーナ、そしてハオマの姿があった。


「実のところ、街に帰って役場とギルドへの報告に使った時間の方が、レイジングゴーレムの相手より大変だったわ」


 やれやれとばかりに、シェーナはエールを呷り、切り分けたパイを一つ、口に運ぶ。


「密猟者だけならともかく、見た事のない魔術を使う変なゴーレムに襲われました、だものね。……エイダン、あの魔術が『闇属性』だったかもって話、役場でしたの?」

「一応、そんな風に感じました、とは言うたけど。あんまり信用されんかったな、ありゃ」


 エイダンは肩を竦めて、大皿のパイを自分の皿に一切れ移した。パイ生地の中に詰められているのは、挽肉とキノコとハーブで、味もボリュームも申し分ない、この酒場の逸品である。


 『闇属性』なる力について、市井の人々が知っている事は少ない。

 魔術学校の教科書を見ても、闇属性魔術の性質や成り立ちについての解説は、ただ一言。


『森羅万象を歪め、混沌をもたらす禁忌の魔術』


 それだけの記述である。

 現代において、確認されている使い手は、魔杖将ヴァンス・ダラのみであるため、系統だてて生徒に教える必要もなく、また教えられる教師もいない、といった事情もある。歴史上に行使者が少な過ぎて、研究や学術的解明も進んでいないのだろう。

 だから、エイダンも闇属性について、教科書以上の知識は持ち合わせていない。


 教科書の短い解説文と、直接診断した上での直感だけを論拠に、もしやあれが闇の魔術では、と思いついたままの事を役場で述べてみたのだが、報告した正規軍所属の調査員は、「まさか」と鼻で笑っただけだった。


 無理のある思いつきなのは、その通りだ。

 モヌポルにレイジングゴーレムを渡した魔術士が、闇の魔術の使い手だというなら、それはヴァンス・ダラその人であるのかもしれない。

 しかしそうだとすると、伝説の魔術士ヴァンス・ダラが、廃墟の城に向かおうとして、道に迷い、ノームに世話を焼かれたという事になってしまう。


 確かに、極めて神出鬼没な人物だとは噂されているが、ちょっと考えにくい話だ。


「でも、あの密猟者達の火傷……軽傷で済んだ人達も、普通の治癒術じゃ効きが悪くて。正規軍の治癒術士達も、首を傾げてるらしいじゃない」

「うん、俺ももげるほど首傾げた」

「もがないでよ」


 ノムズルーツでの一件以降、エイダンに対するシェーナの評価は、『目を離すと無茶をしかねない奴』に定着してしまったらしい。こうして冗談を言っても、釘を刺されてしまう。


 意見を交わすエイダンとシェーナを尻目に、ハオマは黙々とパイを食べ進めていた。

 髪に枯葉や蔦を引っ掛けた、土埃まみれの姿でアンバーセットに到着した時は、冒険者の多い街とはいえ、流石に少々、胡散臭い輩のように見られていたが、今は大分身綺麗になっている。


