第33話 ふろふき男爵の冒険 ②

 見れば、向こうからデイジーが走ってくる。


「もう、言うとるそばから! この森は危ないんやって……ん、あれ?」


 ヒューの目の前まで駆け寄ってきたデイジーは、傍らの木陰で琴を弾き続ける僧侶に気づき、不思議そうな表情を浮かべた。


「お坊さん、前にどっかで……あ、思い出したっ! イニシュカ村の結婚式の日におった、エイダンのお友達やん!ハオマさん言うたよな!」


 急にすっきりした表情となり、ぱちりと指を鳴らして、デイジーは言う。


「うち、デイジー・エディソン。覚えとるかな?あん時正月明けやったから、もう二ヶ月は経つんかぁー」


 デイジーは人懐っこく話しかけるのだが、ハオマと呼ばれた僧侶はというと、いまだ演奏を止めず、デイジーの方に向けて、軽く会釈を返すのみである。


「ちょっと待て!」


 つい、ヒューは口を挟む。


「確かに俺の呼びかけは、不躾ぶしつけだった。不愉快と思うのも仕方ない。しかし、既知であるらしいエディソン嬢へのその態度は、失礼じゃないか?」

「ヒュー坊、やめぇって」


 デイジーがり成そうとしたが、ヒューの気は治まらない。

 彼女は何も、舞台でコンサート中の奏者に声をかけるような、非礼を働いた訳ではないのだ。たとえ鍛錬中の貴族の軍人であっても、話しかけられれば、一旦素振りを止めて武器を収める程度のわきまえは身につけている。


 ヒューが更に言い募ろうとした時、ハオマの奏でていた曲の、調和の取れたメロディラインが、僅かに乱れ、和音を濁らせた。


「――ああ」


 唸るような嘆息を、ハオマが漏らす。


「失敗です。この曲……『牧畜犬追複曲独奏ドッグスカノンソロ』は、ミスの許されないもの。……彼らが、現れてしまう」


「は? 現れる? 彼ら?」


 予期せぬ発言に、一旦口を噤んだヒューは、目を瞬かせ、ただ問い返した。


 その直後の事だ。

 草と枯葉にまみれた地面が、ぐらりと動いた。周囲の木々の枝に止まっていた小鳥が、一斉に飛び立つ。鳥達の警戒の声と枝葉の擦れる音で、静かな森は、にわかに騒々しくなった。


「何だ、地震?」


 ヒューは慌て、よろめきながらも、デイジーと目の不自由なハオマを庇おうと、二人の腕を取る。

 しかし、地震にしては様子がおかしい。


 前方の地面が、突如盛り上がる。地表のすぐ下で、巨大なモグラでも駆け回っているかのように、土の盛り上がりはこちらへと近づいてきた。

 それも、一箇所ではない。見渡せば、辺りそこらじゅうから、盛り土が迫ってくる。


「一体これは――」


 ヒューは身構え、腰の剣に手を添える。


 ぼこりと、土の中から何者かが現れた。ヒューの視界の端である。彼はすかさず、そちらへと爪先を向けた。


「メェエエエッ」


 現れたその獣は、耳に響く鳴き声を上げる。

 全体の形状は、羊に近い。しかし羊にしては大型で、体高がヒューの顎下くらいまであった。

 朽葉色の、毛皮とも腐葉土ともつかない塊で体表が覆われ、顔面は木の皮のようだ。目のあるべき場所には、ぽっかりと不気味なうろが開いている。異常に発達した二本の角からは、何本かのつると葉が生えていて、蔓の先はまだ地中に埋まっている。


「もっ、魔物モンスター……!」


 デイジーが引きつったような声を上げた。


「バロメッツです。『羊の成る草』の地下茎――」


 ハオマが冷静に説明する。


「お気をつけて。地中から這い出たばかりのバロメッツは、極めて凶暴です。目についた全てに齧りついてしまう」


「お気をつけてって言われても……わああッ!?」

「メエエエエエッ!」


 新たに、デイジーの足元から這い出たバロメッツが、脇目も振らず彼女に襲いかかった。

 膝下まである厚手の巻きスカートに食いつかれ、地面に引き倒されたデイジーは、咄嗟に頭に巻いていたバンダナを掴み、放り投げる。


「メェッ!」


 バンダナの方に気を取られたバロメッツが、今度はそちらへと齧りつき、瞬く間に引き裂いてしまう。デイジーは地面を転がるようにして逃げ、ヒューは彼女と入れ替わる形で、バロメッツの前に立ち塞がった。


