第45話 ベアキラーの帰還 ②

 ラグ川のほとりに沿って、細い農道を北上して行くと、やがて登山道に至る。

 山の頂上には灯台もあるし、ここでしか採れない材木や山菜、薬草も多い。頼りない山道とはいえ、それなりに頻繁に踏みしめられている様子だった。


「そういえば――」


 道にり出した木の枝を避けて、シェーナは後ろを歩くロイシンに声をかける。


「採りたい花って、どんなの? あたしが見つけても分かるものかしら」

「ハルキハッカっていう花です」


 ロイシンは淀みなく答えた。山歩きには慣れているのか、足取りもしっかりしているし、息も乱れていない。


「茎が縦に細長く伸びてて、小さな黄金色の花が、鈴なりに咲く感じ。葉はギザギザしてます。清流の近くの、湿った土でよく育ちます。丁度今が開花時期だから、蕾か、満開の状態のはず」


 ううん、とシェーナは感心して唸る。


「流石、薬草師ね……分かりやすい説明」

「ええっ、そんな」


 照れた様子で、顔の前で手を振りかけたロイシンは、はたと何かに気づき、不思議そうに瞬きをした。


「わたし、薬草師やってるってお話しましたっけ……あ、この装備を見て?」

「ああ――それもあるけど」


 シェーナは曖昧に苦笑を浮かべ、頬を掻いた。ここに来るまで、ついシェーナの身の上のあれこれについて、語りそびれてしまったのだ。


「ごめん。実は、貴方の話あちこちで聞いててね。港の人とか……ディランさんからも」

「お父さんから?」


 いよいよ驚くロイシンに、シェーナは、現在自分がイニシュカ村に滞在し、更にマクギネス家の離れを借りている事を明かした。


「ひゃあ! これだから、イニシュカって狭い……!」

「びっくりさせるつもりはなかったんだけど。ただ冒険者稼業って、依頼人のプライベートに立ち入らない、自分の話もあまりしないってのが基本でさ。この島じゃそんなに意味ないわね、この原則」

「元道場の離れに、旅人を泊めてるって話は、父との手紙のやり取りで知ってましたけど……それがシェーナさんだなんて。お父さんも、詳しく書いておいてくれれば良いのに! 手紙でまで口下手なんだから」


 軽く頬を膨らませて溜息をついたロイシンが、シェーナに気遣わしげな目を向ける。


「離れの部屋、不便じゃないですか? 今は父が一人だから、なかなか行き届かないんじゃないかと」

「居心地が良過ぎて、ついつい長居しちゃってるくらいよ。ディランさんも村の人も親切だし」


 世辞でも何でもなく、これはシェーナの本心だった。


 彼女はイニシュカ村を気に入っている。アンバーセットに比べれば、確かに辺鄙へんぴで不便な部分もあるが、人も環境も穏やかな、良い村だ。

 エイダンは勿論、彼の祖母や友人、ディランをはじめとした近所の人々も、良くしてくれている。

 多少、噂が広まりやすく、フェリックスとの仲を興味津々で注目されているらしいのが、困り所と言えるだろうか。


「良かった。でも、イニシュカ村に魔術士の冒険者さんが住んでるなんて、すっごい! 好きなだけ滞在してて下さいね?」


 冒険者に対して、ロイシンは少なからず憧れを抱いているようだ。

 二人はそれからしばらく、お互いの仕事について、雑談を弾ませた。


 現在『薬草師』という職は、都市部においてはもっぱら、医薬品調合と売買のみを行うイメージが定着している。しかしロイシンの勤め先である、ホルダー州グレンミル村では、昔ながらの薬草師のあり方が受け継がれているという。


