第一部 お風呂屋さんはじめました

第1話 幽霊古城レイディロウ ①

 廃墟となった湖畔の城、レイディロウ城。

 辺りには常に深い霧が立ち込め、淀んだ生温い風が、城の庭園に生えた柳の葉を、頼りなく揺らす。

 近くを通る旅人達は、霧の向こうにこの城の影が見えた途端、皆足を早めるという。

 かつての城主とその家族、そして兵士達が、亡霊となって今もなお城の中を徘徊しており、時に、ぞっとするような怨みの声を上げるのだ。

 声にいざなわれ、城の中へと迷い込めば、決して生きては出られない。亡者の一人となって、永久に廃墟をさ迷う事になるだろう――


 それが、『幽霊古城』レイディロウの伝説である。


「よくある怪談といえば、そうじゃけど」


 エイダン・フォーリーは、そう言って一つ頷き、緋色に近い赤毛を、混ぜっかえすように掻いた。

 髪と同じ色のくっきりした眉は、深刻にひそめられてはいるものの、それでもなお、どこか呑気な雰囲気が抜けない。顔立ちに残る子供っぽさと、田舎臭さのせいだろうか。


「しかし実際怪奇現象に遭ってみると、なんちゅうか、怖いっちゅーより困るな」

「ほんとにね。全くよ」


 石畳の廊下に座り込み、げんなりとした様子で相槌を打ったのは、魔術士らしく、白地の軽やかなローブを纏い、明るく波打つ碧色へきしょくの髪を結い上げた女冒険者。紫がかった海色の瞳の上では、長い睫毛が憂いに伏せられている。

 先日の初顔合わせの場で、彼女はシェーナ・キッシンジャーと名乗った。癒やしの魔術を使いこなす、治癒術士だ。


「六人パーティーで当たって、今無事でいるのが二人だなんて。ここまで危険な仕事だとは、冒険者ギルドも想定してなかったはずよ。ごく普通の調査任務だった」


 シェーナの言葉に、エイダンは首肯する他なかった。



   ◇



 「なるべく初心者向けの仕事を。荷運び係でも炊事係でもええです」


 ――三日前、アンバーセットの街の『冒険者ギルド』を訪ねたエイダンは、そう頼み込んでこの仕事にありついたのだ。

 何しろ彼は、初心者も初心者。『冒険者』として仕事に臨むのは、これが初めてとなる。


 いい仕事が貰えて、幸運だった。そう思ったものだ。

 不気味な怪談こそ広まっているものの、レイディロウ城はアンバーセットからも近く、見た目ほど危険な場所ではない。見習い兵士や悪童達が、肝試しに使ったりするくらいだ。たまにゴーストなどの、低級アンデッド型魔物モンスターが出現するが、大きな騒ぎは起こさない。


 しかしここ数ヶ月は、奇妙な事件が相次いでいた。

 肝試しのために侵入した若者が、凶暴なアンデッドに襲われて怪我をしたり、近くを通った旅人が、城に引きずり込まれそうになったりしている。

 それで、『よろず厄介事を請け負う自由な旅人と、探究者のための組合』――冒険者ギルドに、城内の調査依頼が舞い込んだという訳だ。


 五人ばかりの冒険者が即席でパーティーを組み、出立の直前、荷運び兼炊事係として、エイダンが末席に加えられた。


「ギルドの登録上は」


 パーティーのリーダー、剣士のマックスは、普段着に毛が生えた程度のエイダンの出で立ちを、上から下まで眺めて訊ねた。


「治癒術士、という事になっているが。どの程度の魔術が使える? 経験や資格は?」

「ええと、未経験です。これが初仕事だけんして」


 エイダンは素直に回答する。


「資格は……サングスター魔術学校に入学したんじゃけど、この前退学になりました」

「退学!?」

「才能がないらしゅうて。だけん、普通の治癒術はまだほとんど使えません」


 頭を掻くエイダンに、マックスは深々と溜息を吐いた。


 溜息と嘆息ならば、退学になった直後のエイダンも散々吐き出した。しかし、嘆いてばかりもいられない。学生寮も追い出され、ろくに宿代の持ち合わせもないときている。何でも良いから仕事を始めて、当面の生活費を捻出する必要があった。


「ひっどい西部訛りね。どこの田舎から来たの?」


 マックスの横合いから鼻を鳴らしたのは、呪術士のイライザである。


「生まれは、イニシュカ村です――え、そんな訛っとり……訛ってますか」


 エイダンは慌てて口調を正した。

 西の果ての離島、イニシュカ唯一の村。それがエイダンの生まれ育った土地だった。遠く離れたこの地方でも浮かないよう、標準語の練習はしてきたつもりだったが。


「ハッ、田舎者丸出し。やだやだ、干物の臭いとかうつっちゃいそう」

「よしなさいよ」


 黙って遣り取りを聞いていた治癒術士が、ぴしゃりとイライザを諌めた。


「即席とはいえパーティー組むんだから、仕事仲間でしょ。……あたしは、シェーナ・キッシンジャー。エイダンね、よろしく」

「治癒術は、シェーナに任せるとしよう。彼女はベテラン冒険者だからな。それに、『水属性』の使い手だ」


 マックスがその場をまとめる。


 世界には様々な系統の魔術が存在するが、冒険者ギルドの登録上は、『治癒術士(ヒーラー)』と『呪術士(ソーサラー)』に大別される。それぞれ、回復魔術と攻撃魔術の使い手という訳だ。


 更に、魔術の才能を持つ全ての者は、自然界を司る精霊たちから、ある種の加護を受けている。

 精霊の属性には、地・水・火・風・光・闇の六種があると言われているが、このうち光と闇の精霊の加護を得られる者はごく僅かで、ほとんどの魔術士が、地・水・火・風の四種のうち、いずれかの属性に偏った魔術を行使する。


 治癒術士向きの属性を順に並べるなら、

 水 > 地 > 風 > 火

 といった所だろう。

 水の属性は、最も治癒術との相性が良く、優秀な術士が多いとされ、冒険者界隈でもひっぱりだこだ。


 そういう事ならば、自分は荷運びに徹しよう、とエイダンは納得した。

 第一、今回の仕事はあくまで調査である。負傷者が出る程の戦闘が起きる可能性は、そう高くない。

 出立前、恐らくはパーティーの全員が、そんな風に考えていた。

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