「婦人の衣服に、何て真似をする! この変態羊!」

「単なる食欲から来る本能的行動ですが」

「わーってるよそんな事は! こういう啖呵たんかは勢いでいいだろ!」


 訂正を入れるハオマに言い返してから、ヒューは愛用の剣を抜き放った。

 柄の先に加護石を埋め込んだ長剣。刃自体にも、魔力の伝導を高めるよう、簡易な加工が施されている。

 正規軍に入隊する時、魔道具マジックアイテム専門の鍛冶師に鍛えて貰った、加護剣アミュレットソードの逸品だ。


 正規軍時代のヒューは、『魔道剣士ソーサリーファイター』の部隊に配属されていた。剣技の華々しさから、祭典のパレードの際には花形となる部隊である。尤も、結局は入隊から三ヶ月程で退役となってしまったので、パレードには参加した事もないが。


「メェェエエッ!」

「来いッ!」


 羽織っていたケープを、わざとひらつかせると、バロメッツが二頭ばかり、興奮した様子でヒューへと角を向ける。泡立ったよだれを吹き、木のとげに似た歯を剥き出す姿は、なかなかの迫力だが、怯んでいる場合ではない。


 突進してきた一頭の頭突きをかわしざま、ヒューはバロメッツの、角から生えた蔓を逆袈裟に斬り上げた。続けて、飛び掛かってきたもう一頭の、跳ね上がる前脚を掻い潜り、横腹に斬りつける。

 腹部を斬られた方はどさりとその場で倒れたが、蔓を切断された方は、方向感覚を失ったようにふらつきながらも、まだ土を蹴上げている。


「蔓が地面と繋がっているから、あそこが弱点かと思ったが……切断しても、ダメージにはならないのか?」


 剣の切っ先を、油断なくバロメッツに向けたまま、舌打ちをするヒューに対して、ハオマが首を振ってみせた。


「いえ、対処としては正しいです。彼らはあくまで地下茎で、動物ではございません。蔓から切り離されれば、一定時間後に大人しくなるでしょう」

「詳しいな。どのくらいで大人しくなる?」

「二、三時間も全力で暴れれば」

「それじゃ困る! ……あっ、逃げるぞ!」


 蔓を斬られた一頭が、何を思ったか、街道方面へと走り出した。それに釣られるように、地面から沸いて出た数頭のバロメッツが、次々と疾走を開始する。


「あっちには父さんが!」


 土と枯葉まみれになりながらも、身を起こしたデイジーが、悲痛な声を上げた。


「街道に出る! 止めなければ!」


 羊を追おうと駆け出したヒューは、しかし、直後にぴたりと足を止めた。

 動悸が高まっている。

 自分の呼吸音と鼓動に混じって、酷い耳鳴りがする。その分、周囲の音を上手く捉えられない。下腹に、絞られるような痛みが走る。

 。既に何度か経験してきた、これは――『呪い』が発現する前触れだ。


「ヒュー坊?」


 停止してしまったヒューを追い越してから、デイジーが振り向く。


「だ、大丈夫だ……しかしエディソン嬢! 君は離れていてくれ、危ない!」

「何言うて――」

「いいから!呪いに巻き込まれる!」


 重ねて何事か問おうとするデイジーを、振り切るようにして、ヒューは再び駆け出した。


 森を抜け、視界が開ける。

 先を疾駆するバロメッツの群れは、案の定、街道の脇に停めてあったエディソン親子の馬車を目にするなり、それに殺到した。


「うわっ! 何や何や!? 魔物モンスターか!」


 御者台で一服していたアーロンが、大慌てで地面に飛び降り、短剣を抜いたが、相手は五頭、六頭と増える。短剣一本でどうにか出来る事態ではない。


 馬車に取りついたバロメッツ達は、屋根を覆う幌を食い千切り、内部にまで侵入してきた。

 馬車内には、商売のための反物たんものや古着が仕舞われている。それらが根こそぎ食い荒らされては、エディソン親子まで行き倒れてしまう。

 

 焦燥から息の上がるのを感じつつも、ヒューは羊達の群れの中心へと斬り込んだ。


 ――そもそも自分が、こんな森の前で馬車を止めなければ。


 剣を振るいながら、頭の隅でヒューは悔やむ。

 

 ――全て自分のせいだ。いつもこの調子だ。何をやっても、全部台無しにしてしまうんだ。


 耳鳴りが酷くなってきた。目は開けているのに、周りで何が起きているのか、分からなくなる。そうだ、アーロンを助けなければ。馬車を守らなければ……


「ヒュー坊!? 危ない!」


 アーロンがこちらに気づいて叫ぶ。バロメッツの一頭が、ヒューのケープに齧りつこうと、飛び掛かってきた。

 ヒューは咄嗟に、加護剣アミュレットソードを高く構え――



 その切っ先から、突如として大量の煙が噴き出した。



 正確には、煙ではなく蒸気と呼ぶべきかもしれない。

 一瞬遅れて、手にした剣の刃からだけでなく、ヒューの服の袖口から、襟首から、更には頭の天辺てっぺんからも、次々と蒸気が上がった。ぶしゅー、などと気の抜ける音まで立てて。


