第34話 ふろふき男爵の冒険 ③
「……何だか、芋みたいな見た目になったな?」
動かなくなったバロメッツにそっと近づいて、その様子を観察し、ヒューは感想を漏らす。
「そちらが、本来の姿です。バロメッツが凶暴化し、捕食行動に出るのは、地下茎として成長を終え、地上に這い出してから、最長でも数日間のみ。その後はこのように、普通の芋類と変わらない状態になるのです。東の大陸では、表皮を織物の原料とする他、食用にも重宝します」
「え、食うのかこれ……」
「美味でございます」
「食った事あるのか……」
ヒューはつい顔をしかめたが、そこではたと、やるべき事を思い出して背筋を伸ばし、ハオマに向き合った。
「それよりも……すまない! お前が先程弾いていた、あの曲……あれは、バロメッツが暴れるのを防ぐための曲だったんだな?」
「ああ、お気づきでしたか」
特に機嫌を損ねた風でもなく、ハオマは淡々と肯定する。
「『
解説を述べつつ彼は、鎮まったバロメッツの間を縫って歩き、地面から生えている、
丈夫そうな茎に、丸みを帯びた大きな葉。バロメッツの角に繋がっていたものとそっくりだが、こちらは、ハオマの身長の二倍近い高さがある。
「浄めのため、この森を検分していたところ、地中から異音がしたのです。もしやと思い、音の周辺を探ってみると、このように大きく成長した、バロメッツの葉が。これを放置すれば、今にも地下茎が暴走を始めると思い、凶暴化を防ぐべく、演奏をしておりました」
「それを……大事な演奏だったのに……俺が声などかけて、失敗させてしまった訳か。しかも、知らずにとはいえ、失礼な物言いを!」
ヒューは後悔に俯き、口を引き結ぶ。
「貴方が気にする必要はございません。拙僧の腕が、未熟であったまでの事です。――目の前で人がドラゴンに食われようと、村が消し飛ぼうと、演奏を始めたならやり遂げる。それが、精霊王サヌに祈りを捧げる治癒楽士の、あるべき姿ですから」
「それはどないやねん」
後方から、苦笑と共に声が飛んできた。
見ればそこに、デイジーが立っている。顔も手足も土で汚れ、バンダナを失った髪は乱れきり、スカートの裾は
「エディソン嬢、君にも……すまなかった。俺のせいで酷い目に……」
「なんで? うちこそ、お坊さんには悪い事したわ。曲の最中に、よう分からんまま話しかけてしもうて」
髪を軽く撫でつけて、デイジーはハオマに謝罪した。
「でもヒュー坊、なんや、めっちゃ強いやん。それに、あんたがええタイミングで、あの煙みたいなん噴いてくれたお陰で、ギリギリ馬車の中の商品は無事だったんやで。幌には大穴が空いてしもうたけどな」
からからと、デイジーは笑い飛ばす。
「商売なんやから、この程度のトラブルはつきものやって。気にせんでぇや」
「そ、そうか……」
彼女の笑顔に、落ち込み切った気分を少しばかり掬い上げられて、ヒューは頷いた。
「この呪われた身を、そんな風に言ってくれる人がいるとは」
「呪い――ですか」
ハオマが目を閉ざしたまま、ひょいと片眉だけを持ち上げる。
「確かに先刻、そう仰ってはいましたが」
ああ、と相槌を打ってから、ヒューは一人考え込んだ。
ハオマは、治癒楽士としてかなりの腕前であるように思える。知識も豊富だ。彼に全てを打ち明けて、一族の呪いを解くための、相談に乗って貰うというのはどうだろう。
問題は、ヒューが一文無しの身であるという点だが……報酬は後払いにして貰って、全力で稼ぐしかない。
彼の一族が、本当に呪いから解放されたなら、リード家から十分な礼金が支払われるとは思うが。それはそれとしてだ。
「ハオマ、という名だったか……サヌ教の治癒楽士殿。少し、話を聞いてはくれないか?」
ヒューはそう切り出し、幸いハオマも、今度は「他を当たれ」とは答えなかった。
◇
馬車の幌には、デイジーの言ったとおり、大穴が空いていた。
穴に余り物の布をあてがい、大きめのピンで止めて、とりあえず応急処置を施す。見た目は悪いし、大雨でも降れば雨漏りは必至だが、とにかく次の街までは、これでもたせる他ない。
陽の沈む前に街へ到着しようと、アーロンは早々に馬車を出発させた。ヒューの打ち明け話は道すがらにする事となり、馬車はエディソン親子とヒュー、それにハオマも乗せて、ごとごとと街道を行く。
「この呪いが最初に発現したのは、俺の高祖父。四代前、リード家として最初に男爵の地位を得た人物だ」
と、ヒューは語り始めた。
それまで、裕福な商家ではあったものの、一介の平民に過ぎなかったリード家が、叙勲を受け、伯爵家の領地の一端――トーラレイと、イニシュカ島の管理を任されたのは、百年余り昔の事だった。
当時のトーラレイは、
イフト川の河口付近、入江と海岸沿いに、田畑が少しばかり
