第24話 ライタスフォートの鼎談 ⑤

 突風か、それとも何らかの燃焼による爆発か。凄まじい勢いで鉄塊でもぶち当てられたかのように、石壁が破裂し、階段が脆くも崩落する。

 報告に来た兵士と、階段の途中にいたホワイトリーが吹き飛ばされ、牢のあるフロアまで転がり落ちてきた。


 ほんの数秒、爆風に目を閉ざしていたエイダンが、次に瞼を持ち上げた時、階段のあったはずの場所は、大穴となっていた。


 その穴の上から、あたかもカーペットの敷かれた豪邸の階段を下るかのように悠然と、こちらへ歩いて来る影が一つ。


 波打つ黒髪に、短く整えられた口髭。歳の頃は四十か、あるいはもっと若いだろうか。偉丈夫と呼ぶに相応しい体躯を、裾の長い漆黒のマントに包んでいる。

 右手には、異様な形状をした長大な杖。頭部が大鎌のような装飾となっており、爬虫類の瞳を思わせる、赤みがかった大振りの加護石が、鎌の付け根部分に嵌め込まれていた。


「ヴァンス・ダラ……!」


 サングスターが、慄然と瞠目し、男の名を呼んだ。


 ――彼が、魔杖将ヴァンス・ダラ?


 エイダンは牢の格子を掴んで、男の姿を今一度確かめる。

 年齢は四百歳を超える、と歴史の教科書には書かれていたが、とてもそんな風には見えない。どんな外見の人間なら四百歳に相応しいのだと問われると、それはそれで困るが。しかし、コチの父親としても、若々し過ぎるのではないか。


「お父様!」


 コチが一声、嬉しそうに叫ぶ。


「おお、我が愛娘。あまり心配をかけてくれるな」


 ヴァンス・ダラは、至って穏やかな微笑を浮かべてコチに呼びかけた。それから一呼吸置くでもなく、手にした杖で、コツリと床を叩く。


 墨のような色合いの稲妻が、杖先からほとばしり、虚空を駆けた。

 稲妻は、コチの牢の青白く発光する格子へと、瞬く間に絡みつく。空気を引き裂く轟音が、辺りに響いた。


 格子の光が、ふっと失われた。壁との接続部が焼き切られたのか、格子は煙を燻らせて呆気なく外れ、重い金属音と共に外側に倒れる。


「コヨイ、先に出ていると良い。俺は少々、彼らに挨拶をしていく」


 ヴァンス・ダラはそう告げて、ぐるりと周囲を見渡した。


 報告に来た兵士とホワイトリーは、階段の崩落に巻き込まれ、倒れている。オースティンは背に負った槍に手をかけているものの、迎撃にも退避行動にも移れない。モヌポルは幸い、爆発の前にホワイトリーの腕から抜け出していたが、彼も動けないでいる。牢の中のエイダンには、打てる手がない。


「ハーイ!」


 コチが場違いな程に明るく返事をして、その次の瞬間には、彼女は巨大な狼へと姿を変えていた。倒れた格子を踏み越えて牢を出ると、疾風の速度で廊下を駆け抜け、階段の代わりに出来た大穴へと飛び込む。


「待て!」


 サングスターが自身の杖を構えた。すかさず、ヴァンス・ダラが再び杖を床に打ちつける。彼のマントの裾回りから、黒い火炎が這い出したかと思うと、竜巻のように螺旋状に拡散し、周囲を襲った。

 走り去るコチに向けていた杖先を、サングスターが素早く構え直し、振るう。

 平坦な正五角形をした、身の丈程の光の壁が彼の鼻先に現れ、黒い炎を弾いた。


 が――


「ぐわっ!?」


 エイダンの牢の前にいたオースティンには、身を守るすべがなかった。

 軍服の胸元を炎が掠め、それだけで大柄な彼の身体は、爆風でも浴びたかのように後方へと吹き飛ばされる。牢の格子に背を打ちつけて、そのまま床へと倒れ伏した。


「オースティン大尉っ!」


 エイダンは血相を変えて、倒れた彼に呼びかける。

 オースティンが盾となったお陰で、エイダンには炎が当たらなかった。


 今の魔術は、ノムズルーツでゴーレムが吐き出した炎にそっくりだった、とエイダンは戦慄しながらも考える。これがヴァンス・ダラの行使する、闇属性の呪術なのだろうか。だとすると、一瞬でも浴びれば重傷になり得る。


「大尉!」


 サングスターもまた、オースティンの方へ足を向ける。その前に、ぐるりと長杖を回転させて、ヴァンス・ダラが立ちはだかった。


「久しいな、ギデオン・リー・サングスター。五十年ぶりか? 魔術の腕は、衰えていないらしい」

「ヴァンス・ダラ……何故、貴様がここにいる?」

「阿呆な質問をするな。俺を呼び出したがったのは、お前達だろうに。我が娘を捕らえて、交渉だと? なかなか笑える案だな」


 ヴァンス・ダラが杖を前方に向ける。サングスターもまた、身構えた。


「その通りだ。しかし、貴様は遥か北の……果てない闘争が続く戦場で、魔物共の陣営に立っていると、我々は見ていた。コヨイ・サビナンドの牢にも、この砦自体にも、厳重な結界を張っていたのだ。彼女は、助けなど求められなかったはず……」

