第7話 ノムズルーツの妖精 ③
ハオマの足先が僅かに方向を変えて、再び動き出した。この落ち葉と木の根だらけの足場で、よくそんな、と感心する程に物音が立たない。
声が近づいてきた。
前方に、何者か複数人が立っている。エイダンはごく小さく、「ハオマさん」と呼びかけた。隠れて様子を窺うのに丁度良さそうな、複雑な形状の立ち木がある。
三人で木の陰に隠れ、声の主を観察する。相手もまた、三人組だった。狩人風の装いの男達で、手に手に麻袋を持っている。
男達は、一つの切り株を取り囲むように立った。
やけに大きな切り株で、断面に寛いで座れるくらいの広さがある。幹の側面から伸びる短い枝は、何だか煙突のようだ。
「ありゃひょっとして、ノームの家?」
エイダンが囁く。
これも役場で貰った、『注意事項一覧』の一節だが、ノームには朽ちた木の皮や土を使って、切り株にそっくりな家を造る習慣があるという。
その切り株部分は玄関口に過ぎず、住居は地下に向かって蟻の巣のように広がっている。地上から見て取れる印象より、いくらか大きく複雑な構造だ。
三人の男達は手分けして、ノームの家の入口に、蝋燭のような形状の何かを並べていく。
『注意事項一覧』の第一条第一項。ノムズルーツは火気厳禁だ。
「貴方がたは」
突然、よく通る声が辺りに響いた。
見れば、エイダンのすぐ傍らで様子を窺っていたはずのハオマが、いつの間にか男達の方へと、悠然と歩を進めている。
彼は続けて口を開いた。
「密猟者。それも、『妖精狩り』ですね。この酷い臭い……ノームを酩酊・麻痺させる作用のある、イワナツウメの香です。それを焚いて、この家のノーム全員を誘拐しようと言うのですか。卑劣な手口です」
「何だ、お前は!?」
火打金を持つ男が怒鳴る。彼が一行のリーダー格らしい。
「通りすがりの旅僧でございます。危機を訴える盟友の声が聞こえましたので、声の主を探しておりました」
ハオマの何も映さないはずの目が、男達の持つ麻袋を睨みつける。
「その袋から……解放して頂きましょう。ノーム達を」
「チッ、面倒な! やっちまえ!」
チンピラ然とした口振りで、男が他の二人に命じた。二人は既に身構えており、命令と同時に弓矢を番える。
「『
矢が放たれる直前、シェーナの魔術が発動した。地面から高圧で噴き出す渦が、ハオマを狙った矢を弾き飛ばす。
同時に、エイダンは木陰から駆け出していた。シェーナの作り出したシールドが消え去る瞬間を狙って、最も手前にいた密猟者のリーダーに肉薄すると、思い切り長杖を突き出す。
「ぐわ!?」
不意を討てたお陰で、相手の腕に一撃を食らわせられた。男が抱えていた麻袋を取り落とす。それを素早く拾い上げて、更にハオマの手首も取り、エイダンは再び、脱兎のごとく駆けた。追って放たれた矢が、すぐ耳元を掠める。
「エイダン! 何無茶してんの!」
ハオマを連れて木陰に滑り込んできたエイダンを、シェーナが目を丸くして叱った。
「この袋に……ノームが捕まえられとるみたいだったけん」
呼吸を整えてから、エイダンは袋を抱え直した。なるほど、袋の中には何か生き物が眠っているらしい。猫くらいの大きさと重さはありそうだ。
「その通りです。感謝致します」
「そもそも貴方が無茶!」
至って冷静に謝辞を述べるハオマに、シェーナが今度は目を三角にして怒る。
そこに、密猟者の怒声が響いた。
「てめぇらッ、何のつもりだ! そのノームを返しやがれ!」
「おや。まだ相手は生きておりますね。頭をかち割らなかったのですか?」
ハオマがいきなり物騒な言葉を吐くので、エイダンは仰天する。
「頭なんかかち割ったら死んでまうよ!」
第一、エイダンが村で習っていたのは、あくまで護身用の棒術である。そんな一撃必殺の暗殺武闘術ではない。
「あのような密猟者、くたばりやがればよろしいと存じます」
さらりと言い放つハオマに、エイダンとシェーナは、揃ってぽかんとした。確かハオマはつい先程、僧侶であり治癒楽士だと自己紹介したはずだが。
『治癒楽士』という役職は、冒険者ギルドの登録にないので耳慣れないが、要は治癒術士の一種だ。その名の通り、音楽に乗せて魔術を発動させる。吟遊詩人や、旅芸人の間で発展した技能なのだろう。
「とにかく……一旦撤退するからね!」
気を取り直したシェーナが、きっぱりと告げた。
「ここで逃亡しては、あのノームの家が……」
「いいえ。多分、あいつらはあたし達を追う方を優先する。無防備な相手にいきなり矢を射かけるような、攻撃的な連中だもの。これまでも、目撃者や証拠は確実に消してきたって事よ。『妖精狩り』は重罪だし」
「……分かりました」
熟練冒険者だけに、シェーナは修羅場慣れしている。ハオマも、一応の納得を見せた。
「オーケイ。結界を張るから、詠唱完了と同時に走って。あたしから離れないでね」
すぐさま、シェーナは詠唱に入り、エイダンは袋を担いで長杖を構える。
そしてハオマは、背負っていた毛織物の包みを、ばさりと解いた。
現れたのは、木製の長い棹を持つ弦楽器である。棹の頭頂に蛇を模した装飾が取り付けられ、そこだけ美しい鱗のような材質となっている。
「拙僧も及ばずながら、
そう彼は告げ、手早く弦を奏でる。
僅か五本の糸が発するものでありながら、空気を、更には地面を震わせるような、重厚な和音が周囲に響き渡った。
「『
シェーナが杖を掲げ、詠唱を完成させる。ほぼ時を同じくして、密猟者のうちの一人が、曲がりくねった木の枝を掻き分け、短剣で斬りかかってきた。
が、閃いた刃は、甲高い音を立てて弾き飛ばされる。
弾性のある、シャボン玉風の水属性結界の外側に、石英を思わせる硬質な障壁が張り巡らされているのが、薄らと見えた。
「結界の強化!? 地属性ね。いい腕してる!」
シェーナが目を瞠る。
「逃走路も示されたかと」
演奏用の
その先は獣道とも呼べない、藪と雑草まみれの木立だが、エイダン達の足元から数歩分先までは、石畳状に舗装された半透明の道が浮かび上がっている。
「遁走用結界。『
「まげなもんで!」
エイダンが感嘆の声を上げた。
「……まげな?」
イニシュカ訛りが分からなかったのか、ハオマは閉ざした瞼の間に、不審げな皺を寄せる。
「ああ、えっとつまり……ハオマさん、偉いお坊さんなんじゃな!」
言い直しつつ、エイダンは再びハオマの腕を支え、シェーナと共に、逃げ出しにかかった。ハオマによる結界が、彼らの足元にだけ通路を形成していく。なるほど、遁走用結界だ。
「くそっ! 待ちやがれ!」
遠くから、密猟者達の声が飛んできたが、背後を確認するだけの余裕はなかった。
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