第6話 ノムズルーツの妖精 ②

 話し込んでいるうちに、乗合馬車はノムズルーツへと続く辻に差し掛かり、二人はそこで降りた。


「ところでエイダン、山菜ときのこ採りって……あんたまだそんな、今晩のご飯にも事欠くような暮らしなの?」

「そがぁな事は――多少あるけど――採りに来たのは、俺の飯だけじゃないいね」


 旅人達の集う蚤の市通りの片隅で、エイダンが始めた風呂屋は、現状、今一つの客入りに留まっている。


 旅の疲れと汚れを落とすのに、安価な湯があるのはありがたい、と立ち寄ってくれる客は、ぽつぽつと出てきた。

 ただ、薪をくべている様子もないのに、どうやって風呂屋など営業しているのか、と不思議がる者は当然いる。

 特に隠す必要もないので、魔術で温めていると説明するのだが、そうすると、呪術を使っていると思われて、嫌がられるのだ。


 火属性の治癒術士は、とにかく珍しい。エイダンは勿論、冒険者稼業の長いシェーナも、目にした事はないと言う。火を使う魔術士といえば、普通は呪術士だ。


 治癒術が生命力を活性化させるのに対して、呪術は生命力を奪うものである。

 これは、治癒術が豊穣と安産祈願の祭祀を、呪術が葬送と鎮魂の儀式を起源としているためなのだが、ともかく、呪術によって煮炊きしたものは、しばしば毒や武器となってしまう。

 日常生活の家事などに、安易に呪術を流用出来ない理由がこれだ。

 火の魔術による薬効のある風呂です、と言ったところで、なかなか世間一般の人々は、ピンと来ない。


「そんで考えるに、いきなり風呂に入るとなると、ハードル高いんかもしれんと。もっと手軽に使える、魔道具マジックアイテムの雑貨も一緒に売り出すんはどがーかぁて」

「なるほど。雑貨を使ってみて、体調が良くなったとか効き目を実感したら、風呂屋の評判も上がるかもしれない、って訳だ」


 そう、そういう算段だ。


「だけん早速、試作品一号を作ってみたんじゃけどもね……」


 エイダンはそう言って、鞄から陶器の小瓶を取り出した。


「何それ?」

「サヌノメイチゴの、手作りジャム。呪術攻撃回避の結界つき」

「イチゴジャム! へえ、いいじゃない。ジャムなら長時間煮込む必要があるし、しっかり魔力を注げるものね」

「それが、ちょい問題あって。そうじゃ、シェーナさんの率直な感想が欲しいんじゃが」


 折良く、時刻はまもなく正午である。

 森の入り口に倒れた古木があったので、その上にジャムの瓶を置き、続いてエイダンは、鞄から布に包んだパンを取り出す。二切ればかりパンを切り分け、それぞれにジャムを塗って、片方をシェーナに手渡し、もう一方に齧りついた。


 ――妙に水っぽいジャムである。そのくせ、部分的には焦げ臭い。果実の芯が硬かったのか、ヘタの除去が甘かったのか、渋味がある上食感もざらりと悪い。おまけに、色合いが異様に赤黒く、毒々しい。


「…………」


 隣で木に腰掛け、ジャムパンを食べ進めるシェーナが、何とも発言しづらそうに表情を曇らせるのを見て、エイダンはがっくりと肩を落とした。


「俺どうやら、どうにも料理が苦手なんよな……」

「いやっ……でも、前に一緒にレイディロウの調査に行った時は、炊事係で……」


 エイダンは、かつてシェーナと共に赴いた任務の際、朝食として用意したメニューを思い起こす。焼き過ぎた川魚と、茹で過ぎた豆と、買ってきたパン。


「……紅茶は美味しかった!」


 辛うじて、といった風にシェーナはフォローした。


「あ、お茶淹れるんは得意。ばーちゃんに仕込まれたけん」

「お風呂屋で飲み物のサービスなんて、アリなんじゃない? それにこのジャムも、結界効果はちゃんとあるんでしょ?」

「それなんよ。もう一個の問題は」


 と、エイダンは眉根を寄せて腕を組む。

 何度か実験してみて分かった事なのだが、彼が魔力を篭めた湯や食材は、食べてしまうとその効能が極端に薄らぐ。しかも、効力の持続時間が短い。

 レイディロウの一件では、紅茶を飲んだ時間の僅かなズレによって、パーティーの仲間の大半が危険に晒されてしまったし、魔物の直接的な襲撃に対しては、あまり効果がなかった。