 昔ながらの薬草師とは、自ら野山に分け入って、あらゆる自然の産物を検分し、活用する者達を指す。

 フィールドワークこそが、その本分。かつては、冒険者として活躍し、魔境の森や未知の霊峰を踏破した、英雄的な薬草師も存在したそうだ。


 近年、治癒術の急速な発展を受け、魔術を使わない薬草師達は、治癒術士の補佐役と見做されがちである。

 しかし、富裕層や上流階級出身者に偏りがちな魔術士界隈と違い、薬草師の門戸は庶民にも開かれている。

 富裕層の少ない辺境において、薬草師は現在も、治療士ヒーラーとして貴重な職業と言えた。


「……つまり、経験がものを言う仕事だから、修行を始めて二年目のわたしは、まだまだ見習いなんです。このお休みが終わったら、また頑張らなくちゃ」

「なるほど、薬草師ってのも大変ね。山道に慣れてるのは、修行の成果なんだ」

「ちょっとだけ、父に訓練もされました」


 言われてみれば、ロイシンの父であるディランは、元冒険者として棒術を教えていたのだった。ロイシンがある程度鍛えられていても、おかしくはない。


「ところで、シェーナさん……ほんと、今更なんですけど」


 大分打ち解けた表情になって、ロイシンが再び口を開く。


「なに?」

「男の人への誕生日プレゼントに、お花って……喜ばれるんでしょうか」


 シェーナは、ぽかんと口を開けた。


「そりゃ、本当に今更だわ!」

「ご、ごめんなさい! 今回のお休みが、たまたま大事な友達の誕生日と重なったもんだから、わたし、すっかり浮かれちゃって……これだと思った花を、ここまで採りに来たはいいけど。その友達、男の人なんですよね」


 ロイシンはつい先日まで、グレンミル村の薬草園で、薬草師に囲まれて働いていた。そのため、『野草こそ至高の贈り物、薬効があるならばなお良し』という価値観に染まり切っていたのだ。

 しかし久しぶりに村の外に出て、シェーナと会話をしているうちに、ふと我に返り、疑問に思った。それは、薬草師独特の感覚ではないか――と。


「うん。割と、独特の感性だと思う」


 至極正直に、シェーナは答えた。


「やっぱり……?」

「でも、花を贈る相手は、貴方にとっての大事な人なんでしょ。向こうもそう思ってるなら、ロイシンが誕生日を祝ってくれたって事を、まず嬉しいと思うんじゃない?」


 それに、とシェーナは笑顔で人差し指を振る。


「至高かどうかはともかく、花が好きな人は多いって。老若男女問わずって奴よ」


 例えば今朝、シェーナはディランと共に、マクギネス家の庭に咲き乱れる、花々の世話をしたばかりだ。ディランの場合は、妻との思い出があるからこそ、庭の花を愛でているのだろうが。


「勿論、その人の好みにもよるだろうけど……どんな友達なの?」


 依頼人のプライベートには、過度に立ち入らないのが冒険者のたしなみ。

 とはいえ、これは依頼人の満足度向上のためのコミュニケーションである。……当然、シェーナの個人的好奇心からの質問でもある。


「彼は、えっと……お茶を淹れるのが得意なんです。ハルキハッカって、花も素敵だけど、薬茶にもなるんですよ。疲れが取れて、よく眠れるようになります」

「へぇ! じゃあ、丁度良いセレクトじゃないの」

「そ、そう思ってくれます? ……その人ね、昔から物事に熱中し過ぎると、こう、まっしぐらになっちゃう癖があって。勉強でも何でも。お茶休憩くらいは、きちんと取って欲しいんです。頑張り屋なのは分かるけど……」

「いるねぇ、そういうタイプ。あたしの知り合いにも」

「ただ、本当に……頑張ってたのはずっと見てきたし、そこに憧れて、尊敬もしてるんです。子供の頃から治癒術士になるって言ってて、その夢を叶えてるんだから、凄いと思うの」

「……。うん?」


 イニシュカ村の治癒術士。ロイシンが、子供の頃からずっと見てきた相手。

 今の発言によって、かなり人物像が絞られてしまうのではないだろうか。しかも、シェーナには一人、心当たりがある。


「シェーナさん、どうかしました?」


 急に真顔になり、歩みを緩めてしまったシェーナを、ロイシンが振り返った、その時だった。


 アンテラ山の木々を揺るがして、獰猛な獣の咆哮が響き渡ったのは。

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