第31話 イニシュカ村の婚礼 ②

 年が明けて間もないその日、村を挙げて盛大に、一組の婚礼が執り行われた。

 キアランの姉、モーリーンの花嫁姿は、誰もが惚れ惚れする美しさで、花婿である大工の若者共々、皆に祝福されていた。


 村の伝統により、祝祭の儀式は、水の精霊王・慈涙じるいのカルをまつる礼拝堂で行われる。巨大な海亀とされる精霊王をかたどった彫像の前で、新郎新婦が誓いの言葉を交わし、全ての儀式の後は、広間で立食式の宴会が催された。


「エイダン、そこのプディングはもろうたかいね? 美味しいけぇ食べんさいね」

「そんなに食えんよ、ばーちゃん。久しぶりに礼服着たらきつうて」

「じゃけぇ、仕立て直したらどがぁか言うたいーね。一昨年おととし作った礼服じゃろうに。しわい一人暮らしで、痩せ細ったりせんかったのは良かったけども――」


 祖母のブリジットが、説教と同時に山盛りのお代わりを食べさせる態勢に入ったので、エイダンは急いでプディングを頬張り、「俺、挨拶行ってくるけん」と告げて、その場を退散した。


 祖母が元気で、エイダンの帰りを喜んでくれているのは、嬉しくもある。しかし、近所の人々の前で切々と世話を焼かれては堪らない。


「おっ。エイダンもね。似合ってるじゃない」


 広間の隅で、マディと話し込んでいたシェーナが、エイダンを見つけてからかう。

 そう言うシェーナは、山吹色の華やかなドレスの裾を翻し、マディはスミレ色の、大人びたロングドレスを身に纏っている。

 せっかくだからと、シェーナ達も式に誘われたのはいいが、彼女らは旅の手荷物に、正装など入れていなかった。そこで急遽、ブリジットの昔のドレスを簡単に直して着飾ったのだ。

 だから古風な型ではあるものの、冒険者としての装いばかり見ていた二人のドレス姿は、ちょっと目の覚めるような出で立ちである。


「二人とも、なんちゅうか……ええと……凄く……」


 こういう時の的確な語彙に乏しい自分を恨みながら、エイダンが言葉を探って視線を彷徨さまよわせていると、村娘達からあれこれ料理を貰っていたフェリックスが、こちらへやって来た。

 彼が礼服など着込むと、イニシュカ村ではまず目にする機会のない、貴公子然とした美丈夫が出来上がる。村の女性陣が色めき立つのも、当然だろう。


「ああシェーナ! たとえ百年前のドレスでも、君の美しさは常に新鮮に完璧だな!」

「……ブリジットさんをいくつだと思ってるの、あんた」


 フェリックスの誉め言葉に、シェーナは小鼻に皺を寄せて機嫌を損ねた。

 口を利くと残念な事態になる性分は、着飾ってもどうしようもない。


「エイダン――」


 名を呼ばれて振り向くと、礼拝堂の外にいたはずのハオマが立っていた。

 彼は地の精霊王を篤く信仰しているので、水の精霊王への祈りには参加出来ない。おまけに、人混みが嫌いときている。

 だから、式には参列しなかったのだが、一応祝祭の場にいるからと礼服だけ借りて、伸び放題の髪もいつもより整えていた。案外、似合っている。


「ハオマさん。何かあったんかい?」

「島の外から来たという行商の方が、貴方宛ての伝書蝶でんしょちょうを預かっていると」

「……伝書蝶? 俺に?」


 広間を出てみると、昔からよく島に来ていた行商の娘が、「あらぁ、エイダン!」と明るい声を上げた。


「デイジー、久しぶりじゃな!」

「ほんま、久しぶり! こっち帰って来とったんやなあ。そこの――向こう岸の、港町の役場で、あんた宛ての伝書蝶を預かってな。何かの間違いやろ、て思うたんやけど」


 同じ西部地域でも、遠方の商業都市出身であるため、行商・デイジーの訛りは、イニシュカのそれと大きく異なる。


 彼女は、イニシュカ島に渡る前に立ち寄った港町で、「イニシュカに行くならこれも頼む」と、エイダン宛ての伝書蝶を預かっていた。

 差出人は不明。伝書蝶を送るには、特定の伝書蝶花でんしょちょうかの蜜が必要だが、どこの誰が蜜を入手し、役場の伝書蝶花に手紙を送りつけてきたのかも分からない。

 正体不明の文書でありながら、その伝書蝶は見た事もないほど立派で美しく、基本、ごく短文しか送れない多くの蝶と違って、大判の手紙を折って出来たもののようだった。


「正直、薄気味悪い」


 と、デイジーに蝶を預けた役人は語ったそうだ。


「結婚式いうたら、遠方の知り合いがお祝いの伝書蝶飛ばしたりする事は、たまにあるんやけどねえ」

「でも、俺が結婚した訳じゃないけんな……」


 ある予感に駆られ、エイダンはシェーナ達を呼び寄せてから、伝書蝶を開封した。


『ヤホー、エイダンくん』


 と、その手紙の文は始まっていた。

 少しばかり不慣れな筆致の、シルヴァミスト語である。


『コチです。コヨイ、というのが本当の名前。嘘をついてしまってごめんなさい。でも、一緒にお仕事出来たのも、フェリックスとの旅も、楽しかったのは本当です。それで、お父様にお願いして、ちょっとしたお礼を用意しました。エイダンくんなら、あの温泉を上手く使ってくれると思います。ますますのご発展をお祈り申し上げます』


