第2話 幽霊古城レイディロウ ②
「一体、皆に何が起きたんだと思う?」
気を取り直した様子でその場に立ち上がり、シェーナはエイダンに問いかけた。
「うーん……地図見ながら、一度状況を整理しちゃどうじゃろ」
幸い、荷物持ちのエイダンが無事だったので、城内見取り図もランタンも、手元に残っている。
ランタンを崩れかけた石段の上に置き、エイダンは城内見取り図を石畳に広げた。
現在彼らがいるのは、城の正門から入ってすぐ。一階のエントランスホールである。まだ調査地の入口だというのに、四名もの仲間が行方不明となってしまった。
消えた仲間は、リーダーの剣士マックスと、呪術士のイライザ。それに格闘家のサム、斥候のオリバーだ。
「まず、城に続く跳ね橋を皆で歩いてたら、先頭にいた斥候のオリバーさんの姿が、いきなり見えなくなったんじゃね」
「で、マックスが警戒して、全員固まれって言ったんだけど、その時、最後尾にいたイライザの背後から……濃霧の塊みたいなものが、襲いかかってきて」
「庇おうとしたマックスさんと一緒に、その霧に包まれて、やっぱり消えた」
鉛筆で見取り図に×印を書き込みながら、エイダンは呟く。
格闘家のサムは、三人の仲間の消失を目の当たりにしながら、果敢にも揺らめく霧に殴りかかった。が、直後、彼の身もまた霧に覆われてしまう。
「何だこれっ……冷たい! 動けな……!」
そんな悲痛な声の余韻だけを残し、サムの姿は、濃霧と共に跳ね橋の上から消え去った。
橋の上に取り残されたシェーナとエイダンは、一先ずそこを渡り切り、今この場で途方に暮れている――という訳だ。
「あの霧。あんなの、自然現象とも思えないから……襲撃されたって事よね。魔術を行使する何者かが、待ち構えてた。皆、そいつにやられた」
ここまでの経緯を振り返った上で、シェーナは唇を噛む。
「でも、さらわれただけなら、きっと無事でいとんさるよな」
と、エイダンの意見は割合楽観的である。
皆が消え去った後、橋の上には、血痕の一滴も落ちていなかった。橋の下は水堀で、落下したなら、水の跳ねる音くらいはするはずだ。
そこかしこに魔物が闊歩し、魔術が奇跡を引き起こす世の中ではあるが、痕跡の一つも残さず、人間をこの世から消滅させる現象など、そうそうあるものではない。
となると、あの場では傷つけられる事なく、魔術を使って誘拐された可能性が高い。
そんな風に、エイダンは考えを述べた。
「……だといいんだけど」
薄っすらと寒さを感じる、霧に湿った空気の中、シェーナは組んだ自分の腕を、軽く擦る。
伝説によれば、この城に迷い込んだ者は、生きては出られず、亡者の仲間入りをするという。
嫌な想像力ならば、いくらでも働きそうな場所柄である。
「とりあえず、さらわれたっちゅう事にすると」
悪い方向に傾きかける思考を、やや強引に打ち切り、エイダンは見取り図の皺を伸ばして、再度紙面に集中した。
城内の詳細な間取りが描かれているのは、現在二人がいる一階までだ。その図の左隣には、城の外観がスケッチされ、いくつかのメモが書き添えられている。
「この城のどこかに、閉じ込められとるんかな……」
まじまじと、スケッチを眺める。
レイディロウ城の特徴は、湖に張り出したようにそびえる、城の東側の尖塔である。
防衛施設にしては妙だ。わざわざ湖の真上に見張り台を造設する必要はないし、この造りでは、敵が攻め込みやすそうな城の西の街道側を監視しづらい。
手持ちの見取り図は、城が廃墟になった後、史跡調査者によって描かれた簡単なもので、塔の機能までは記載されていない。
「実は、この前アンバーセットの町立図書館で読んだ郷土史の本に、この城の事が載っとったんじゃけどね」
「なんでそんなの読んでるの?」
唐突なエイダンの打ち明け話に、シェーナは面食らった様子で応じた。
「サングスター校の学生寮を引き払った後、図書館とか、タダで雨風のしのげる場所を転々と」
「ああそう……何か嫌な事聞いてごめん」
「いんや。――で、史書によれば、レイディロウは当初、街道の防衛用に建てられた砦だったんじゃけども。八十年ばかり前に、隠居した老領主が改築して、住みやすいようにされたと」
「そういえば見た感じ、防衛拠点っていうより、別荘か何かみたいな造りね」
「近所の村の人を招いて、無礼講の宴が開かれる事もあったとか」
「気さくでいい城主じゃない」
「大体六十年前に城主さんが亡くなって、城が放棄されて……その後徐々に、幽霊が出るって噂が広まったらしいんよ。出るとされてるのは、城主さんと、元宮廷呪術師だった奥さん。兵士、侍女、その他関係者」