「サヌ教のお坊さんって、肉とか食べてええんじゃね」

「本来、私腹を肥やさぬ事以外に、これと言って戒律はございませんよ。宗派にもよりますが」


 基本的に放浪生活となるし、信徒には持病や古傷を持つ者も多い。食を制限すると身がもたないという実情があるのだろう、とハオマは推論を述べる。

 そんな彼の手の中には、杜松ねずを漬け込んだ蒸留酒のコップがある。飲酒も禁じられていないらしい。


「一応、お尋ね者を捕まえたって事で、多少の礼金は出たけど――エイダンが森に行ったそもそもの目的は、果たせず終いなのよね……」

「いんやそれが、そうでもないんよ」


 物憂げなシェーナに対して、エイダンはにんまりと笑ってみせた。


「え? どういう事?」

「シェーナさんが通報に向かっとる最中の事なんじゃけど。モヌポルさんの奥さんから、上等なサヌノメイチゴの野生種をたくさん貰ったけん」


「……またジャム作りに挑戦?」


 ジャムパンの味を思い出したのか、シェーナの顔色が悪くなる。


「いんや。今度は葉を煮込んで、シャンプー作っとるん」

「シャンプー……」

「ジャムを頭から引っ被った時に思いついたんじゃ」

「あの修羅場の中で、そんな事思いついてたの!?」


「確かに、かつてサヌノメイチゴは、果実より寧ろ葉の方が、塗布薬として重宝されていたと聞き及んでおりますね。保湿成分を含む他、皮膚病や火傷に効くとか」

「ハオマさんもそう言うとったよな」


 シェーナは呆れ半分、腕を組んで唸った。


「文字通り、転んでもただでは起きないってやつね。侮れない」

「けども、ハオマさんは大変じゃね」


 と、エイダンは笑顔を引っ込める。

 ハオマはというと、ただ不機嫌に眉根を寄せて、酒を呷った。


 放浪の身である彼が、現在もアンバーセットの街で足止めを食らっているのは、何故か。

 ノムズルーツへの立ち入り許可証を持たずに森に入った事が、役場にバレたためであった。


 と言っても、今までは伝統的な慣習として、サヌ教の僧がノームの集落に出入りするのは、お目溢しされていたのだ。彼らはノームとの付き合い方も、森の中で注意すべき点も、常人よりよく心得ている。


 しかし、サングスター家が魔道管理局の改革を推し進めた結果、そういった曖昧な慣習法はよろしくない、という事になり、サヌ教の者にも許可証が必携とされてしまった。


 ハオマは、その改革を知らなかったらしい。ノムズルーツを訪ねる事はあっても、アンバーセットまで立ち寄る機会はほとんどなかったので、当然と言えば当然だ。


 幸い、法の厳格化を知らなかったというハオマの主張は認められ、今回は罪に問われずに済んだ。ただし、今後は森に立ち入る際、都度許可証を携帯するように、との通達が寄越された。

 身分証も何も持たないハオマである。森を訪ねる許可を得るまでに、下手をすると丸一日かかってしまう。


 今回の事件で、モヌポル一家は全員無事で済んだものの、彼らの家は壊されっぱなしだ。

 森の入口での別れ際、モヌポルは従兄弟を紹介して、しばらく彼の家に厄介になる、と笑顔で手を振ってはくれたが(なお、従兄弟とモヌポルの見分けは、エイダンには全くつかなかった)、ハオマは心配している様子だった。一家の生活が落ち着くまでは、度々見舞いに行くつもりらしい。


 そこで彼が、やむを得ず選んだ道は――


「冒険者ギルドへの登録、ね。まあ、このギルドは流れ者も多いし、加入許可にもそう時間はかからないから」

「時代の流れとはいえ、世知辛い事でございます。これだから、ユザ教は」


 シェーナのフォローに、むすっとしたままハオマは零す。


 ユザ教とは、光の精霊王ユザを、秩序と文明の創造主として崇める教団で、主に、都市部の富裕層や貴族階級が信仰の担い手である。シルヴァミストの、事実上の国教とも言える。

 尤も、エイダンの故郷あたりでは、豊漁をもたらす水の精霊王や、祖先の霊への素朴な信仰の方が盛んだった。必ずしも、シルヴァミスト全土で崇められているという訳ではない。


「サングスター家の皆さんも、ユザ教を信仰しとんさるん?」

「そりゃあね。超一流の家柄で、現役の光属性の魔術士もいるのよ。『秩序と文明を』の教えの、体現者みたいな一族でしょ」

「『秩序と文明を』かぁ……」


 ハオマの言うとおり、世知辛いと言えば世知辛い。が、エイダンのように、後ろ盾も財産も腕力もろくに持ち合わせない庶民を、秩序や文明こそが守ってくれている点もまた、事実なのだった。今回の件にしても、最終的には国の法律に則り、正規軍に密猟者を引き渡している。


 自己判断で悪人の頭をかち割って、泥土に埋めるようなやり方は、エイダンには無理だ。


 ハオマはコップを傾け、また嘆息を漏らしている。


「一応、治癒術士ヒーラーとして登録申請致しましたが。人間の治療など、あまりぞっとしませんね……」

「どんな治癒術士ヒーラーよ」

「せっかく知り合えたんだけん、シェーナさんとハオマさんと、三人で冒険者の仕事が出来る機会でも、あるとええんじゃけど」

治癒術士ヒーラーばっかり、三人?どんなパーティーよ」


 シェーナの言うとおり、バランスが悪いどころの話ではない。おまけに、エイダンは風呂の準備が整わなければ治癒術をほとんど使えず、ハオマは人間の治療が苦手だというのだから、戦場にでも立てば、実質治癒係はシェーナ一人である。無茶苦茶だ。


「言うても、何があるか分からんけん。今回みたいに」

「こんなトラブル、しょっちゅう起きてもらっちゃ困るわ」


 そんな風に言い合ってから、エイダンとシェーナは、ハオマへの歓迎の表明として、木作りのマグを掲げてみせた。

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