「結界? 俺を相手に、無駄な真似だ」


 ヴァンス・ダラは軽く肩を揺すって笑い、片手で持っていた何かを、床に放る。

 それは、割れた鼓だった。コチの所持していた、青嵐鼓である。


「青嵐鼓は俺が作り上げ、我が娘コヨイが魔力を篭めたもの。それがどういう状態でどこに存在するかくらい、世界中のどこにいても分かる。コヨイが大事な鼓を割ってまで報せてきたのだ、余程身の危険が迫ったのだろうと――ここまでのは、流石に骨が折れたがな」

「……相も変わらず、規格外の男だ!」


 サングスターは僅かに歯噛みし、しかし怯む事なく、指揮棒のごとく杖を振るう。

 またも、彼の前に光の壁が展開した。今度はその壁は、三角形を六つばかり組み合わせた多面体へと変化し、ヴァンス・ダラへと迫る。


 ヴァンス・ダラが黒い炎を繰り出し、それに乗り上げるような格好で、ふわりと宙に浮いた。

 多面体の光が、エイダンの入れられている隣の牢の鉄格子に激突する。格子のひしゃげる不快な音が、廊下に響き渡った。光は更にヴァンス・ダラを追い、牢内で縦横に暴れ回っているらしく、エイダンのいる牢まで、石壁の一部が破壊された。


「うわわっ」


 飛んできた瓦礫を避けて、エイダンは牢の隅まで後退る。


 これではじきに、牢が壊れかねない。牢が壊れれば脱出出来るかもしれないが、しかし、エイダンも無事で済みそうにない。

 大量の湯か、手製のシャンプーか、せめて愛用の杖でもあれば、彼も自分の身くらいは守れるのだが。


「うぅ……」


 オースティンが呻き、身じろいだ。懐を探り、何かを取り出す。じゃらりと金属音を立てて彼の手に握られたのは、鍵束だ。


「そこの、ノーム……! これで、彼の牢の鍵を開けてやってくれ……君達は早く、避難するんだ……!」


 髭を逆立てて硬直していたモヌポルが、オースティンの呼びかけに我に返り、こちらへと跳ね飛んでくる。


「お、オウ! 任せろ! 小僧、今出してやっからな!」


 オースティンから鍵束を受け取ったモヌポルは、ノームにはいささか重たいらしいその一本を両手で抱え、エイダンの牢の扉に飛びついた。

 そこに、一際ひときわ大きな衝撃が建物を揺さぶる。

 光の多面体で自分の身体を覆ったサングスターが、彼めがけて放たれた黒い稲妻に押し出される形で、廊下まで後退した。


 黒い稲妻と光の多面体は、そのまま反対側の石壁を突き破り、サングスターの姿は土煙の向こうに消える。

 黒炎を纏ったヴァンス・ダラが、崩れた壁の前で愉快そうに一つ笑い、壁の外へと飛び立った。


「あの人、飛べるんか……」


 呆然とエイダンは呟いた。サングスターの言うとおり、規格外にも程がある。


「開いたァ!」


 モヌポルが両手で鍵を鍵穴から引き抜き、反動で床に転がった。エイダンは急いで扉を開け、モヌポルを拾い上げる。


「あんがとうモヌポルさん! 大尉も、すぐ治しますけん、ここから出ましょう!」


 オースティンを助け起こし、どうにか肩を貸そうとするエイダンに、彼は首を振る。


「駄目だ。俺は軍人だぞ、本来君達を守るのが務め……」

「俺だって冒険者です! 治癒術士です! 人を助けるんが仕事です!」


 そうは言ってみたものの、とエイダンは唇を噛む。

 この場にはオースティンの他に、ホワイトリーや兵士も倒れている。この牢のあるフロアの外には、他にも負傷者がいるかもしれない。彼ら全員を、一体どう救えばいい?


 とにかく迷っている場合ではない、動け、とエイダンは自身を叱咤した。オースティンを引っ張り上げ、一歩を踏み出しかけた、その時。


「エイダン!」


 唐突に、その声は降ってきた。

 階段のあった場所に開いた穴からだ。


「……シェーナさん?」


 唖然として、エイダンは彼女の名を呼んだ。

 階上に立つのは、シェーナだけではない。ハオマにフェリックスに、何故か、スミスベルスで別れたマデリーン・ベックフォードの姿まである。


「ハオマ! それに嬢ちゃん!? あと、えーと……!?」

「彼らは……?」


 その場でぽんぽんと跳ねるモヌポルの横で、オースティンが問いかけた。

 シェーナが、胸を張って答える。


「あたし達? 冒険者パーティーよ。全員治癒術士ヒーラーだけど!」

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