「……領民からも好かれてて、老後も悠々自適。幽霊になって化けて出るほど、この世に怨念や未練を遺す事なんてある?」
とはいえ、とシェーナは考え込む。
「湖畔や沼地は、元々ゴーストだとかの、アンデッド型
そういった、土地に発生する魔力の淀みを浄化するのも、治癒術士の仕事の一つである。
強力な浄化の魔術をもってすれば、アンデッドを浄め、消滅させる事も可能だ。ただし高度な術なので、使える術士は限られる。
「水属性の魔力が濁ると、魔物が出る……。そがぁなると――」
エイダンは鉛筆を指先で回し、尖塔のスケッチに書き込まれた小さな文字を指し示した。
「ここが気にならん?」
「……『濁らずの泉』?」
尖塔の五階、最上階のすぐ下のフロアに、そういう書き込みがされている。
見取り図を作った調査者が名づけたのか、それとも、老城主が居住していた頃からそう呼ばれていたのか。
いずれにせよ、何らかの魔術的作用によって『濁らない水』がここに実在するのだとしたら。または、かつて実在したのだとしたら。気になる話だ。
「オーケー、行ってみましょ。戻って応援を呼ぶにしても、こんな何も分からない状態のまま人を呼んだって、この先何人犠牲が出るか」
早速、シェーナが城の奥を見据えたので、エイダンも見取り図を畳みにかかった。
「そうだ、もう一つ気になる事があるの」
ふと、首をこちらに傾げてシェーナが呟く。
「あたし達は、どうして今もさらわれず、無事でいられるわけ?」
魔避けの結界を張る暇もなかった。そうシェーナは言う。
「……多分、ここに来る前、シェーナさんが皿洗いを手伝ってくれたからじゃないかね」
「は?」
荷運び兼炊事係なので、今朝、野営地から出発する前のパーティーの朝食は、エイダンが作った。その後片付けを、シェーナだけが手伝ってくれたのだ。
「あの時、紅茶が少し残ってたから、こっそり二人で飲み干したじゃろ」
「うん――確かにそんな事もしたけどさ。それが一体……?」
ますます、シェーナは首を捻る。
その時、石造りの寒々しいホールに、ひゅうっと一陣の風が吹き込んだ。
はっとして背後の薄暗闇を振り向く。どこか生臭く、不穏な気配が近づいてくる。
「ゴーストだ!」
シェーナがその魔物の名を叫んだ。
ほぼ同時に、槍を掲げた兵士が暗がりから姿を表した。ただし、その顔色は明らかに、生者のものではない。肌は土気色を通り越して透き通るような――というか、実際透けている。
「うええっ、これもアンデッドかい!」
見取り図を強引に鞄の中へと突っ込んだエイダンは、壁に立て掛けていた杖を取った。
治癒術士にとって定番の武器、
一方シェーナが手に取ったのは、銀の装飾が施された錫杖だった。装飾の先端に、ごく小さいが輝きを湛えた宝石が埋め込まれている。魔力伝導のための『加護石』だろう。
「結界を張る! こっちに来て!」
呪文の詠唱に入ったシェーナの頭上で、か細くも不気味な唸り声がした。明かり取り用の窓を抜けて、また別の兵隊が飛びかかってくる。
「もう一体……!?」
不意討ちに息を呑むシェーナの、背を庇う格好で立ち塞がったエイダンは、渾身の力で杖を振るった。
「エイヤッ!」
気合一閃、ゴーストの横面にエイダンの杖が叩きつけられる。
「普通に殴った!?」
思わず詠唱を中断して、唖然とするシェーナである。
確かに、あまり治癒術士らしいやり方ではなかった。しかしこの状況、ただぼうっと突っ立っている訳にもいかない。
殴られたゴーストは、床に落下しかけるも、寸での所でふわりと宙に浮き上がり、「ヒィィィ」と、悲鳴とも威嚇ともつかない声を漏らした。
「うん、普通に棒で殴っただけじゃけん、時間稼ぎにしかならんよ。結界頼む!」
「り、了解!」
改めて、シェーナが杖の先端、加護石に意識を集中させる。
「『
周辺の霧や水分が錫杖の先へと収斂し、詠唱の終了と共に、一瞬のうちに拡散した。シャボン玉を思わせる、ドーム状の膜が二人を包む。二体のゴーストが膜へと突撃し、槍で貫こうとしたが、あえなく弾かれ、苛立つような唸りを上げた。
「なんとなあ、ごうげな」
エイダンは感心しきって、指先で水の膜に触ろうとした。するすると指が滑って、上手く触れられない。頑丈さよりは、弾性や潤滑性に特化した結界のようだ。
「これ、もっと部屋中に広がるくらいでっかいのを作ったら、ゴーストを圧し潰して倒せんじゃろか」
「何をエグい発想してんのよ。そこまで強力な魔術じゃないし、水と魔力が足りない。つまり、これも時間稼ぎね。さっさと逃げましょ」
治癒術士が二人きりでは、戦闘もままならない。とにかく決定打に欠ける。今後も魔物に遭遇したら、逃げるのが最適解らしい。
