第8話 ノムズルーツの妖精 ④
どうにか追手を撒いたか、という所で、エイダンは足を止め、袋に詰められっぱなしになっているノームを解放してやる事にした。
袋の口は固く結ばれていたので、小刀で布地を破り、中で眠っているノームを担ぎ出す。
妖精ノームの姿を、エイダンは初めて、まじまじと観察した。
猫ほどのサイズの苔の塊に、短い手足と、げっ歯類風の顔をくっつけたような形状の生物だ。顎と思われる部位から、ヒノキの葉に似た髭が生えていて、それが足まで垂れている。
「動かんけど、大丈夫じゃろか」
「イワナツウメ香の毒が、まだ回っているようです。解毒します」
ハオマが蛇頭琴を構え、先程とは異なるメロディを奏でる。
毒消しの作用のある音程なのだろうか。一節が終わってからややあって、ノームの鼻先がひくつき、ぱちりと目が開かれた。
「ンギャアッ!」
目覚めたノームは開口一番、けたたましい声を上げて飛び起きる。
「どこだここはッ!? 袋の外か!? 出られたのか!? ああーッ畜生め! あの野蛮人の妖精狩り連中! ぶっ飛ばして泥溜まりに埋めてやるァ!」
「モヌポル。お目覚めですか」
まくし立てるノームに対して、ハオマが声をかけた。
「オオウ! ハオマじゃねえか、ひっさしぶりだな! そうか、オメーがオレらの『声』を聞きつけて、助けてくれたって訳だな? 流石だぜ! 助かった!」
「いえ……」
モヌポルなるノームの前に屈んだハオマが、
「確かに、貴方の助けを求める声を蛇頭琴がとらえ、弦を揺らしたのを耳にしました。しかし、貴方を救ったのは、こちらのお二方と明かさねばなりません」
ハオマは手のひらを上向けて、エイダンとシェーナのいる辺りを示した。
「ほぉン? サヌ教徒にゃあ見えねえし、森で見た事のある顔でもなさそうだが……」
「うん、ここ来んの初めてじゃ。初めまして、モルポヌさん」
「モヌポル!」
「モ、モヌポルさん」
出だしの挨拶から躓き、あたふたと訂正するエイダンである。
正直に言うと、『森に棲む地属性の妖精ノーム』という肩書きから、事前に想像していた印象と比べて、目の前のモヌポルがかなりギャップのある人物だったため、少々面食らっていた。
「まあいい、礼は言っとくぜ、嬢ちゃん、小僧。しかしこうしちゃあいられねえ! マイハニーと、マイスウィート・ベイビーも一緒に捕まったはずなんだ。どこにいるか知らねえか!?」
「奥さんとお子さんってこと?」
シェーナが確認を入れる。
「密猟者の他の二人も、こんな感じの麻袋を持っとったが。あれが……?」
「なにィ!」
エイダンの独り言を聞きつけ、モヌポルは髭が逆立つ程に怒り狂ってみせた。いわゆる、怒髪天を衝くという状態だ。
「人の大事な家族まで袋詰めにしやがるたぁ、どういう了見だ! もう生かしちゃおけねえ、セメント飲ませてから埋めてやる!」
「具体的で怖い」
シェーナが顔をしかめる。
「密猟者達を泥土に埋めるのには賛成ですが――」
「賛成なん……?」
「――どうか落ち着いて下さい、モヌポル。貴方が再び危険を冒す必要はございません」
「いいや、ハオマ」
モヌポルは口髭の片側を持ち上げた。不敵に笑ってみせたようだ。
「実はつい最近オレは、ある武器を手に入れちまったのさ。アレを貰ってすぐにこんな事が起きるなんざ……精霊王のお導きかもしれねえ!」
「武器?」
「とにかく、オレんちに来い! すっかり荒らされちまったからな、アレを探すのを手伝ってくれ!」
一方的に告げるなり、モヌポルは身体をボールのように丸め、ポンポンと地面を跳ねながら、森の彼方へと向かってしまった。
エイダンは、シェーナと顔を見合わせる。
どうも嫌な予感がした。すぐにでも森から脱出して、アンバーセットの役場に通報するのが安全なようにも思うが、モヌポルを放っておくのも心配だ。
