第44話 ベアキラーの帰還 ①

 聖暦一〇二三年、臙脂えんじの月。一年で四番目の月である。


「イニシュカ村に来て四ヶ月か。早いもんだわ」


 シェーナ・キッシンジャーは、抜き終えた雑草を一束、に放り込むと、額に浮いた汗を軽く拭って息を吐く。


「雑草の伸びる季節にもなるわよね、そりゃ」


 彼女の目の前には、小さいながらも見事な庭園が広がっていて、様々な花や野菜、薬草が植えられていた。

 春になってこの庭では、いくつかの花が美しく花弁を開かせたが、暖かくなれば、雑草も生える。素晴らしい庭園の維持には、細やかな手入れが必要という訳だ。


「キッシンジャーさん……苦労をかけた」


 ぼそりと落とされた声に、シェーナは振り向く。

 そこに、男が一人立っていた。シェーナと同じく、庭仕事用の帽子を被り、雑草を集めた箕を抱えている。

 歳の頃は、もう四十も後半と思われるが、ぴんと伸びた背筋と、鍛え抜かれた身体つきは、衰えを感じさせない。顔に刻まれた厳格そうな皺だけが、彼の重ねてきた年月を物語っている。


「やだな、ディランさん。いいんですよ。部屋貸して貰ってるんだからこれくらい」


 シェーナがひらひらと、土で汚れた手を振ってみせると、男は表情を変えずに、一つ頷いた。


「うん、そうか」


 それから彼は、草むしりの終わった庭を少し眺め、またぽつりと言葉を落とす。


「妻は……この庭が好きでな」

「奥さんが」


 シェーナも、つられて庭を見渡した。


 彼――ディラン・マクギネスの妻、ソフィア・マクギネスは、六年前に他界している。

 彼女は、イニシュカ島唯一の小学校の、校長を務めていた。シェーナの友人エイダンの恩師にあたる。

 ディランの方はというと、エイダンの棒術の師匠である。


 ディランは、かつて冒険者だった。ギルド登録上の職は格闘家ウォリアーだったのだろう。ソフィアと結ばれてこの島に落ち着き、棒術の道場を開いたと聞く。

 妻の死後は道場を閉め、小学校で子供達の運動を監督している。

 マクギネス家の離れにあった道場は空き家となったが、放置しても傷むだけだからと、住居に改装して、旅人などに貸すようになった。そこに現在、シェーナが収まっているという訳だ。


 この寡黙な人物が、小学校で子供の相手など出来るのだろうか、とシェーナは当初、他人事ながら心配になったが、ディランは口下手ではあるものの、人嫌いという訳ではなく、特に子供は好きらしい。

 エイダンも彼を慕っていて、今でもよく、棒術の稽古けいこを兼ねて、顔を見せに来る。


「ソフィアさんの、お気に入りの庭か。じゃあ、なるべく丁寧に手入れしときたいですね」


 シェーナがそう声をかけると、ディランは、嬉しそうとも寂しそうとも見える口角の上げ方をして、「ありがとう」と短く答える。


「では、私は、学校に行く」

「いってらっしゃい」


 雑草を片づけ、裏の井戸で手と顔を洗うと、ディランは立ち去りかけて、シェーナの方を振り向いた。


「ああ……今日、娘が帰ってくるんだ」

「娘さん?」

「後で、挨拶をさせる。キッシンジャーさんも仕事だろうが、夜には家に戻るかね?」

「ええ、その予定」


 ディランは軽く頷いて、再びきびすを返し、仕事の支度に去って行った。


「ディランさんの娘さん……」


 一人残されたシェーナは、井戸端で呟く。

 そういえば、ちらりと聞いた事があった。マクギネス家には一人娘がいて、現在は島外に働きに出ていると。話していたのはエイダンだろうか?