「っていう感じだけん、食べ物や飲み物よりは、身につける雑貨を売った方が効果的なんじゃろうけども」


 ところが、身につける雑貨の定番――アクセサリー用の宝石や金属に魔力を注ぎ込むのは、エイダンの苦手とするところなのである。


「ううーん、上手く行かないもんね」


 何とかジャムパンを飲み下したシェーナも、こめかみを叩いて思案した。


「ただ、お湯以外に魔力を注入するなら、石や金属よりは、野菜だとかの植物の方が、まだマシって事が分かってきたんよ。下手すると燃やすけど、お湯に入れて煮込めば、かなりいける。だけん、この森で薬効のある山菜やら何やらを採って、色々作ってみるつもりでおるん」

「おっ、なかなか前向きじゃないの」

「このサヌノメイチゴも、栄養豊富で、昔は薬として使われとったちゅう話じゃけどな――」


「サヌノメイチゴの薬効は、果実よりも葉に多く含まれるのですよ」


 突如として、背後から声が上がった。

 驚いたエイダンは、取り落としかけたジャムの小瓶を一先ず鞄に放り込み、後ろを振り向く。

 男が一人、街道脇の茂みの中から、ひょっこりと顔を出した所だった。


 長旅の途中なのだろう。身につけた僧衣は土埃まみれで、黒に近いブラウンの髪は伸び放題である。藪の合間を抜けてきたためか、細い蔦や葉が、髪と服に絡んでいた。銅色がかった肌で、東の海の向こうに広がる、草原の大陸の民族と思われる風貌だ。ただ、その両目は閉ざされている。杖で前方の地面の状態を確認しながら歩いているらしい。


 盲目なのか、とエイダンは気づいた。


 杖と、日用品を入れたらしい鞄以外に、男はもう一つ荷物を背負っていた。大判の毛織物で丁寧にくるんだ、長細い荷である。武器か、もしくは楽器だろうか。


「今は……何刻でございましょう。もう世の中は明るいのでしょうか」


 誰に問うという風でもなく、男は呟いた。青空に向かって僅かに目を開けたが、やはりその視線は、何も捉えていないようだ。


「そろそろお昼よ」


 と、驚きから立ち直ったシェーナが答える。


「おや、なんと。夜通し歩いてしまったようですね」


 対話をしているのか、独り言を零しているのか分からない。丁寧だが素っ気ない口調である。

 男はエイダンとシェーナの前をあっさりと素通りし、ノムズルーツの木立の奥へと、杖を片手に躊躇いなく歩いて行く。


「あのう、そっちは森の奥ですけど」


 思わず、エイダンは呼びかけた。目の不自由な人間が一人で歩き回るには、いささか危険な場所だ。

 が、男は振り向きもせずに応じる。


「存じております。森のざわめきが酷い。友に何か起きたものと思われます」

「友?」

「この森の妖精ノームは、拙僧の盟友でございます」

「……貴方ひょっとして、サヌ教のお坊さん?」


 思い当たった風に、シェーナが男へと問いかけた。

 男が体半分だけシェーナに向き直り、目を閉ざしたままで軽く頷く。


「はい。拙僧は精霊王サヌを奉じる者らの末輩。治癒楽士ちゆがくしを務める、ハオマと申します」

「サヌ教……」


 エイダンは口の中で、その単語を繰り返した。

 言葉としては知っているが、実際にサヌ教の僧侶と対面するのは初めてだ。元々、海外を発祥地とする宗教なので、エイダンの生まれ育った西の辺境には、ほとんど信徒もいない。


 この世界は、自然を司る六属性の精霊たちによって加護されているが、伝承として語られる太古の時代、精霊たちのおやとも呼ぶべき、六柱の偉大な精霊王が存在したという。


 そしてそのうちの一柱が、地の精霊王サヌである。


 サヌ教の僧侶は、「土ある所全て我らが棲家すみか」という教えを第一としており、家も私有財産も持たず、生涯放浪を続けながら大地を浄めて回る。

 地の精霊に祈りを捧げるため、僧侶には地属性の魔術の行使者が多い。

 障碍者や傷痍軍人を、信徒として幅広く受け入れる事でも知られていた。信徒となった者は、自身の治療にあたりながら旅を続けるのだそうだ。


 ちなみに、エイダンがジャムの材料にしたサヌノメイチゴは、果実が『サヌの眼』に似ているとされ、その名が付けられた。一般に精霊王サヌは、八峰八川はっぽうはっせんに跨る巨大な蛇で、六角形の赤い眼を持つと信じられている。


「ノームに、何か起きた……? エイダン、森で事件なんて起きてたっけ」

「役場に許可証を貰った時、一緒にこんなチラシも貰っとるよ。『密猟者に注意!通報へのご協力をお願いします』じゃって」


 折り畳んで鞄に入れていたチラシを、エイダンが開いてシェーナに見せた時、先を歩いていたハオマが、ぴたりと足を止めた。


 片手を挙げ、エイダンとシェーナを声に出さず制止する。ただ事でない様子に、エイダンも足を止め、慎重に耳を澄ませた。

 木々のさざめきの合間に、微かではあるが、人の声が聞こえてくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る