「……行くしかなぁか」
「まだ葉っぱの一枚も採集出来てないわね」
◇
モヌポルと彼の家族の家は、確かに酷い有り様となっていた。
玄関口であるはずの切り株は、ひっくり返され、朽葉や小枝で作られたらしい壁も床も、つるはしか何かで破壊されている。人間からすればミニチュアサイズのテーブルや食器棚は、なかなか凝った意匠を施されていたのだが、家の中に流れ込んだ土に、半ば埋もれていた。
先程の密猟者達の様子を鑑みるに、周囲から毒の香を流し込み、住民が弱って動けなくなったところで、家を破壊し、一家全員を探し出して誘拐――という手口だったのだろう。
「こらやれん……」
エイダンが深刻な口調で呟く。
「全くだ。いよいよ許せねーぜ。どんぐりローン三十年の、このオレの家を……」
ノームの経済観念がよく分からないので、『どんぐりローン三十年』がどの程度の価値なのか、いまいち理解出来ないが、とにかくこれは、あまりに気の毒だ。
「家の片付けは後だ……。今は、卵を探してくれ。真っ黒い、アヒルの卵くらいのやつだ」
「卵、ねえ」
モヌポルと、体重の軽いシェーナが、床をこれ以上踏み抜かないよう慎重に家の地下へと降り立ち、周囲を探る。
楢の葉を編んで作ったベッドが、横倒しになっているのを、元の位置に戻したところで、あ、とシェーナが声を上げた。
床に落ちた木箱。中には綿が詰められ、その中央に、黒い卵状の物体が、確かに鎮座している。
「これかな?」
拾おうとして指先で触れたシェーナはしかし、「うひゃっ!」と、悲鳴を上げて手を引っ込め、後退った。
「オオ! それだそれだ!」
大喜びで跳ねてきたモヌポルが、後退したシェーナに代わり、卵を両手で拾い上げる。
「ちょっと……それ、中に何が入ってるの?」
「シェーナさん、どしたん?」
「動いたのよ。何かこうモゾッと。おかしな魔力も感じた」
エイダンの伸ばした手を取り、地上に這い上がってきたシェーナは、不安げに、卵に触れた指先を擦りながら説明した。
「そんな恐ろしいモンじゃねーぞ。入ってんのは人形だ」
「にん……は?」
モヌポルの言葉に、聞き間違いか、とエイダンが首を傾げた、次の瞬間だった。
「気配が!」
ハオマが警戒の声を上げ、蛇頭琴を構える。
しかし弦に触れるよりも早く、彼の足首を矢が射抜いた。
「ぐ――!?」
「ハオマァァッ!?」
モヌポルの、驚きと怒りの絶叫が響き渡る。
「ハオマさん!」
駆け寄ったエイダンに対し、ハオマは片膝をつきつつも、首を振ってみせた。
「……掠っただけです。しかし、油断しました。ここまで気配を察知させなかった。敵は思った以上に、熟練の狩人です……」
シェーナも錫杖を携えて駆けつけ、ハオマの傷の具合を見る。しかし、治癒術の詠唱にかかる猶予はない。密猟者達の足音が迫っていた。
「やったか!?」
「一人は動けなくした!」
「ノームは殺さずに捕まえろ! あとの連中は黙らせちまえ!」
木々の向こうから鋭い声が飛び交い、密猟者達が、逃げ道を塞ぐように散らばったのが分かった。確かに、訓練されている。
先程は不意を討てたが、彼らは
「この野郎共ォォ!」
激昂したモヌポルが、卵を抱えて密猟者達の潜む方角へと跳ねていく。エイダンは制止したが、最早その声は耳に届いていない様子だ。
「オレを本気で怒らせちまったな! もう泣いても喚いても許さねえ! 出てこいッ! 人間共を蹴散らせッ! 『レイジングゴーレム』!」
黒い卵が、宙に向かって放り投げられる。
「マァァァァァッ!」
およそ形容し難い音域の咆哮を上げて、卵の殻を突き破り、何者かが地面へと降り立った。
丸っこく研磨した石を繋ぎ合わせ、苔で覆ったような外見。なるほど、多少柔らかそうで、子供の玩具の人形めいてはいる。