 そう、確かエイダンの一つ歳下で、小学校時代の級友だったはずだ。


「おっと、あたしも準備しなきゃ」


 シェーナは、現在も冒険者ギルドに加入している。

 この辺りは泥棒も出ないような平和な土地柄で、ギルドの詰所つめしょも、島を渡った先の隣町、トーラレイにしかない。

 今日の仕事も、トーラレイのギルドで請け負ったものだが、仕事場はイニシュカ島内だという。依頼人とは、島の港で落ち合う予定となっていた。


 部屋に戻ったシェーナは、庭仕事用の作業着を脱ぎ、白地のローブを羽織る。根っからの冒険者であるシェーナは、やはりこれを着ると、身の引き締まるような気分になるのだ。



   ◇



 イニシュカ島の南東部、ラグ川の河口近くに、その港はあった。

 主に、地元民のための漁港として機能している小さな港だが、波止場の周辺には、一応宿もあるし、喫茶店と酒場を兼ねた店もある。


 『オハラの店』という、飾りっ気のない看板を提げた店の扉を潜ったシェーナは、紅茶と軽食を注文して、カウンターに落ち着く。

 店内では、船を待っているらしい船乗りや作業員達が数人、新聞を読んだり、雑談を交わしたりしていた。


「おお、シェーナ・キッシンジャーさんじゃ」

「朝からシェーナさんに会えるちゃあ、幸先ええ事じゃ。こら今日は調子出るわ」


 常連客の船乗りが二、三人、シェーナに気づき、嬉々として声をかける。

 イニシュカの人々からすると、外部から来た冒険者のシェーナは、ちょっと目を惹く存在らしい。この店には仕事の前後によく寄るのだが、他の常連客から、あっという間に顔と名前を覚えられてしまった。


「はーいおはよう、幸運の精霊の使いが来たわよ」


 シェーナも既に慣れたもので、笑って軽口を返してから、目玉焼きを乗せたトーストに齧りつく。

 イニシュカの食べ物は、豪勢ではないが、どれも新鮮で、なかなかに上質だ。特に、魚介類は絶品と言える。

 島に着いて間もなくの頃、エイダンに港を案内されて、彼が露店でタコの脚を串焼きにした物を買ってきた時にはぎょっとしたが、そういった、シェーナの育った地域では珍しい食材も見慣れてきた。


「幸運ちゅうたら、今日あたり、ベアキラーが帰ってくるそうなよ」


 カウンターで新聞を読んでいた客の一人が、ふと思い出した様子で呟いた。


「ほおー、あのベアキラーが……そら、マクギネスの旦那さんが喜ぶじゃろ」

休暇やぶいりかいね? この前の正月は、忙しゅうて帰れんかったと聞くが」

「仕事いうても、薬草師っちゅうのは、最初の丸一年は修行の身らしいけん。しわいこっちゃのー」

「家でゆっくりしんさるんがええわ」


 他の客達も、笑顔で頷き合う。どうやらめでたい話らしいが、しかし、熊殺しベアキラーとは穏やかでない呼称だ。


「あのー……ベアキラーってのは?マクギネスの旦那って、ディラン・マクギネスさん?」


 つい、シェーナは話に首を突っ込んだ。


「そうそう、小学校で運動を教えとんさる、あの人の娘さん。つまり、前の校長のソフィア先生ん所の子じゃね」

「お母さんに似て、よう出来た子でな。薬草師になる言うて、島の外に出とるのよ」

「勉強では、フォーリー家のエイダン坊の次くらいの成績じゃなかったかねえ」


 常連客は代わる代わる、丁寧な説明をしてくれるのだが、シェーナはますます混乱した。


 今日帰ってくる予定の、マクギネス家の一人娘。ディランもその話はしていた。

 しかし彼女は、エイダンの一つ歳下だったと言う。とすると、まだ十六、七だ。

 十代の少女の呼び名が『熊殺しベアキラー』とは、一体どういった由来なのか? まさか、本名とも思えないが。


「おや、船が着いたのう」


 新聞を畳んだ客が、そう言って席を立った。

 窓から外を見ると、波止場に定期船が近づいている。小さく、乗客達の姿も見えた。仕事の依頼人は、あれに乗っているはずだ。


「おお、仕事じゃ仕事じゃ」

「ほんじゃあなシェーナさん」


 どやどやと作業員達が店を出て行き、シェーナも急いで紅茶を飲み干す。依頼人には、待ち合わせ場所はこの店の前と伝えてあるが、ギルドを仲介しての依頼だったから、互いに顔を知らないのだ。行き違わないようにしなければ。


 船から降りてきた乗客が、何人か店の前を通り過ぎ、やがて一人の少女が、看板を見て立ち止まった。

 手元のメモと店名を見比べ、辺りを見回す。店内のシェーナと視線がかち合い、彼女は軽く会釈した。


 桜色に近いストロベリーブロンドの、ふわりと広がったボブヘア。穏やかな雰囲気を湛えた、大きな蓬色よもぎいろの瞳。若草色のローブに包まれた、しなやかな身体つき。同性でも、思わず目を瞠るような美少女である。


 ――まさか、彼女が依頼人?