が、初代リードの立身出世と前後して、開拓が進み、現在は一応、港町としての体裁が整っている。
そして、幸運としか思えない地位と財産を得ると同時に、リード家にはこの呪いが降りかかった。
ヒューの祖父の記録によれば、高祖父の子供のうち二人にも、『ふろふき』の呪いが現れている。祖父自身は呪われた身とならなかったが、彼の末の弟には発現してしまった。
この末の弟というのは、ヒューの大叔父に当たり、名をアルフォンスというのだが、実際対面した記憶はない。肖像画で顔を知るのみである。
アルフォンス・リードは生涯のほとんどを、イニシュカ島の別荘に引き篭もって過ごし、十数年前、孤独にひっそりと息を引き取ったそうだ。
「随分と強力な呪いのようですね」
話の途中で、ハオマが言葉を挟んだ。
「血族を丸ごと呪縛する魔術など、普通の人間には不可能な
「凄いな、その通りだ!」
「は?」
ヒューは目を瞠り、その反応に、ハオマが怪訝な表情を浮かべる。
「水の妖精、ウンディーネ! 祖父が突き止めた、一族の呪いの
複数の治癒術士による診断から、祖父はそう結論づけている。
分析の結果、『ふろふき』の呪いは、水属性の魔力によるものと分かった。しかも、人類が行使する力とは、別系統の進化を遂げた魔力だ。
魔物の中にも、魔術を使う種がいるにはいるが、遭遇する確率は稀である。
これほどに高度な術の使い手で、しかも、一般市民が出遭う事もあり得る、この国の人間にとっての『隣人たち』と言えば――妖精をおいて他にない。
「では……貴方の四代前の先祖は、妖精と何らかの揉め事を起こし、結果、一族に呪いをかけられたと?」
「祖父は、そのような推論を記していた。妖精の領域に、不用意に立ち入ってしまったのか、それとも、ウンディーネの方が無体を働き、やむを得ず敵対したのか。そこは定かでないが」
ウンディーネ。
川、沼、湖など淡水の湧く地を好み、
地属性の妖精ノームと比べると、彼らは総じて気難しい。洗濯や川遊びをしていた人間が、うっかり彼らの棲み処に近づいて、怒りを買い、追われたり溺れさせられたり、といった事件も起きている。
ただし逆に、ウンディーネが人の集落まで気軽に入ってきたり、気ままに
ノームと同じく、ウンディーネもまた、棲み処とする水場から離れると、渇き飢え、弱っていくのだ。
今から一五〇年ほど昔、風と火の妖精が一斉に蜂起し、シルヴァミストの首都に攻め込むという事件が起きた。世に言う『妖精大乱』である。
この乱ののち、敗れた風と火の妖精達は、多くが新大陸ヴェネレと呼ばれる西の地に去って行った。
地と水の妖精達は、この『妖精大乱』の中、一貫して、静観の立場を維持した。
地の妖精ノームは、人間と比較的友好な関係にあるので、あえて対立を深めたくないという事情もあっただろう。
ただ、地と水の妖精達は、戦うのも逃亡するのも難しい、もっとごく単純な事情を抱えてもいた。
即ち、生まれた土地を離れられない、という特殊な体質である。
「なあ、ヒュー坊!」
デイジーがいつもの調子で呼びかけようとして、すぐ何かに気づいたように、あたふたと居住まいを正した。
「……じゃなくて、と、トーラレイ卿? リード様? ……って呼んだ方がええよな?」
『坊ちゃん育ち』である事は見抜かれていたはずだが、ヒューの実際の身分は、デイジーが予想していたよりもう少し、上等だったようだ。何しろ、一応は貴族である。
「エディソン嬢、
言ってから、考えてみると、ほんの数時間前、貴族なのに皿洗いなどさせられた、と不貞腐れていたのは自分の方だったな、と思い出す。
冒険者たるもの――『荒野の男』たるものは、身分出自に拘ってなどいられないという事が、今となってはよく分かった。彼女らは、共に難局を乗りきった仲間だ。それだけで、敬意を払うには十分だ。
「わ、分かった」
軽く咳払いして落ち着くと、デイジーは急に、商人らしい顔でにんまりと笑ってみせた。
「ほんなら、うちの事もデイジーって呼んでな。対等に取引や」
「う、それは、個人的なポリシーで……ああいや、分かった。約束しよう」
「よぉし。ヒュー、そんで不思議なんは」
さらりと、デイジーは表情を真剣なものに切り替える。
「お祖父さんが、日記に色々遺してくれたんは、ラッキーやんな。けど……最初に呪いを受けたご先祖さんは、『どこでどうやって呪われた』とか、何も子孫に伝えてへんかったん?」
「……どうやら、そうらしい」
ヒューも、その点は不可解だった。
高祖父は何故、自分の受けた呪いについて、何も語らず、遺さなかったのか。
突然の立身出世で、目の回るほど多忙になった事は想像出来る。それに、邸宅を引っ越したりもしているから、ゴタゴタの中で、日記や書きつけが散逸してしまった可能性もあった。何しろ、百年前の人物なのだ。