「ちょっとしたお礼……かなあ」


 シェーナが、礼拝堂の窓の外に、遠い眼を向ける。

 彼女の視線の先には、先日噴き出たばかりの温泉があった。


 温泉を発見した後、まずは任務という事で、マディが最寄りの正規軍駐屯地に連絡し、『ヴァンス・ダラからの謝礼らしき物が届いた』とホワイトリーに伝えた。

 すぐさま、ホワイトリーが調査部隊を連れてすっ飛んで来たが、調査の結果、何の変哲もない、泉質良好な温泉という事が判明しただけだった。


 ホワイトリーと調査隊は、先日ようやく帰還した。今頃は遅れてやってきた正月を、ちゃんと祝えているだろうか、とエイダンは、余計なお世話を承知で心配している。


 図らずも、正規軍の魔道専門調査隊によって、品質の保証されてしまった温泉は、湯治場として村で利用する事になった。

 管理人は、火の治癒術士、エイダン・フォーリーとして届け出ている。

 まだ余り物の建材で、泉の傍に掘っ立て小屋を建てただけだが、施設として整えていくのは、これからだ。


『追伸――』


 手紙の最後に、短く書き添えられている文章を読み上げる。


『フェリックスの、風の治癒術の修行は中断してしまいましたが、貴方は、ワタシより立派な治癒術士になれます。これからも修行を続けてくれれば、師匠として嬉しいです』


「せっ、先生……」


 感極まった表情で、フェリックスは手紙を見つめた。


「よく分かった……! 僕は、君の湯治場で修業し、先生を待つよ、エイダンくん!」

「ん?」


 エイダンは、思わず首を傾げた。何を『分かった』ら、そんな結論になるのだろう。


「君への謝礼と、僕の修行場として、あの温泉を用意してくれたんじゃないのか? 先生は」

「……そういう解釈になるかいね」


 大分強引な解釈であるようにも思えたが、しかし、一人で湯治場を管理していくのは相当に大変だろうと、悩んでいた所だ。人手が増えるのはありがたい。

 一応、当面の給料を支払う事は出来る。エイダンが冒険者として積み立ててきた貯金が、手つかずで手元に残っているからだ。


 魔術学校の学費として、村の皆から預かった支援金を、エイダンはそっくり返そうとしたのだが、祖母も、村で唯一の老治癒術士も、網元であるキアランの父も、受け取ろうとはしなかったのである。

 貰ってくれるよう食い下がると、ではこれを使って、村の皆で湯治場を整えていけば良いと、逆に提案されてしまった。


 そう言われたからには、無駄に出来ない。しばし、フェリックスと共に湯治場を盛り立てていくとしよう。

 温泉地として、島外からの客を誘致出来れば、管理費用以上の収益も望めるかもしれない。


「あのさ……あたしも、今回の任務の期間が終わってからも、しばらくこの村に滞在しようかと思ってて」


 シェーナが、小さく挙手をした。


 彼女は当面、実家から身を隠す必要があるため、すぐにアンバーセットに戻るという訳にもいかない。それに何より、この村をすっかり気に入った様子だった。


「冒険者をやめる気はないんだけど。ギルドに登録してる拠点を移さなきゃね。たまにはまた、エイダンをパーティーに誘いたい所だわ」

「そりゃもう、いつでもええよ」


 エイダンは笑って応じる。シェーナは根っから、冒険と人助けが好きなのだ。生粋の治癒術士ヒーラーである。


「私は、スミスベルスを長く空け過ぎたからな。この任務が終わったら、一旦戻る」


 そう発言したマディは、名残惜しそうに、エイダンの肩を叩いた。


「街に戻って落ち着いたら、便りを出す。機があればいつでも呼んでくれ。スミスベルスの職人達も、君には感謝している」

「いんや、お礼言わなぁなんは俺の方じゃって、マディさん」


 元々、行き違いでアンバーセットに呼び出されただけのマディだ。よくこんな西の果てまで、遥々はるばるやって来てくれたものだと思えた。


「ハオマは任務完了後、どうするつもりだ?」


 マディが尋ねる。


「何も、変わりはございませんよ。拙僧は定住の出来ぬ身です。また放浪に戻りましょう」


 相も変わらず素っ気なくハオマは答え、それから少し、虚空に見えない目を向けて、続けた。


「しかし、湯治場とは魅力的です。今後、こちらに立ち寄る事もあるかもしれません」


 シェーナが苦笑を漏らす。

 エイダンも笑い、コヨイからの手紙を、蝶の形に畳み直した。


「あ、エイダン。手紙読み終わったん?」


 エイダン達の様相から、大事な手紙である事を察して、礼拝堂の外に出ていたデイジーが、再びひょいと顔を出す。


「うん。気ぃ遣わせてしもうてごめん」

「ええて。ところでなぁ、エイダン、大都会で腕利きの冒険者をやっとった言うんは、ほんまに?」

「……なんじゃそりゃ?」

「そういう噂になっとったよ」


 どこでどう、情報が捻じ曲がったのだろうか。


「冒険者ギルドに登録はしとったけど、腕利きとかじゃあ全然……」

「そうなん? せやかて、そこの一緒におる人ら、なんかすっごい、頼りになりそうやん」


 そう言われて、エイダンは仲間達の方を振り返る。


「それは、ほんま。頼りになるよ」


 ただし、と彼は、最も重要な注意事項を付け加えた。

 少しの照れ臭さと、誇らしさが胸にぎるのを感じながら。


「うちのパーティー、全員治癒術士ヒーラーじゃけども」



 【第一部 完】

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