「メエェッ!?」


 バロメッツが、驚きに浮き足立った。

 馬車に群がっていた数頭のバロメッツも、何事かと戸惑い、暴れ回るのをやめる。

 その間にも煙は沸き上がり続け、ものの数秒で、馬車の周辺、森の入り口から街道上に至るまで、もうもうとした蒸気に覆われてしまった。


「な、何なんこれっ!?」


 馬車の近くまで駆けつけたデイジーが、呆気に取られて足を止める。


「空気に異変が感じられます。何か異常な現象が?」


 デイジーに追いついたハオマが、耳を傾けて呟いた。


「え? あっそうか、お坊さん、見えとらんのやな。煙だか霧だか……とにかく、そこらじゅうが白いモヤモヤまみれで、うちも何も見えんようなってしもうた。今この距離で、あんたの目鼻も怪しいわ」


 手を伸ばせば触れる程の距離にいるデイジーに、そう説明され、ハオマは「なんと」と、平淡な口調で驚きを表明する。


「俺にかけられた、呪いが発現してしまったんだ!」


 すぐ近くにいるはずの全員に向けて、ヒューは呼びかけた。


「この蒸気、吸っても毒性はない……はずだ。だから慌てないでくれ。でも、武器を振り回すのも、急に動くのも危険だ!」


 やってしまった、と消沈しつつも、ヒューは続ける。


 ヒューと彼の一族にかけられた呪い。それがこれだ。家族一代につき一人以上は、『突然身体から煙が噴き出す』という特異な体質に生まれついてしまう。

 特に、極度の緊張状態に置かれたり、激しい運動をしている時に発現しがちという厄介な呪いで、つまりは、重要な事態の只中や戦いの真っ最中、ぶしゅーっと煙を噴いて、周辺一帯を視界不良にしがちなのである。

 しかも、呪いは発現したりしなかったりで、全くコントロールが利かない。


 本来、ヒューは火属性の魔道剣の使い手なのだが、正規軍時代、魔道剣士部隊の訓練中にも、大体三回に一回は演習場を煙まみれにした。

 これでは演習にならないと苦情が出たため、入隊早々、実家に送り返されてしまったのだ。


『ふろふき男爵』


 などという、不名誉な渾名あだなだけを携えて。


「しかし、どうやらバロメッツの動きも止まったようですね」


 ハオマが蛇頭琴を抱え、ゆるりとした歩調で馬車の方へと向かう。


「お坊さん! 動いて大丈夫なん?」

「拙僧にとっては、普段とそう変わりない状況です。空気が重く、微かな水の匂いを感じますが」


 そう答えると、ハオマは正確に、ヒューの真横、バロメッツの群れの前で止まった。困惑したバロメッツが、まだ口をもぐもぐさせながら、メエメエと鳴いている。


「今度こそは……」


 低いが、決意に満ちた声で一つ呟くなり、ハオマは蛇頭琴の弦を、義爪ピックはじいた。


 一定のリズムに基づく、穏やかな旋律が始まる。一節を終え、再び同じメロディが繰り返される。ただしそのメロディを追って、あたかも輪唱者が加わったかのように、同様の旋律が調和を保ったまま重なる。


 先程、ハオマが演奏していた曲だとヒューは気づいた。追複曲カノン独奏ソロ。音楽には詳しくないが、五つの弦を使ってこの楽曲を奏でるには、相当な技巧が必要である事は分かる。


 バロメッツの群れが、一斉に森の方角へと首をもたげた。ハオマの音楽に合わせるような規則的な動きで、群れは整列し、粛々と森に向かって歩き始める。視界は悪いが、バロメッツの足取りに迷いはない。

 森の中へと、バロメッツの群れの姿が消えていく。ハオマが音楽を止める事なく、その後ろについて行った。


 ヒューは自分の剣を見つめ、それから手首の袖口を観察する。もう呪いの発動は治まったようだ。周辺の煙も、徐々に薄れ始めた。

 場合によっては、小一時間噴き出し続ける事もあるのだが、今回は随分すんなりと治まったな、とヒューは、安堵すると共に首を傾げる。


 急いでハオマの後を追い、森の中を探すと、バロメッツが土の中から這い出てきた地点に彼はいた。

 バロメッツは、自分達が出てきた事で空いた地面の穴に、身体を潜り込ませているところだった。羊のような顔面は朽葉色の体毛の中に埋もれて消え、その毛皮も、獣ではなく、ある種の芋のような外見へと変容していく。


そして、群れはぴくりとも動かなくなった。

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