ただし、その大きさはざっと、三ケイドル(※一ケイドル=約一メートル)以上はあった。
「なっ、なんだありゃあ!?」
身を隠した密猟者達が、口々におののく。
声の出所から、獲物の居場所を察知したのか、レイジングゴーレムは大股で近場の木の一本へと近づき、人の胴体程もあるそれを、片手で薙ぎ倒した。
「うわあああっ!?」
「マアァァッ!」
倒れた木陰から、土煙と共に密漁者の一人が転がり出て来る。その背には、見覚えのある麻袋が背負われていた。
「あの袋だ!」
ゴーレムの肩へと飛び乗ったモヌポルが、麻袋を指し示す。
「奪い取れ!」
「マァァッ!」
顔も何もないゴーレムの頭頂部に、ぱっくりと口が開いた。吸引音にも似た異音が周囲の空気を揺るがしたかと思うと、開いた口から、真っ黒な火炎が凄まじい勢いで吐き出される。
「炎!? この森で――」
ハオマが咎めるような声を上げるも、その炎が周囲の草木を焼き払う事はなかった。ただ、背を向けて逃げようとした密猟者の足元だけに絡みつき、靴を燃え上がらせる。密猟者がその場に倒れ、悲鳴を上げた。
――状況は混乱しているが、とにかく、モヌポルの家族を助けなければ。
エイダンは先程の小刀を手に、密猟者の背へと素早く近づいた。袋の口を切って、中ですやすやと眠るノームを抱え上げる。
「ハニー? ベイビー? どっちじゃ」
大きさもモヌポルとそう変わらないし、髭まで生えているので、年齢も性別も分からない。
「あ、足が……助けてくれ!」
密猟者が、エイダンの腕に取り縋った。
少しばかり躊躇を覚えつつも、エイダンはその手を取って、物陰まで運ぼうと引き起こす。
そのすぐ傍らを、またも黒い炎が奔った。
「逃がすなァ! あと二匹! 薙ぎ払え!」
完全に興奮状態のモヌポルが、逃げ惑う密猟者達を指差し、ゴーレムは指示に従って火炎を撒き散らす。
リーダー格と見られた男が、背中に炎を浴びて地面へと転がった。残る一人が、それでも麻袋を捨てずに森の出口へと走る。
「もう一匹!」
最後の密猟者の肩を、炎が掠める。その衝撃だけで、密猟者の身体は軽々と吹っ飛ばされ、小脇に抱えていた袋を取り落とした。
モヌポルは勝ち誇って、ゴーレムの肩の上でぴょんぴょん跳ねる。
「見たか! ザマァ! さあレイジングゴーレム、あの袋を拾って……」
その命令が終わらないうちに――
「マァァァァァァァッ!」
レイジングゴーレムが再び吼え、くるりと踵を返した。向かってくるのは、エイダンやシェーナ達のいる方角だ。
「ねえ、まずい事になりそう」
ハオマの治療のため、呪文を詠唱していたシェーナが、焦燥に駆られた声を上げる。
「仕方ないな、不十分だけど――『
強引に魔術を仕上げ、シェーナは治癒の力を発動させた。
その直後、レイジングゴーレムが特大の黒い火炎を吐き散らす。シェーナとハオマ、少し離れた位置にいるエイダンと、密猟者の一人まで巻き込む威力である。
シェーナはハオマを庇って突っ伏し、エイダンは密猟者を、岩陰まで転がしてから、未だ眠るノームを抱えて、同じく陰に身を伏せた。
「こ、こら!」
焦ったのはモヌポルだ。
「何してんだ!? あいつらは違う、オレらのダチだろうが! もういい、卵に戻れ……」
モヌポルは周囲を見回し、ゴーレムを生み出した卵の殻を探したが、草に埋もれて見当たらない。
「しまった、ノリで変な所に放り捨てちまった!」
「ありがち」
冷たい口調で、シェーナが短くぼやく。
「マアァァァァァァァッ!」
ゴーレムが手近な木をへし折ると、シェーナとハオマに向かって投げつけた。
「きゃあっ!」
二人はどうにか回避するも、地面に突き立った木の幹が跳ね上げた土砂を、盛大に引っ被る。
「やめろォ!」
モヌポルはゴーレムの頭に取りつき、叩いたり引っ張ったりして止めようとしているのだが、どうにもならない。