「一族に呪いをかけたのは、本当にウンディーネなのか……どんな呪いなのか、
「ええ、その通りで……」
膝に抱えた蛇頭琴に、指先を滑らしつつ、ハオマが浅い溜息を漏らす。
「実は先程から、呪いを解くための『糸口』を、蛇頭琴の弦で探っているのですが」
「え?そうだったのか?」
先程から、頻りに弦に触れているのは気づいていたが、あれは手遊びではなく、意図があっての事だったらしい。
しかしハオマはこの場でまだ、一音も奏でていない。
尚もしばらく、調律でもするように、無音で弦を撫でるだけの仕草を続けてから、ハオマは口を開いた。
「……確かに、何らかの魔術的な作用が、貴方の身には
そういうものか――いや、そうだろう、とヒューは頷いた。祖父の記録にも、似たような治癒術士の証言が記されていた。
「やはり、難しいのか……ハオマにも……」
項垂れるヒューの前で、デイジーは顎先に指を当てて考え込む。それから彼女は、唐突に顔を上げた。
「あのー。提案なんやけど、イニシュカ村のエイダンに
「イニシュカ村の?」
俯けていた首を、今度は捻る羽目になったヒューである。
イニシュカ村は、一応リード家の管理下にある土地だから、現地に行った事のないヒューも、どういう村かくらいは知っている。
ごく小さな村落だ。住民の多くは漁業に従事しており、あとは西部地方で良く育つ品種の、
有り体に言えば、『ど』のつく田舎の部類で、解呪に
ところが、ハオマまでもが、デイジーの提案にすぐさま同意した。
「拙僧も、それを考えておりました。エイダンの治癒術は、正体不明の傷や呪術にも有効です」
「ハオマも知っているのか。そんなにも名高い治癒術士が、あの村に?」
ヒューは思わず、身を乗り出す。
「いいえ、特に名高くはございませんよ。単に、彼女と共通の知人というだけで」
「あれ、そうなん? 腕利きの、凄い冒険者になって、都会でドッカンドッカン戦いよったとか聞いたんに」
どういう訳か、ハオマとデイジーの間でも、エイダンなる人物の情報は錯綜しているらしい。一体何者なのだろうか。
「ただ、彼を頼るとなると、軽微な問題が」
と、ハオマは閉ざした両瞼に、深刻そうな皺を寄せる。
「な、何だ?」
「なんや?」
「……他人を……契約したノームでもない人間の、赤の他人を、何度も訪ねるのは慣れておらず……苦手なのです。どんな顔をして会ったものか」
「…………」
「友達作り駄目な人か、あんたは」
デイジーが呆れ果てた様子で呟く。
事情はさっぱり分からないが、ともあれ、
「その――何だ、とにかく……イニシュカ村だな? 分かった。そこを目指してみよう!」
やや強引に、ヒューは場の空気を明るくしようと努める。
「ん? イニシュカ村?」
御者台で馬を急がせていたアーロンが、視線を半分ばかり、こちらに寄越した。
「そこやったら、いつもの目的地やがな。俺らは毎度、西部地方を街道沿いにぐるっと巡って、最後に西の端のイニシュカまで行ってから、Uターンして、フェザレインに戻るんよ」
フェザレインとは、シルヴァミスト西部地方の主要都市である。商人の街として知られている。どうやら、エディソン親子の出身地でもあるらしい。
「そうそう。せやから、この馬車に乗っとけば、何日か後にはイニシュカに着くっちゅうこと」
勢い良く首を縦に振って、デイジーが笑った。両手を擦り合わせ、やけにうきうきとしている。
「うちらとしては、数日でも男手は歓迎やで! 稼ぎ時到来やな!」
「……拙僧はまだ、何一つご相談に対して承諾しておりませんが?」
ぼそりとハオマが零した途端、ヒューは、大雨の路地裏に捨てられた犬のような表情を浮かべた。
「えっ――ハオマ、一緒に来てはくれないのか?」
「行かないとも申しておりません。どうして貴方はそう、情緒不安定なのですか」
物言いこそ冷たいが、現状、ヒューにとって頼れる治癒術士は、ハオマしかいないのだ。エイダンという治癒術士に紹介して貰うにあたっても、同じ治癒術士の知人がいた方が、心強い。
「た、頼む! もうしばらく、付き合ってくれ! すぐには無理でも、必ず礼はするから……!」
「サヌを奉じる者は、私腹を肥やす事を禁じられております。別段、礼金などは要求致しませんよ」
やれやれとばかりに首を振って、ハオマは応じた。
「ただ単に、人間の世話を焼くのが酷く苦手というだけでして」
「どんな僧侶やねん!」
再び、デイジーが呆れ声を張り上げる。
穴だらけの馬車は、一路、陽の沈みゆく方角へ、街道を進むのだった。
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