 シェーナはあたふたと店の外に出て、「あの」と、少女に声をかけた。


「トーラレイの冒険者ギルドで、護衛任務を依頼したのは……貴方?」


 少女は大きな目を更に丸くして、シェーナを見つめ返す。


「は、はいっ。そうです。わたし、依頼人の……ロイシン・マクギネスです」

「マクギネス――?」


 シェーナはその名を、おうむ返しに唱えた。

 確かに見たところ、年齢は十六、七歳程だ。ポケットとホルダーの多いローブと、大きな鞄は、薬草師がよく身に着けている装備でもある。


 では、彼女がディラン・マクギネスの娘であり、『ベアキラー』だというのか。


(なるほど、ベアキラーってそういう意味ね)


 と、シェーナはすぐさま、一人合点した。

 美女を形容する際に、たまに使われる例え話だ。『その美しさでドラゴンでも落とせる伝説の女』だとか。つまり、可愛さで熊も倒せそう、といったジョークが由来のニックネームなのだろう。


「あの、何か……?」


 少女は、鞄の肩紐を握って、不思議そうにシェーナを見上げる。やや緊張しているらしい。


「おっと、ごめんなさい。あたしは、シェーナ・キッシンジャー。今回の護衛依頼を請け負った冒険者よ。護衛って言っても、治癒術士が一人だけど、良かったのかしら」

「はい、大丈夫です。実は、あそこに見える山の上まで、花を採集しに登りたいんですけど……」


 と、少女は港を背に、島の奥を指差した。

 その先には、イニシュカ島の中央にそびえる、アンテラ山がある。そう標高の高い山ではなく、登って降りるだけなら、日暮れまでには十分可能だ。


「村の掟で、一人で山に入るのは禁じられてるんです。山には稀に魔物モンスターが出るし、遭難する事も、あり得なくはないので。普段なら村の人に同行を頼むんだけど、今回は……ちょっとの間、秘密にしたくて」


 そこで彼女は、僅かに頬を赤らめて目を逸らした。

 おや、とシェーナは気づいたが、いちいち依頼人の事情を、根掘り葉掘り探りはしない。冒険者としてのたしなみである。


「オーケイ、そういう事ね。それじゃ今日一日よろしく、マクギネスさん」

「よろしくお願いします。……良かったら、ロイシンって呼んで下さい」


 少女は、はにかむような笑顔を見せる。


(あらあら、可愛らしい)


 我知らず、シェーナまでも口元を緩めた。


 村の人々に秘密で山に登り、花を採集。奇妙な目的だが、もしかするとその花は、村の誰かへの、贈り物にでもしたいのかもしれない。

 何しろイニシュカは小さな村だから、噂の広まるのが早い。サプライズでプレゼントを贈りたいなら、村全体に内緒にしておくのが得策と言える。


 更に、ロイシンの表情から察するに――贈り物をする相手に、彼女は特別な想いを抱いているのではないだろうか?

 だとすれば、村民に自身の恋心を知られるのを、気恥ずかしく感じるのも分かる。こんな美少女から想いを寄せられて、その相手は、随分な幸運の持ち主だ。


「分かった。早速出発する?ロイシン」

「はい!」


 ロイシンは元気良く頷いて、背中に括っていた杖を手にした。

 登山用の杖だろうか。シンプルで、かなりの長さがある。エイダンが愛用している、ハンノキ製の長杖によく似ていた。

 級友だったというから、案外、同時期に作ったのかもしれない。


 小規模な任務ではあるが、これはこれで良いものだ。いや、可憐な少女の護衛には間違いないのだから、立派に、幼い頃憧れた叙事詩の英雄めいているとも言える。

 シェーナは上機嫌で、自分も錫杖を手にした。

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