「マァァァァッ! ニ・ン・ゲ・ン、ケ・チ・ラ・ス!」
「あっ、そうか……『人間共を蹴散らせ』って命令したけん、この場にいる『人間』は全員、攻撃対象になってしもうたんじゃ!」
「ちょっとカッコつけて言っただけなのに!?」
エイダンが憶測を述べると、モヌポルは半泣きで喚いた。
このレイジングゴーレム、あまり融通は利かず、細かい命令に対応出来る訳でもない様子だ。現状、活動を停止させる方法として分かっているのは、卵の殻に戻すというやり方のみ。
「シェーナさん、モヌポルさんの家族を頼む!」
声を張り上げて、エイダンは抱えていたノームを木の根元に寝かせる。そして、背に挿していたハンノキの長杖を手に取り、走り出した。
「モヌポルさん、その肩から降りられるかいな?あんたは卵の殻を、どうにか探してくれ!」
ゴーレムの死角に回り込みつつ、モヌポルに呼びかける。
「おっ、オメー何する気だ!?」
「俺はこいつを引き付けとくけん!」
言うなり、エイダンはゴーレムの向こうずねに、長杖を打ち込んだ。
ゴーレムには痛覚もないらしく、大したダメージは与えられなかったが、シェーナ達に繰り出そうとしていた炎は中断させられた。ゴーレムの顔のない頭部が、エイダンを睨めつける。
引き付けると言っても、出来る事は限られている。モヌポルが地面に降り立ったのを見届けると、エイダンは回れ右をして、全力で逃げ出した。
「しかし、どがぁしようかい。森の外には連れ出せんし……!」
森が途切れたら、すぐに街道に出てしまう。通りすがりの旅人や馬車を、ゴーレムが『人間』と認識してしまったら、大惨事だ。
でたらめに森を走り回るうちに、小川が見えてきた。
川岸は小さな崖となっている。ほんの二ケイドル程度ではあるが、飛び降りるにはやや高い。ここは森の奥に向かった方がいいだろう。川に沿って、どこまで上流に登れるか。
――考えながら小走りになっていたせいで、エイダンは、背後への注意が疎かになっている事に気づかなかった。
「マァァァァァッ!」
いつの間にか間近に迫っていたゴーレムが、黒い炎を吐き出す。咄嗟に回避したエイダンだが、避けた先にあった太い木の根に蹴躓いた。バランスを崩し、片手が空を掻く。
「うわぁっ!?」
呆気なく、エイダンは崖下へと転がり落ちて行った。
「痛ったた……」
どこをどう打ちつけたのか分からないが、一番痛むのは後頭部だ。後ろ髪を探ってみると、その手にべったりと赤黒い液体がついて、ぎょっとする。
――えっ、そんな重傷? 死ぬ?
衝撃で動けないでいるところに、重々しい着地音が小川を揺るがす。
目の前に、レイジングゴーレムが降り立ったのだ。
顔のない頭に、口がぱくりと開く。炎を吐く気だ。この至近距離で――それこそ死ぬ。
エイダンは思わず、赤黒い液体まみれの片手を、顔の前にかざした。しかしそれでどうなる訳でもない。昏い――この世の現象とも思えない火炎が真正面から吐き出され、エイダンは両目を固く閉ざす。
が、彼の身が炎を浴びる事はなかった。
エイダンははたと目を開ける。
黒い炎は、かざした片手の手前で弾かれ、彼の傍らの崖土に当たって虚しく消えていた。
エイダンも呆然としたが、レイジングゴーレムもまた、現状を認識しかねたらしい。次の行動に移れず、その場に停止している。
そこに、
「レイジングゴーレム! 卵に戻れェェェッ!!」
跳ね飛んできたモヌポルが、黒い卵の殻を、ゴーレムに思い切り投げつけた。
「マアアアァァァァァァァァッ!」
森中の木々にこだまする程の咆哮を上げ、ゴーレムは再び卵の中へと収められたのだった。
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