二人は結界を維持したまま、エントランスホールを脱出した。気休めかもしれないが、壊れかけた扉を閉ざし、そこらのブロックを置いて道を塞ぐ。
「……追っては来んな」
いくらか廊下を進んでから、エイダンは後方に目を凝らした。
安堵した様子のシェーナが、結界を解除する。
「あまり知能は高くなさそうだったし。本来、単に浮遊するだけだったゴーストが、凶暴化したみたいな。――ところでさ、さっき言った『ごうげな』って、どういう意味?」
「えっ? あっそうか、こっちの方では言わんか。ええと、『すごい』みたいな意味じゃね」
「……そりゃどうも」
と、シェーナは少しばかり照れ臭そうに、明後日の方を見た。
「いや正直俺一人じゃ、どがーにもならんけん、シェーナさんがおってくれて助かったよ」
「年頃の割に、ストレートに人を褒めるわね、あんた……もうちょっと捻くれてるもんじゃないの、今時の男の子って。歳いくつ?」
「こないだ十七んなりました」
「若っ。あたしの四つ下かぁ。でもそうね、この前まで学生だったんだっけ」
「学校には半年もおれんかったけんね」
ハンノキの長杖を掛けた肩を、エイダンは軽く落とした。
何しろエイダンの、一年生前期の成績ときたら、我が事ながら酷かった。
入学して最初の実習で行う、『魔術強化用加護石の製造』で、まず躓いてしまったのだ。
『加護石』づくりは、魔術士の第一歩だ。
最初は、魔力を伝導させやすい性質を、小石に持たせる。魔道杖の先端などに埋め込まれるものだ。
そこから修行を積めば、複雑な魔術的作用を、『加護石』内に封じ込められるようになる。立派な『
エイダンはというと、半年間、最初の実習課題の成果を提出する事が出来なかった。退学にもなるだろう。
不真面目にやっていた訳ではない。寧ろ必死だった。教材の宝石に魔力を篭めるのが苦手ならばと、他の扱いやすいとされる結晶や金属で、試してみたりもした。
だが結局、初歩的な『加護石』すら作れない、魔術士としてやっていくだけの才能がない、という結論に、学校側としては落ち着いた。
「余計なお世話かもしれないけど……この仕事を無事に終えたとして、貴方、これからどうするの? 冒険者として続けて働くのか、別の仕事に就くのか、故郷に帰るのか」
「もうしばらくは、ここらで仕事せにゃならんな」
案じる様子のシェーナに対して、エイダンは迷う事なく答える。
「故郷の――イニシュカ村には、治癒術士さんが、はぁ一人しかおらんで。その人もお爺さんじゃけん、じきに無医村になるって皆心配しとるんよ。だけん、俺が治癒術士になるって言って出てきた。学校の入学金は、村の皆がちょっとずつ出してくれたし、一人残るばーちゃんの面倒も、お隣さんが見てくれとる」
エイダンの実の家族は、親代わりだった祖母のみだが、近所の人々や村にただ一人の治癒術士から、何かと世話を焼かれて育ってきた。
数少ない子供達の中では、最も座学が得意で、棒術の師匠からも実力を認められている。
この国の各地にある魔術学校や魔道塾は、大抵が中上流階級にのみ門戸を開いており、また入学の時点である程度、家が雇った魔術士から、実技の基礎を教わっている生徒が多い。
そんな中、アンバーセットのサングスター魔術学校は、学力・体力試験にさえ合格すれば、出自も魔術の技能も問わず入学可能という、珍しい学び舎として知られていた。学費はそれなりに高いが、辺境の村人達でも、どうにか支払える金額である。
それで、エイダンは『イニシュカ村の神童』として、村の未来を背負う進路を選び、見事、魔術学校に合格したという訳だ。
が、目指し始めたばかりの道は、あえなく閉ざされた。
とはいえ――
「このままじゃ、帰られんじゃろ。自力で立派な治癒術士になるか……せめて、貰った学費とか旅費とか、全部返せるくらいには稼がんと」
「なるほどね……」
シェーナは口を引き結び、深く頷く。
「そういう事なら、この件は何としても無事切り抜けましょ。あたし、こう見えて顔が広いし、さっき捕まったマックスも、そこそこ有名な中堅冒険者だもの。無事に帰ったら、『あのマックスが手こずった幽霊城の事件を、新人冒険者が見事解決』って、大々的に宣伝しとく」
「そら、どがあか。マックスさんの不名誉にならんかね」
苦笑いを浮かべてから、エイダンは廊下の曲がり角の先を覗き込んだ。
見取り図が正確ならば、前方左手に、更に渡り廊下へと続く扉があるはずだった。その廊下を渡れば、もう尖塔の中だ。
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